岩波書店 20070507
組織ジャーナリズムがいかに弱体化してきたかを、NHKと朝日というメディアの経緯と現状をとおしてあきらかにする。
かつて日本の新聞は産経をふくめてすべて野党だった。それがまずは産経がころび、中曽根時代に読売がころび、最近では朝日までもが有事法制に条件つきに賛成するようになってきた。NHKをはじめとするテレビも同様だ。かつては田中角栄の圧力をうけながらも記者会見でつるしあげるなどしてきた。今は記者会見は真剣勝負の場ではなくなってしまった。
政治的な転換も大事だが、より深刻なのは、その場にいる「ヒト」たちの体質の変化である。
「新聞記者は、社外の権力には強いが、社内の権力にはひときわ弱いところがある。新聞記者はちょっとした配置換えで自分のやりたいことができなくなる恐怖が、一般企業より強いためだろう」と筆者は書いている。昔からそういう面があったのだろうが、今はさらにそれがひどくなっているだろう。逆に言うならば、どこに飛ばされようが堂々と生き抜き、書き抜く「個」が出現しなければならないということだ。会社の利益よりも社会や人間の利益を大切にするために公益通報などの制度ができたが、それを有効に機能させるには「個」が強くならなければならない。マスコミにかぎらずそれはとてもむずかしい。
国家を優位において個人をないがしろにした戦前の社会に対して、国家は個人を押しつぶしてはいけないというのが戦後の社会だった。それがいま逆方向にむかっている。イラク人質事件での「非国民」扱いのバッシング、自衛隊官舎にイラク派遣反対ビラを配った人の逮捕・長期拘留……。マスコミ内部もまた、「個」の記者が活躍する時代から、「編集権」の名のもとに集団への従属を強いる体制を強めつつある。
大事なものが次々に決まり、壊され、また次の大事なことがおき、前におきたことは忘れてしまう。次々と大切なことが忘却の淵に沈んでしまう。
忘れさせない報道のしかた、表現のしかたはないのだろうか。「個」を復権させ、ゲリラ的な活動を可能にする方法はないものだろうか……と思う。すっかりお行儀のよくなった組織ジャーナリズムにはあまり期待できないことなのだろうが。
----------抜粋・要約------------
▽1999年に曲がり角。「日米ガイドライン関連法案」国旗国歌法、通信傍受法、住民基本台帳法改正。いずれも公明党が政権に参画して以降に実現した。
▽NHK不祥事 中継拒否の国会審議は40分足らずに押しこめられ、海老沢会長
の進退に関する質疑はすべてカット
▽川崎 金脈記者会見で田中を追及。田中は「そういう質問をしたことは覚えておく」と恫喝。が、少なくとも、首相会見は真剣勝負という空気もまだあった。少なくとも神の国の指南書事件でのような無責任な対応ではなかった。
▽イラク メディアは逃げ出す。03年5月12日に放送が予定されていた「クローズアップ現代」が、フリージャーナリストが取材した映像を使っているという理由で突然放送中止に。正式に企画を通ったものを「NHKの取材したものでなければ使わない」と「編集権」の名で中止させる。
▽番組改竄 ほとぼりが覚めた段階で、突然テレビ画面から「君が代の歌詞が流れる」という事態に。01年4月1日午前5時、放送開始と同時に日の丸の旗とともに、君が代の1番の歌詞がテロップで流された。
▽新聞は野党だった。70年代からまず産経が与党寄りに。80年代になって、中曽根政権誕生とほぼ同時に読売が舵を切る。
▽イラク人質事件 マスメディアのなかで「自己責任」という言葉をキーワードにバッシングの先導役をつとめたのは読売新聞。政府の再三の勧告にも従わず、自ら危険地帯に飛び込んで事件に遭遇するや、その責任も自覚せずに政府に自衛隊の撤退まで要請するとはなんたることか、という論理。
朝日が反撃にでることで、バッシング一色の社会に流されることはかろうじてさけられた。★そんな役割を果たしているとは・・・
▽有事法制の制定は、その社会が軍事優先の思想を容認することを意味する。
戦前、1933年の「ゴー・ストップ事件」。軍人の信号無視を警察がとがめたら「軍隊を侮辱するのか」と軍が怒って警察と対立した。
一度はひっこめられたが、02年の日朝首脳会談で浮上した北朝鮮脅威論が、空気を一変させる。朝日も「民主党案は土台になる」社説。けっきょく与野党の合意がなり、可決する。有事法制に反対してきた朝日がなぜ、突然制定に熱心になったのか。
▽国の最高指導者との単独会見に一線記者ではなく本社の幹部が赴く弊害。・・・広岡社長の「中国との国交回復を急げ」という信念は正しかったが、秋岡特派員に指示した「追放されるような記事は書かなくてよい」という言葉は間違い。
こういう誤りを検証していない。朝日の北朝鮮・中国報道がいまだにトラウマをひきずっている原因もまさにそこにある。
第一線の記者たちへの処罰はいとも簡単におこなうのに、社長や役員の責任になると、ほとんど追及されることがないことが多い。・・・「花田事件」のときも幹部はみんな「知らん顔」
▽40年前の右傾危機 社主家から送り込まれた木村照彦編集局長は「デモの記事はなるべく扱うな」「自衛隊の悪口は書くな」。政治部次長の三浦甲子二が指揮をとって労組対策。社内人事「とばすぞ」「とばされるぞ」という言葉が乱れとんだ。
新聞記者は、社外の権力には強いが、社内の権力にはひときわ弱いところがある。新聞記者はちょっとした配置換えで自分のやりたいことができなくなる恐怖が、一般企業より強いためだろう。
偶然、社主家と経営陣が対立する事態がおきたから木村体制は崩壊したが、あのまま木村・三浦体制が続いていたら、読売より一歩あやくもっと右よりの新聞が生まれていたかもしれない。
社主家の横暴な株主権行使でおきた異常事態も、けがの功名という側面もあった。しかし、「資本と経営の分離」ばかりに関心が注がれ、新聞社としてはもっと大事な「経営と編集の分離」が進んでいないことは残念。経営の利害が直接紙面に影響することがないよう経営と編集を分離することはきわめて重要。
▽「この国を想い」のパロディ事件。朝日は、青鉛筆で報じた。名誉毀損だと与党から厳重通告があったという重大なニュースなのに。
▽創価学会のメディア支配 01年に入ってから全国紙に池田大作氏がしきりに登場しだした。新聞社に対して聖教新聞と公明新聞の印刷を委託することで新聞社を懐柔する。
▽世論調査による誘導
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