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特別展「世界遺産 縄文」

■@京都文化博物館 251126
 2021年に世界遺産になった北海道と北東北の縄文遺跡群をまとめて紹介している。以下、へぇーっと思った部分だけ抜粋。
旧石器時代は気温が低いから動物を中心に食べ、遊動生活だった。1万6000年前に縄文時代になると土器が誕生する。内湾に面した小高い丘の上で、海の恵みをもとに定住生活をいとなんだ。

 オットセイやイルカ、ホタテ貝などを食べていた。編かご(縄文ポシェット)があり、北海道産の黒曜石が東北にまで広がり、糸魚川のヒスイの原石は三内丸山(青森)で加工された。日本海側の油田地帯からとれたアスファルトは接着剤として利用された。
 製塩土器は熱を伝えるために薄い。弥生式土器とかわらない。
 4400年前に寒冷化すると、大規模集落を維持するのが困難になり、ムラは小規模になる。このころのストーンサークル(墓地)はムラから離れた場所にあり、小さなムラが共同管理していたとみられる。

 ドバンくんは縄文人が数遊びをしていたことを示す。鹿角の髪飾りや赤い塗料も利用し、黒と赤の漆をぬった器は現代の工芸品とかわらないセンスのよさ。晩期には木胎漆器も生まれている。輪島塗の原形とされる合鹿椀にも近い。縄文人は「原始人」ではないのだ。
体が不自由で手足の筋肉が細いまま20年くらい暮らした人の骨も見つかっている。20年間も介護をつづけたことをしめす。
 遺体は屈葬にされた。子どもは家の入口に埋められている例もある。副葬品がある人とない人がいるから、上下関係があったとも考えられる。人の指の骨に穴をあけて首飾りにしている。「死」はタブーではなく、再生し循環する存在と思われていたのだろう。

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