■ちくま文庫2505
「弱いまま、強くあるということ」がテーマ。
「強いまま強い」人は、他者の痛みや弱さを想像できない。だから人とつながれない。自分の「強さ」を凌駕する力に襲われたらポッキリ折れる。人とつながるには「弱さ」という傷を自覚し、それを他者と共有する必要がある……そんなことを考えながら読んだ。
子どもは、両親の諍いをやめさせる力も、だれかを守る力もない。まわりに起きることを見つづけるしかない。
大人になったら、人の命や心を守り、人の傷を癒やすことができるはずだったが「子どものころと同じような経験ばかりをくりかえしている」。
でも実は、子どもは無力ではない。ただ「見つづける」子どもの存在によって救われる人間もいるからだ。
DV被害者は、人とのつながりや温かい家庭という夢、世界は安全だという基本的信頼感……といったものをすべて奪われるが、幸せを心から祈ってくれる「だれか」がいれば、幸せになりたいと願いつづける勇気、なれるかもしれないという希望を取りもどすことができる。「人はなにかが、もしくはだれかが、自分の安全を守ろうとしてくれていると感じるときにのみ、人として生きられる」
これもまた弱さをかかえて「祈る子ども」の意味を説いている。
ハーバード大学では、日本より質量ともにはるかに優秀な研究者がいたが、「こんなに賢い人が集まっているのに、どうして、世の中はよくならないのだろう。…そもそも、ここにいる人たちだって、あまり幸せそうに見えないぞ…幸せになりたいのにそうじゃないとしたら、いったい頭脳の高さは何の役に立つのだろう」と筆者はかんじる。
圧倒的な「強者」があつまっ集団はしなやかさに欠けるのだ。一方研究者のなかには「大いなる子ども」のような人が少なくないという。「年がいもなく」することほどワクワクすることはない。ここにも「子ども」の価値が垣間見える。
男性の(性)被害者は、被害そのものよりも、そのために傷ついた「男らしさ」をとりもどそうとすることで傷を深めるケースが多いという。自分の弱さを認めて「鎧」を外し、肩の力を抜き、「弱さを抱えたままの強さ」をもつことは、男性にこそもとめられる。
「ポスト・トラウマティック・グロース(外傷後成長)」は、人は傷によって学び、成長しうることを意味する。そこには希望がある。
けれどそれが研究対象になると、「外傷後成長」の定義が決められ、「成長」の指標となる項目が選ばれ、「外傷後成長」度を測る質問票が作成される。傷を負った人たちを被験者としてくりかえし測定がおこなわれる。
「レジリエンス」は、人間を傷つくだけの存在ではなく、打ち勝つ力をもつ能動的な存在であるととらえる概念だ。それは大切なことだが、研究によって個人差が明らかになると「彼のレジリエンスが低いからだ」といった自己責任論に転化しかねない。
「イラク戦争に参加した米兵のPTSD研究の講演を聞きながらわたしは、トラウマ研究はいつから、戦っても傷つかない人間をふやすための学問になったのだろう、と思った」としるす。
成長や打ち勝つ力、トラウマ克服は大切だけど、それを追求することで、傷や弱さ、子ども的なものを捨ててしまうおそれがあるのだ。
「傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。身体全体をいたわること。…傷とともにその後を生きつづけること」をくりかえし祈るようにつづっている。
精神科医の目で日常を観察すると、あたりまえの風景が実は不条理であることが見えてくるのもおもしろい。以下はその抜粋と感想。
・立体視の絵をどれだけ練習しても見えない人もいる。立体視ができない独裁者は、「見える人」たちにたいして屈辱感をかんじる。それを拭い去るため立体画を禁止し、見える人たちを「異端者」として排斥する。魔女狩りも、単純にそういうことだったのではないか。
・本から重要な部分を抜粋する作業は大変だ。そんなとき、つまらない情報はなにも考えずに捨てられるからホッとする。ほんとうはおもしろい情報を探す作業なのに。
・人生は、決断の十字路の連続で決まっていくと思いがちだが、人生とは毎日のささいな選択の積み重ね、十字路ではなくY字路の連続によって方向性が決まっていくのではないのか。
Y字路がおもしろいのは、長く歩きつづけるうちにまるでちがう方向に向かったり、逆に、左右に分かれたはずの友人と、それぞれがY字路を何度か進んでいるうちに鉢合わせしたりするところだ。
・人生を長い目でみれば、ジグザグのように見えて一直線の場合もあり、寄り道のつもりが近道だったり…なにが近道でなにが遠回りなのかは、人生の最後になってみないとわからない。
「幸せ」もそんなものだと思う。「わたしは幸せ」とその時にかんじるのではなく、ふりかえって「実は幸せだったんだ」と思うものではないか。
・タクシー乗り場に長い列ができているとき、お互いに声をかけて乗りあえば効率的なのに、だれも声をかけあおうとしない。あたりまえの光景のなかの不合理を見ぬくのはけっこうむずかしい。大地震に被災したとき、非日常だからこそ、人と人がつながり絆をつくられる。
天童荒太は解説で、「無理な背伸びをして、言葉を飾ったり、勢いで書き放したり、慣用的な表現をもちいたりすることなく、たとえ煩瑣になってもいいから、誠実に言葉と向き合おうと努めていることが伝わってくる」
「…自分の外側と内側それぞれで経験した事象を、あくまでみずからがつかみとってきた言葉で語り通そうという、強い意志に貫かれた賜物だろう。だから、書かれている内容、ことに自身の揺れる心情や、考察を尽くしたのちの発見が、しぜんと心に染み入ってくる」と評価した。
そうそうその通り、と思いながら、私自身は残念ながら天童のような言葉をつむぎだせなかった。
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▽29 スキューバダイビング 死にかける。たしかに喜びを感じていた。…
▽47 座間味・阿真集落 久米仙の瓶が割れた場所の御嶽 阿真は日本軍が慰安所をもうけていた場所だったらしい。その2軒の家は御嶽のすぐ隣にあったのだ。
▽53 バリ島 DV被害者の自立とは、大きな喪失の過程でもある。いままでの生活世界、人とのつながり、温かい家庭を築くという夢…世界は安全だという基本的信頼感。それらがすべて奪われる。・・・けれども、幸せを心から猪戸ってくれる「だれか」がいれば、被害者自身も幸せになりたいと願いつづける勇気、なれるかもしれないという希望を取りもどすことができる。
▽59 「幸せになんてなってはいけない」と思いこんでいた人には、過去の呪縛から解き放たれるための言葉が必要になる。未来を捕捉する言葉が必要になる。人はなにかが、もしくはだれかが、自分の安全を守ろうといしてくれていると感じるときにのみ、人として生きられる。
現実のもろさや危うさのなかで、未来を捕捉することは実際にはできないからこそ、希望を分かちあうことによって未来への道筋を捕捉しようとする試み。予言。約束。願い。夢。
▽70 ブルーオーシャン(競争相手のいない一人勝ちの世界)とレッドシー(競争の激しい既存のマーケット)
恐らく多くの人はほんとうはブルーオーシャンを好む。問題はどこにブルーオーシャンがあるかは、あらかじめわからないことだ。
ブルーオーシャンを見つけるには…異なる文化に住み、日本にはないけど便利なものとか役に立つものを見つける。2つめは、ランダムな組み合わせ。3つめは、とにかくレッドシーから離れること。
▽104 感情労働 頭を使う「頭脳労働」にたいして、気を遣うのが「感情労働」
…医師に負けず劣らずホスピタリティに欠けている集団を見つけた。米国の入国審査官である。9.11以降、年々尊大さと無礼さが増している彼らのブースにも「スマイル0円」のステッカーを貼ってあげたい気がする。
▽116 弱さを抱えたままの強さ
すきがある、とか、つけ込まれやすい、というのはまさにヴァルネラブルということなんだ。
▽126…「弱さを抱えたままの強さ」をめざすことは、むしろ男性にとってより意義深いのでは…自分の弱さを認め、「鎧」を外し、肩の力を抜き、市全体でいられる男性のほうがむしろ強くて、魅力的だともいえる。そのことを、多くの傷ついた男性たちが、回復過程のなかで示そうとしている。
▽147 膨大な情報をフィルタリングするだけで大変。…手にしたものがつまらない情報だと、ほっとしてくる。だって捨てられるから。逆におもしろい情報があるとあせる。フィルタリングの動きが滞ってしまうから。ほんとうはおもしろい情報を探す作業のはずなのに、本末転倒だなぁと思う。
▽181 母を見送る 「いつか自分が死ぬときが来たら、子どもたちになにを願うだろう」…「ただ幸せに生きていってほしい」ということしか思いつかなかった。だから、母も層なのだろう。
生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。幸せでいるからね。見送りの言葉はそれだけで十分な気がした。
▽201 ワシントンDCの、ベトナム戦没者記念碑 1982年に建造。デザインや設計者をめぐってはげしい論争が起こった。
…実際に記念碑の前に立ったとき…感動が沸き起こらないことに気づき、あせった。正直な感想は「なんだか、みじめだなぁ」というものだったのだ。
建造に、帰還兵をふくめて多くの反対意見が出たことも、…
設計者マヤ・リンは冬至21歳のイェール大学の学生だった。匿名参加によるコンクールで選ばれたのである。中国系米国人の彼女には、帰還兵の心情を理解できない「他者」「アジア人」「女性」「子ども」という視線がずっと投げかけられつづけた。
…傷は…熱をもち、ウジがたかり、悪臭を放つことすらある…傷をさらけ出す人間には嫌悪感を覚える。
リンは傷にたいする人びとのそういった否定的な感情をもふくみこんだ上で、記念碑をまぎれもない傷跡としてデザインした。
…ベトナム戦争は唯一「負け」に終わった戦争であり、正当化の論理に疑義を呈されつづけてきた。米国の歴史の「汚点」「恥」である。その痕跡が、男根的象徴ともいうべきワシントン記念塔のすぐそばんい、半ば隠れた形でありながら、だからこそ逆に傷としての意味を先鋭化させる形で刻みつけられ、残されているのである。自分たちがいつも正しいと信じたがっている誇り高き米国の権力者たちが、それを許容してきたわけである。静かなおどろきのようなものが、わたしの身体を充たしていく。
▽218 トラウマに関わる仕事をする場合、「二次的外傷性ストレス」や「燃えつき」が起こりやすいことはよく知られている。わたしも、自分でも「トラウマ漬け」にならないよう、休養や楽しい時間をもち、バランスを保つことを心がけている。それでも無力感や疲労感はしんしんと積もっていく。
(〓その無力感〓、力が出ない感覚。それが蓄積していく。動かないとそれにつぶされるし、動くと新たなトラウマを発掘してしまう。楽しく動くしかない)
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