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にっぽん情哥行<たけなか・ろう>

■ミュージックマガジン 20220704

 民謡の元歌は春歌であることのほうが多いのだから、春歌を切り棄てると、いつどこで歌が生まれたのかわからなくなってしまう。秋田音頭はもとは春歌の親玉であり、夜ばいから夫婦生活、老人セックスまでうたっていた。
 労働の歌は、性的歌詞によって困苦を忘れ、生きる歓びを賛美してきた。このような歌を排除されば、きれいこごとばかりの民謡になってしまう。
 庶民にとって淫らであることは健康の証明だった。性の豊穣は精神の豊かさであり、性をうたう民謡は命のホンネをうたっていた。
 おおらかに春歌がうたわれ、庶民の娯楽であった時代。SEXとはビデオのように「見る」ものではなく、「行う」ことだった。
 仙北では、戦前まで夫婦が素っ裸になり、「タレタタレタ稲穂が垂れた」と亭主はチンポコをゆする。「ワレタワレタ椀コが割れた」と女房がオマンコを示して、となえつつ囲炉裏裏端をめぐる小正月の行事があった。
 甲州では、〽山のあけびは 何ょ見て割れる 下の松茸みて割れる 〽娘十七八は 渡しの舟よ 早く乗らぬと人が乗る………などと歌い、処女は軽蔑の対象でしかなかった。かしこい娘たちは何人も毒味をしてから夫をえらんだ。
 ねぶた祭りでは、鍋をかぶって戸板を楯にして石合戦を展開し、祭りのあとは乱交パーティーのようなものだった。

 明治以降、政府は「公序良俗」を強制し「歌垣(かがい)」のフリーラブを弾圧した。だが公序良俗が全国を支配するのは戦後だった。
 たとえば秋田の増田町では、旧正月の15,20日、若者たちは夜通し酒盛りして、娘たちも空が白むまで遊んだ。新生活運動で昭和35年に旧正月の風習はなくなった。
  高度成長による繁栄をひきかえに、日本は半世紀たらずの間に土着の歌をほとんど失って閉まった。民族・民衆的な情念を表現するのは、「三億円強奪の唄」を歌うフォークゲリラや、「河内音頭」「連合赤軍」「グリコ誘拐」程度だという。

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▽17 民謡から「春的要素(エロチシズム)」、わいせつな文句を除くうことは、人間を去勢するのと変わりない。民謡の大半は春歌・しかも、それが元うたの場合のほうが多いのである。つまり・春歌を切り棄てるてえと、いつ何処でどのようにして、うたが生まれたのかわからなくなる・由々しきことではないか?
▽23 出雲崎おけさ 猥褻、なぜ悪い? なんてのは、都会のインテリのたわ言。底抜ぬけのエロチシズム、庶民にとって淫らであることは、即・健康の証明であった。
▽27 おけさは歌垣の謡であった。風紀取締りの巡査の目を逃れ、親に隠れてしのびあい、むかし恋愛は自由だった。
▽29 琉球島うたのは靴もまやかしの「民謡ブーム」サアユイユイと公序良俗に埋没して、ご本家は衰弱しておる。
▽33 昭和48年、高田ごぜの親方・杉本キクイが黄綬褒章を受け、「へそ穴口説」まさしく禁歌となる。彼女の没後、日本春歌の絶唱はただその形骸のみをつたえるにすぎない。
▽36 日本が性の後進国に堕ちたのは明治維新以降、文明開化のなせるワザ。政府高官は妾をたくわえて、鹿鳴館や花街で遊びほうけながら、「神州清潔」の民を下々に強制したのでアリマス。
……官憲は風俗壊乱の罪をもって「歌垣(かがい)」のフリーラブを弾圧、撲滅せんとする・が、いかなる強権も、愛しあう営みを完全に禁止することはできない。かえって、ニッポン土着の性の自由がほろび去り、公序良俗が全国を支配するのは「人間解放」の戦後民主主義下であった。
秋田「旧正月の15,20日、……若者たちは夜通し酒盛り、娘たちは宝引という博打でこれも空が白むまで……」(増田郷土史)
……醇風美俗は、戦後15年で絶える。「昭和35年、町の全域に旧正月の風習はなくなったと聞きます。新生活運動の影響であります」(生活改善の弊害〓)
 増田町は横手市の南に位置するリンゴの里。
▽38 秋田音頭こそ日本春歌の親玉。……滑稽卑猥の歌詞・ほとんど無尽蔵、次なるは夜ばいから転じて夫婦生活、そして老人セックス問題と展開つかまつります。
▽45 性の豊穣はすなわち、精神の豊かさなのである。……人間が生きると言うことの根元に迫って、タテマエではない命のホンネをうたっているのである。
▽47 おおらかに春歌がうたわれ、庶民の娯楽であった時代。「ビニ本」「裏ビデオ」なんざ、お呼びじゃなかった。SEXとは見るものではなく、行うことであったから。……そもそも痴漢という観念はなく、人みな助平であることこそ常態であったのだ。
(エロが消える心地悪さ)
▽66 秋田ふきよせ
 父ちゃんの投げたよい玉を 毛のあるミットで受けとって ナンボええやら 呻き声
▽68 民謡の宝庫 仙北では、戦前まで夫婦が素っ裸になり、「タレタタレタ稲穂が垂れた」と亭主はチンポコをゆする。「ワレタワレタ椀コが割れた」と女房がオマンコを示して、となえ唱いつつ囲炉裏裏端をめぐる小正月の行事があった。
▽79 甲州禁哥考 
 山のあけびは 何ょ見て割れる 下の松茸みて割れる
▽87 娘十七八は 渡しの舟よ アイヨーダ 早く乗らぬと人が乗る
 女陰(べべ)のベの字と 夜なべのベの字  アイヨーダ おなじベならば べべがよい
▽88 風紀取締りの無粋なポリス、……明治から大正・昭和、三代にわたって矯正しようと懸命の努力をはらいましたが、敗戦後ようやく主食の配給制度によって日本国民みな米を食い、石臼が納屋にほうりこまれるに及んで、河口湖畔の歌垣は跡を絶ちました。そのかわり、南は御殿場から北は御板桃源までのモーテル群……
 婚前の処女なんてもな、当時軽蔑の対象でしかなかったんで、かしこい娘たちは何人も毒味をして、チンポコの性能および勤労精神を、しっかりと見届けて生涯の夫をえらんだのでアリマス。(生娘で嫁にゆくなぞは、オデエジン(大分限者)、さもなくばふためと見られる無器量もの、または名うての偏屈娘か、さてはカツテイボー(レプラ患者)とまで毛嫌いされた時代であった)
▽94 「労働の歌謡は、性的歌詞によって困苦を忘れ、生きる歓びを賛美し絶叫する。仮にこのような唄を削除して土俗民謡をつづれば、真実と遠くかけ離れたきれいこごとばかりで偽飾した、偏見の書を編むことになる……」
 と、伊藤堅吉さんは言う。
▽ 高度成長・経済万能の日本は繁栄をひきかえに、心の裡なる山河を滅ぼした。半世紀足らずの間に土着の謳をほとんど失った国は、パンソリを反革命的な頽廃歌曲として禁圧した「朝鮮民主主義人民共和国」のほかに見あたらない。
▽108 ねぶた 鍋・みそこし・ザルをかぶり戸板を楯にして石合戦。大正14年にいたるまで年ごとに流血をくりかえし、ついに石合戦全面禁止「官許」誓約とあいなった。……祭りのあとは、昭和の聖代も乱交パーティー。
▽114
▽136 夕張 採炭唄 (性的な)謳は失われた。戦後・公序良俗の規制の前に、戦時下のうたい替えがあった。庶民の音曲はかくて滅び、もはやよみがえることはナイ。
▽144 踊り念仏。男女根を隠すことなく食物をつかみくひ不当を好むありさま ……。チンコマンコまるだし
▽184 瞽女うた 言えば日本民謡のルーツでしょう。「河内音頭」「津軽じょんがら」「八木節」、、これすべてバリエーション。越後の人たちが全国に散らばっていった足跡と重なりあうハズです。門付け、船乗り、お女郎、物売り、出稼ぎ、「新保広大寺」の分布と変遷を調べてゆくことで、うたっこの成り立ちははっきり見えて来るんじゃないか。
▽189 演歌が浪曲の鬼子、もしくは民謡の私生児として、「民族音楽」となる可能性を有していた時代はもはや終わった。……根暗い、イモイ、ダサイ。なぜか? 乞食の感情を失ったからだ。
▽192 (グリモリ事件)マスコミ文化人こぞって「国民の敵」と呼び、早く逮捕しろという。国民、ちっとも迷惑しておらん。グリコに毒が入ればグリコを買わず、森永も同様……かい人21面相は、ケイサツの敵、資本の敵、流通機構の敵であって、国民には実害を与えとらん。森永にはかつて、「ヒ素ミルク」を販売した前科がある。それにひきかえ、むしろ穏健な犯罪ではないか。
▽194 人々が「伝統」、すなわち民族・民衆的な情念を喪失した。……芸能は乞食を父母とし、犯罪を兄弟姉妹とする。……60年代末、フォークゲリラが出現して「三億円強奪の唄」、いまかろうじて「河内音頭」「連合赤軍」「グリコ誘拐」などなどをいうたいこんで孤塁を守る。だが、人民大衆、公序良俗箱詰めテレビにもっていかれちゃって、我らマイノリティ。
207 民謡が栄えないのは、家元制度みたいなことをやっているのが一番の原因ではないのか。……それから「ドレミファ民謡」ですな。これが困る。……五線譜になじんだ耳では音がつかめない。
▽216 淫をひさぐ女たちを母として、日本の芸能は花ひらきました。「性と芸能は不可分であった……巫は芸を生み、巫は娼をかね、娼は芸をともなう」
 大乱による中央集権制の崩壊、戦火に追われ流離する庶民、社寺の窮乏といわゆる「勧進売春」、津々浦々にカンパを求めて漂泊する巫女芸能者の群れから、歌舞伎の出雲阿国が立ちあらわれます。
▽221 花電車(性器をつかった芸)
「相対会研究報告」(小倉清三郎、ミチヨ)
▽236 バナナ切りの芸当……うなぎやどじょう、

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