MENU

タブノキ ものと人間の文化史<山形健介>

■法政大学出版局250613
 大宮の図書館でたまたま見つけて斜め読み。能登の多くの神社では、タブノキは南洋とつながる神木としてあつかわれている。折口信夫も「タブの木」の重要さを随所で指摘していた。
 以下、能登などに関係あるところだけ抜粋。
・富山や石川県の海岸はタブが多く、能登半島は巨樹が多い。舳倉島にあったツママはタブ。島には大きな木はこれしかなかった。
・タブは汎用性の高さが最高。堅く、弾力性があり、油分が多く、耐水性、とりわけ耐塩水性が高い。樹皮、枝葉には粘性成分のほか、さまざまな薬用成分を含み、……「船舶材」としては古代からつかわれていた。
・生の時はやわいけど、枯れたり乾燥すると実に堅くなる。タブは枯れると目が締まる
・珠洲には「樟木」と書いて「タビノキ」と読む珍しい苗字がある。輪切りにして臼などをつくった。
・能登には意外に照葉樹が多い。アテは江戸時代に東北地方からもちこんだといわれる。照葉樹のなかでは、クスノキより圧倒的にタブのほうが目立つ。
・タブ粉で線香 六甲の烏原川をせきとめた烏原貯水池。堰付近の護岸の石積みに、直径50センチほどの丸い石が規則的に埋めこんである。タブ粉をつくのにもちいた石臼。160個ほどならんでいる。
……ここから東の住吉川や芦屋川あたりは、たくさんの水車が回っていた。多くは灘の酒米を精米するためだが、菜種油をしぼり、タブ粉をつくための水車もあった「線香の粘結材としては……タブ粉が上質とされる」
・タブの実の味はアボカドに似ているという話も
・能登はタブへの思いが強い地で、多くの神社で神木ように扱われている。いくつかの神社には、大きなタブの幹に鎌を打ちこむという神事がある。金丸駅の北西に「鎌の宮神社」〓 無社殿で、タブが御神体。100本を超える鎌がうちこまれている。中能登町・藤井の住吉神社にも鎌が打ちこまれたタブ。七尾市の江泊・日室集落 諏訪神社。鎌が打たれた大きなタブノキ。
・出雲平野の「築地松」というより「築地林」。主役のひとつがタブ。「自然植生から考えると、シイかタブノキの照葉樹林……」だった。
・折口信夫 タブにふれているのはわずかだが、谷川健一は折口のタブが「ずっと気になっていた」
 「南方から漂着した日本人の祖先の民族渡来の記念樹がタブの木だという主張である。そのタブの木を目印にした海人たちのあったことを折口は推測している」
・タブが海や黒潮と深いつながりのある木だ……。私たちの祖先はタブで造った丸木舟に乗り、南方から黒潮に乗って北上し、タブの森のある海岸にたどりついた。
・意識をもって組織をなして渡来した人々。集団で新天地での生活を切り拓こうとやって来た。たどり着いたのはタブがしげる海岸だった。タブは彼らの故郷にもあって、その香りにも材にも慣れ親しんだ木だった。というより、彼らは海上から島や陸地を発見し、さらにタブを見つけて喜び、そこに舟を向けて上陸した。タブがしげる地は生活の安心を約束してくれる地であった。
・折口にとって、「古代信仰の元の姿」を復活することが、新しい民俗学、国学を打ちたてることだった。それは消えかかっていたが、タブは古代のままの面影を残していた。私たちの祖先が、渡り来たってタブに生活の未来を託したように、折口には、民俗学や国学の未来をタブに託すといったような思いがあったのかもしれない。
▽宮脇昭
・佐渡はタブが多い。
・輪島の北東10キロ、小高い崖の上にある櫟原北代比古神社 タブが5本、社殿を囲む。上時国家の階段の両脇にタブの大木。金蔵寺にも大きなタブ。須須神社の社叢
・小浜と舞鶴のあいだの大島半島の「ニソの杜」 死者を供養したこの地独特の聖なる小さな森が30ほどある。
……イヌグス、モチノキとタブを呼んでいる地域も
……三陸、日本海側も。飛島はタブの島

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次