■淡交社250520
元京大総長の地球科学者は俳人でもある。俳句の季語とその科学的裏づけや解説をくわえていて、文理を超えた博覧強記ぶりに舌を巻く。「へーそーだったんだぁ」というおどろきに満ちた本。以下その羅列。
日永 かつて1日のはじまりは日没であり、百鬼夜行や神々の時間である夜がすぎて日が昇ると人の時間になった。「あした」は翌日ではなく「朝、夜明け」の意味だった。
立春 立春から立夏の前日までが春。節分はもともと立春、立夏、立秋、立冬の前日の季節の分かれ目を意味していた。
春分・秋分は昼夜の長さがひとしいとされるが、実際は昼のほうが夜よりも長い。大気の屈折で太陽の位置が実際より上にみえ、太陽の上端が地平線と一致した時刻を日出・日没と定義しているため、太陽の半径ぶんだけ日出が早く、日没が遅くなるなるからだ。(日本では春分と秋分の3日前から7日間を彼岸)
春の大三角 春の夜空に星が少ないのは、円盤状の銀河面に対して垂直の方向を見ているから。明るい星が少ないので宇宙の彼方を見通すことができる。
野焼く 野焼は害虫駆除と萌え出る草の生長のため。山焼で育った赤かぶは、火で土壌が殺菌されているため、農薬や化学肥料が最低限におさえられる。
遍路 弘法大師の御厨人窟は、波の浸食でできた洞窟だが、南海トラフの巨大地震のたびに隆起して今は高い場所になった。
東京大空襲 アメリカは日本の広範囲の気象観測をしていた。1945年3月9日夜から10日朝は、冬型の気圧配置が強まることを予想したので、目視が効き、風が強くて対価になりやすいと考えて空襲を決行した。
春菊 地中海原産で江戸時代に伝わった。宋の時代に中国に流入して栽培作物となった。春菊をさっとゆでて、韓国のりの塩気とごま油を合わせたナムルはおいしい。
若布 日本以外では、スコットランドとアイルランドが海藻食文化をもつ。英語でSeaweed「海の雑草」とよばれていたが、健康志向が高まってきてSea Vegetable「海の野菜」と呼ばれるようになった。
梅 中国では紀元前から酸味料としてもちいられた。塩とともに最古の調味料。だから「塩梅」という言葉がある。
滝 世界有数の急流で知られる常願寺川にある称名滝は、日本一の落差350メートル。常願寺川は3000メートルの標高差で、河川の延長は56キロ。明治時代、改修工事で、オランダのヨハネス・デ・レーケが、「これは川ではない。滝だ」と言ったという有名な伝説があるが、滝は急流を緩和するので、滝を見て「滝があってよかった」と言ったのが事実だという説が納得できる。
氷河と雪渓 1999年、立山内蔵助カール内に永久凍土が発見された。極東の氷河の南限が立山連峰。日本国内の氷河は7カ所。
甘酒 米と糀と水だけでつくる。ビタミンやアミノ酸など栄養剤としての点滴とほぼ同じ。夏バテを防ぐ効果から夏の季語になった。小泉武夫「くさいはうまい」〓
沖縄忌 6月23日、日本軍の組織的戦闘が終結したことにちなんで「慰霊の日」を祝祭日にしたが、日本復帰後、休日としての法的根拠を失った。91年、沖縄県が条例で「慰霊の日」を休日と定め、国の機関以外の役所や学校などが休みとなった。
祇園祭 祇園御霊会の起源は869(貞観11)年。全国に流行した疫病が牛頭天王の祟りだとして、勅命により6月7日に全国の国の数である66本の鉾を立てた。同じ年、東北地方に巨大地震があり、大津波による災害があった。当時、形を整えた街を構成する地域は、京、東北の多賀城、九州の太宰府だけだったから、多賀城の被害は京にも大きな影響を及ぼしたにちがいない。864年の富士山と阿蘇山の噴火。868年の山崎断層地震。貞観地震のつぎには871年の鳥海山噴火、874年の開聞岳噴火。880年の出雲地震。887年には何回トラフで仁和の巨大地震。893年、朝鮮半島の白頭山が噴火して東北から北海道まで降灰があった。
鰻 縄文時代の遺跡から骨が出土。徳川時代、干拓でできた湿地に鰻がすみつき労働者の食べ物に。江戸で濃口醬油が開発され、たれで味つけして食べるようになった。
蜘蛛 クモの命綱の強度がクモの体重のちょうど2倍。1本が切れてももう1本で体重をささえることができる。1本は「ゆとり」として働いている。クモの糸で直径3ミリの紐をつくり、体重66キロの人がぶら下がる実験をおこない、その結果が、クモの糸の防弾チョッキや縫合糸などで用途を広げるきっかけとなった。
鶴岡市と山形県が誘致して、慶応大先端生命科学研究所が2001年に設立され、世界的に注目を集めるスパイバー社がyamagataに生まれた。夢の素材といわれるクモの糸を実用化することを目的としている。〓
海月 京大の瀬戸臨海実験所の久保田信は2018年に定年になり「ベニクラゲ再生生物学体験研究所」を自ら設立。
蝙蝠 ウイルスの自然宿主には蝙蝠が多い。蝙蝠の次は霊長類、つぎが齧歯類。コウモリは、多くの哺乳類がもつ遺伝的特質の原型をもっているために、コウモリの古い形質の遺伝子で保存されてきたウイルスは、変異すると他の哺乳類へ感染する能力をもちやすい。…寿命がながく、30年以上生きる種もあり、ウイルスの蓄積源になる。
鯰 アメリカの水産養殖の半分をアメリカナマズがしめる。アマゾンには、自分より大きな相手の体に穴をあけて中に入りこんで、中から体を食べる人食いナマズも。
1885年の江戸の大地震のころ、人びとは鹿島大明神が要石で地震を起こす地中の鯰を押さえていると信じていた。この地震が起きたのは神無月(旧暦10月)で、鹿島大明神が出雲に出向いて留守であった
日本列島を大蛇がぐるりと巻いている絵が1198年につくられた暦の表紙にある。この大蛇が鯰に変化したのが江戸時代中期といわれている。地震と鯰の関係があきらかな形で登場した古文書は、わたしの知るところでは、1592年12月11日の秀吉の手紙である。
筍 活断層運動で隆起した山地から、沈降する盆地へ土砂が流出して扇状地をつくる。ずれの運動でできた崖に沿った岩盤は崩れやすいので、モウソウチクを植えて補強した。明治の陸地測量部の地図を見ると、竹林の列と活断層がみごとに対応しているのがわかる。…皮が成長後に落ちるのをタケ、脱落しないのをササと呼ぶ。ササで50年、タケで100年に1度くらい花が咲く。つまりタケはクローンで無性生殖である。遺伝子に傷ができたりしてクローン寿命がくると、開花して有性生殖となり、新しい竹林をつくる。
茸(きのこ) 栗東市にある菌(くさびら)神社は茸を祀っている。637年の大飢饉のとき、茸で人びとが救われた。
唐辛子 人以外では、野生獣の嗜好性が低い作物で、農地の外周に植えられる。
藍の花 葉は藍色色素の原料となるが、乾燥させて、解熱、殺菌の漢方薬としてももちいられている。蜘蛛や蛇などに噛まれた傷の治療にもちいられた。吉野川沿岸が主産地。浴衣は木綿でつくられた単衣の、入浴にもちいた「湯帷子」の略。浴衣で人前にでるのは明治以降で、藍染め、絞り染めなどが主流だった。
柿 東アジア原産。日本、朝鮮半島、中国大陸に多くの在来種がある。甘柿は渋柿の突然変異。1214年、川崎市にある王禅寺で偶然発見された「禅寺丸」が日本で最初の甘柿。渋を湯やアルコールでぬくことを「さわす」といい、できたものを「さわし柿」と呼ぶ。アルコール漬けにしたものは樽柿という。加熱すると柿タンニンが再び水溶性になり渋くなる。これを「渋戻り」という。
三寒四温 中国の東北地区や朝鮮半島北部の気候をあらわす言葉。3日間きびしい寒さがつづいたあと、4日間寒さが少しゆるくなるという現象を表現した言葉であり、季語としては寒さのきびしい時期の季語。春先に3日寒く4日温かい、というような変化は、日本列島の気象データからはほとんど見られない。(ネット:日本は上記のような現象は、冬よりも春の方が起こりやすい。なぜなら、春は低気圧と高気圧が交互にやってきて、周期的な寒暖の変化を繰り返すから。このことから、冬から春に向けて暖かくなっていくことを、三寒四温と勘違いする人が増えた)
おでん(関東煮) 江戸時代初期、江戸の醤油の多くが上方からのものだったが、1800年代には江戸周辺からの醤油の比率が高まった。元禄期(1688~1704)に銚子で始まった醤油醸造。削り節に醤油、砂糖、みりんを入れた甘い汁で煮こんだ「おでん」がつくられた。
関東大震災の復興で、関西と関東の職人の往来があり、関西風の「関東煮」が関東に逆輸入された。これによって東京のおでん店に薄味を伝統とする例が生まれた。
寒晒 島原市ではいたるところに湧水がある。家庭でつくられる甘味が「かんざらし」。江戸時代はじめ、城の西側一帯につくられた武家屋敷と水路がある。「水の都」と呼ばれる市内には約50カ所の湧水がある。1792年の普賢岳噴火に伴う地震で、市の西にそびえる眉山が大崩落した。このとき島原一帯に地割れが生じて地下水が噴出した。
ソバ粉の製造工程でも寒晒の手法をもちいる。ソバの実を俵につめ、清流に30日つけてから干し、食べる時、外皮をとりさりひくと、色が白く舌ざわりもよい。
天然の寒天は、冬に屋外で自然凍結・解凍・天日乾燥させることでつくる。「寒ざらしでつくるところてん」という意味で「寒天」と名づけられた。
寒天造る 寒天は、テングサや海髪(ウゴ、オゴノリ)などの紅藻類の粘液質を凍結して乾燥したもの。寒天はゼラチンより低い1パーセント以下の濃度でゲル化が起こる。
寒天は関西で生産がはじまり、丹波国に伝わり、そこへ行商にきていた信濃国諏訪郡穴山村(茅野市玉川)の行商人が、1841年ごろに諏訪地方へ寒天製造を広めて角寒天として定着したと伝えられる。
鯨 1986年に南極海での母船式商業捕鯨が禁止されてから、大型鯨類に対する捕鯨は南極海と北西太平洋における調査捕鯨を利用することになり2018年度までおこなわれた。IWC管轄外の小型鯨類に対しては沿岸における商業捕鯨がおこなわれた。IWC管轄の大型鯨類の商業捕鯨の再開の見こみはないと判断した日本政府は、2018年12月26日、IWC脱退を発表した。2019年7月1日から日本の領海などに限定して大型鯨類の商業捕鯨を再開した。
…鯨油は工業技術の立役者であり、宇宙船は鯨の脳みそからとった最高品質の不凍油をつかったと伝わっている。
金目鯛 室戸では昔から鯨漁がさかんだったが、その後、遠洋鮪漁に主軸がうつった。それも縮小しはじめたことにより、沿岸漁業にうつった。おもに目鯛をとっていた。ときどき金目鯛がかかっていた。はじめはそれを相手にしなかったが、脂がのって美味のため、しだいに金目鯛の漁にうつっていき、室戸の金目鯛は西日本一の漁獲高に。近海からの日戻り漁が特徴。南海トラフからの海のプレートの潜り込みで室戸岬の近くに深海が発達していることによる。金目鯛の照り焼きと季節の刺身をのせた「室戸キンメ丼」が名物で1600円共通で食べられる。
大根 野生種はみつかっていない。栽培種は中央アジアが起源地のひとつと考えられる。日本には弥生時代に伝わった。一般には江戸時代から食べられ、江戸時代前期にはいくつかの品種の成立と栽培法が確立した。「練馬大根」は特に有名だった。
約100万年前、伊豆半島が南から接近して本州を押しはじめたころから、京都盆地の歴史ははじまる。東西に圧縮される岩盤に亀裂がはいり、活断層運動で隆起する西山や東山から、寝食された土砂が沈降する盆地に流れこんで分厚い堆積層が発達し、その堆積層には豊富な地下水が蓄えられるようになった。1300年ほど前、秦氏が松尾大社や伏見稲荷大社を祀って京都盆地に町ができ、平安京ができて都が発展した。その盆地の地下水から茶の湯の文化が生まれ、和食と酒をはじめとする「変動帯の文化」がはぐくまれた。
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▽東風 1859年2月13日壱岐の漁船の転覆で53名の死者が出た。以来、春の最初の強い南風を春一とか春一番と呼ぶようになった。郷ノ浦港近くに「春一番の塔」がある。
▽黄砂 九州での黄砂の堆積は数メートルになり、沖縄の赤土の多くも黄砂由来である。昔の歌に詠まれた春霞はほとんどの場合黄砂である。
▽春の大三角 春の夜空に星が少ないのは、円盤状の銀河面に対して垂直の方向を見ているから。明るい星が少ないので宇宙の彼方を見通すことができる。
▽春潮 太陽の潮汐力は月の0.45倍。マントル滞留、プレート運動、地磁気の逆転、巨大地震・・・を起こしながらも、地球が公転軌道にタイして常に23.4度の傾きを保って安定に自転をつづけているのは、月の大きな引力のおかげである。
彼岸のころは干満の差が大きいので広い干潟があらわれる。
▽雪崩 規模の大きな雪崩は35度から45度の急斜面で発生する。
スキー場などでなだれの予防には爆薬がつかわれる。
▽シュウゼン ぶらんこ という呼び名は江戸時代からとされる。
▽観潮 来島海峡・関門海峡・鳴門海峡は日本三大急潮。
▽東京大空襲忌 …具体的な空襲対象地域の選定を、人口密度、火災危険度、輸送機関、工場配置などを遣唐使、爆弾爆撃有効度が計算され、一覧表が作成されていた。
▽蜂 働き蜂もすべてメス。雄は特定の時期に女王蜂と交尾するためだけに生まれる。
…老化などで繁殖の応力を失うと、女王蜂は働き蜂に
捨てられ、餌をとる能力がないので餓死する。すぐ新しい女王蜂が選ばれる。
▽諸子 ホンモロコは琵琶湖固有種とされるが、三方五湖、山中湖、諏訪湖、奥多摩湖などに移植された。埼玉県では養殖による生産量が年間20トンで日本一と言われる。
▽椿 ツバキ属の種子からとった油の総称は「カメリア油」。ほかの油脂に比べて、酸化されにくく固まりにくい。
▽ノビル 茎と鱗茎を生食。
▽虎杖 痛取ともかくのは傷薬として使われていたため。
▽桜 ヒマラヤヤマザクラ 果実は大きく食用になり、幹からガムがとれ、種はアクセサリー。二酸化炭素や窒素酸化物の吸収率はソメイヨシノの5倍ほど。
全国の染井吉野はクローン。
▽雷 雷鳴は落雷の衝撃音ではなく、放電の熱で空気の膨脹が音速を超えた衝撃によって発生する
▽夏の潮 黒潮はプランクトンの生息数が少なく透明度が高い。そのため青黒色となり、黒潮の名の由来となった。最大流速は4ノット、表層の海水温は夏で30度近く、冬季でも20度近くになる。高塩分で冬季には34.8%に達する。
海洋研究開発機構のアプリケーションラボ(APL)が実施している日本沿海予測可能性実験(JCOPE)による海の「天気」予報と、関係するさまざまな話題を「黒潮親潮ウォッチ」というウェブサイトで見ることができる。
▽章魚 無脊椎動物で道具を使うはじめての例として論文に。…日本で96本足の蛸が見つかった。
▽雨蛙 人里や里山に棲息し、人がいない場所にはいない。水田とともに分布を広げた可能性。
▽紅花 山形で摘まれた紅花が京都の紅の原料に使われてきた。江戸時代には「紅一匁金一匁」と言われたほど高価であり、べにばなを摘む農家の娘とは無縁であった。
▽仙人掌(サボテン)シャボンとして遣ったのでサボテンの名がついたといわれる。16世紀後半に南蛮人によって持ちこまれた。彼らはウチワサボテンの茎の切り口で畳や衣服の汚れをふき、樹液を石鹸としてつかっていたので、石鹸体(さぼんてい)と呼ばれたという説がある。
▽流星 マイナス3〜4等よりも明るい流星は「火球」と呼ばれる。満月よりも明るい場合も。
▽星月夜 ニューヨーク近代美術館の永久コレクションになっているゴッホの絵。
▽富士の初雪 富士山測候所の山頂での常駐観測は2004年9月30日に終了。以降、気象庁による初雪の発表はない。
▽颱風・野分 明治の初めにはタイフーンまたは大風と表していた。明治末頃、気象学者の岡田武松によって颱風という言葉がうまれ、1956年の書き替え制定で「台風」となった。
薬掘る 鳥兜 宇陀市は日本最初の薬猟の記録があり…薬発祥の地として薬草を活用したまちづくりを推進。推古天皇が薬狩をおこなったとされる場所の有力候補の地として「阿紀神社」が紹介されている。
トリカブト とくに根が猛毒で、致死量は3,4ミリグラム。数十秒で死亡する。強心薬や鎮痛薬にも。
▽秋刀魚 大きな鱗がなく、内臓やエラを取り出すこともないので、包丁を必要としない。…伊豆、紀州、北陸などで、脂の落ちた秋刀魚を丸干しに加工する
▽自然薯 植物名は「ヤマノイモ」 静岡・丸子のとろろ汁の店「丁字屋」は1596年創業。
▽紅葉 1日の最低気温が8度以下になることが色づくための必要条件で、5度以下で一気に紅葉が進む。…生きている化石と言われる。白亜紀末、地球は激変して新生代となった。そのときイチョウの種を運ぶ恐竜が絶滅し、裸子植物から被子植物の世界にかわった。そんな激変のなかを、中国の天目山だけに生き残った今のイチョウが、人の手で世界に広まった。
▽節分 旧暦では立春にもっとも近い新月を元日とした。月の満ち欠けを規準とした元日と、太陽黄経315度となる立春を、ともに新年としていた。
▽鰤起こし 寒鰤のかぶらずしは金沢の伝統料理。
▽炭焼 木酢液を蒸留、精製するとメタノールや醋酸、テレピン油や木クレオソートなどを得ることができる。
木炭が酸素の少ない灰のなかでも燃えるのは、炭酸カリウムが含まれているからである。
新石器時代のころから木炭がもちいられていたと推定されている。
▽酸茎 蕪の変種の酸茎を塩だけで漬け込んだ、日本では珍しい乳酸発酵の漬物。
▽牡蠣 岩から「かきおとす」というのが名前の由来だろう。
▽柳葉魚シシャモ 日本固有種。むかわ町はシシャモ加工が盛ん。
▽潤目鰯 ほかにマイワシ、カタクチイワシがある。
▽数の子 干し数の子、塩蔵数の子、味つけ数の子に分類される。日本以外では、日本に輸出を開始する以前はすべて廃棄していた。
昔の数の子は干し数の子が一般的で、塩蔵がつくられはじめたのは20世紀になってから。
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