■作品社250405
自らの歩みとがんの体験をもとに死生観をうきぼりにしていく。
世間知らずの女子学生をつれて、佐渡から隠岐まで島渡の逃避行をするなどのハチャメチャぶり。その枠からはずれた破壊力を自覚して「スサノヲの弟子」を自称する。
22歳で1週間の断食断水をし、龍笛や横笛を学び、30歳から滝行、47歳以降「神道ソングライター」として、350曲以上の歌を作詩作曲してきた。毎朝、石笛・横笛・法螺貝を奉奏し、30種ほどの民俗楽器を演奏する。
ステージ4のがんを宣告され、死を目前にすることで、死を「光源」として生命の輪郭が鮮明になり、感謝を強く感じ、いっそう覚悟が定まり、死ぬまで「遊戯三昧」したいと思えた。
ニーチェは、「精神」と呼んでいる小さな理性は、身体という大きな理性の道具なのだと説いた。「腸は第2の脳である」「肝に銘ずる」という日本人の身体感覚に近い。真言や念仏・題目は100回、千回唱える必要がある。遍路で般若心経を唱えつづけるのは脳ではなく身体で体感する意味がある。
ニーチェはまた、病気は衰弱の過程ではなく、「全器官」の「洗練」の過程であると言った。重い病苦に悩む者は、鮮明に外部の事物を見渡せるようになる。たしかに死を前にした人はいろいろな感覚が鋭敏になる。さらにすすめば、だれもが「成仏」できのかもしれない。
遠藤周作は「死について考える」で、「死」に際してとる態度は、①ジタバタ型と、②諦念・従容型があるとし、前者の究極の姿はイエスの受難だったという。非常に苦しんで死んだが、その死に方を聖書は肯定した。信者は、そのイエスの死に自分の苦しみを重ねて考える。②の典型は釈迦だった。
遠藤は、「死というのは、たぶん、海みたいなものだろうな。入っていくときは冷たいが、いったんなかに入ってしまうと…」というセスブロンの言葉をひき、「冷たいから叫んだって、もがいたっていいんです。それが通過儀礼としての死の苦しみでしょう。しかしいったん入ってしまった海は…永遠の命の海で、その海には陽光がきらめくように、愛がきらめている…」とつづった。
筆者は同様のことを次のように表現する。
--死ぬには力もいるし…おたおたするかもしれないが、私たちがこの世に生まれることができたのだから、あの世に出ていくこともさほど心配せずとも「いける」と思うものである--
--死とは、生まれた時から、わが身に立ち合ってくれている「最初の友人」であり、「最後の友人」でもある。その「友人」と親しくなろう! その友人と遊ぼうよ!--
死後の世界の理解は専門家に聞いても千差万別だ。そうした議論のちゃぶ台を返したのが一遍だった。熊野権現に夢のなかで「信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず」その念仏札を配るのだ、と諭される。
「となふればホトケもわれもなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかりして」と詠んだら「まだ信不徹底だ」と指摘された。
「となふればホトケもわれもなかりけり 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」と直した。
前者ではいまだ対象化されていた念仏と阿弥陀如来が、後者によって、「仏も我」もなくただ「南無阿弥陀仏」の絶対他力の念仏があるのみ、という、あらゆるものが対象化できないところに行き着いた。
これこそが、宗教体験にあらわれる神話的時間、「永遠の今」であり、空海の「即身成仏」思想につながる。
「病をきっかけとして新しい旅=探求がはじまる。そして、自他を共に励まし、よりよく生きる道標となる」というアーサー・W・フランクは、病になった際、4つの指標をチェックすることを説いた。
①コントロール=病院が強いる規則やルールなどの制約にたいして、患者自身が主体的に、自己のQOLやADLを維持することができるか。
②欲望=自分なりの大切な欲求を自覚し、表現して、行動に移せるか。
③他者とのかかわり=家族や友人や知人や看護師など、身のまわりの近しい他者に開かれているか。
④自己の身体との結びつき=自己をたもち、自己の身体を感じて、それを基体として生きられているか。自分の身体を客体的な医療データのみで測って生活していないか。
死病をかかえた人とともに生きる経験をすると、この4指標の大切さは身にしみてわかる。
グリーフケアの講座では、はじめに「宗教学」「芸術」をまなぶ。痛みや悲しみに対処する最古の文化が宗教であり、人間理解の基盤である文化の根幹に芸術・芸能があるからだ。
「体は嘘をつかない。が、心は嘘をつく。しかし、魂は嘘をつけない」
問題の核心は「ウソをつく心」だ。心は体と魂の両方を架橋し、双方に複雑な影響をあたえる。心は、あらゆる経験を毒にも薬にも転換できる。
心が嘘をつくはたらきを逆手にとって、「嘘」や空想を伸ばし、通常なら考えつかないようなことまでイメージさせ、心の収まりをつけるワザが芸術だ。だから、宗教と芸術・芸能にふくまれる身心変容技法は、グリーフケアやスピリチュアルケアとしてはたらく。
日本三大悲嘆文学として筆者は「古事記」「平家物語」「苦界浄土」をあげる。
石牟礼は、民衆が、論理の言葉ではなく、歌の言葉や口承芸能の世界のにどっぷり浸って生きていることを肌身で知っていた。「森羅万象と人間とか別々でない」「アニミズムの世界」から水俣病の苦しみを描いた。
古事記は、 「産巣日(むすひ)」と「修理固成(おさめ、つくり、かため、なす)」を主調音とする。母イザナミの死をなげくスサノヲは、父と姉から二度にわたり追放された荒くれ者だったが、出雲に降り立つと、八岐大蛇退治という浄化をなしとげる。
平家物語の主調音は「無常」と夢の儚さと悲哀である。最終巻で「国母」だった徳子が、平家一族の「全痛み」をシャーマンのように物語り、それを、かつての政敵である後白河法皇たちが「傾聴」し、ともに涙を流す。まさにグリーフケアだ。
キューブラー・ロスは、死の受容を①否認と孤立②怒り③取引④抑鬱⑤受容の5段階で説明した。「否認」から「受容」にいたる葛藤の過程があることをあきらかにした。
彼女の主著「死ぬ瞬間」全12章の扉に掲げたタゴールの詩に筆者は注目する。タゴールは41歳で妻を亡くし、42歳で次女を亡くし、43歳で父を亡くし、46歳で末子を亡くしている。
①死の恐怖について
危険から守られることを祈るのではなく、恐れることなく危険に立ち向かえるような人間になれますように。
痛みが鎮まることを祈るのではなく、痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。
恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように。
成功のなかにのみ、あなたの慈愛を感じるような卑怯者ではなく、自分が失敗したときに、あなたの手に握られていることを感じるような,そんな人間になれますように。
⑩私は「あなたの使者」の訪問を受け入れるほかないけれども、まだまだ私の心は揺れ動いている。覚悟や決意とともに自分の頼りなさや寄る辺なさが浮き彫りになる。最後までお荷物なのは「私の自我」であるが、それが「あなたへの最後の供え物」となるのだ。
⑫器の中の水は光る。海の水は暗い。小さい真理は明瞭な言葉をもつが、大きな真理は大きな沈黙をもつ。
シシリー・ソンダースっもキューブラー・ロスもウィトゲンシュタインも深く詩を味わう人たちであった。「詩」や「芸術」は本質的にケアの力をもち、孤独な人の心にはたらきつづける。
「死別は単なる喪失ではなく、出会い直しでもある」という。亡くした人の思い出や共有した経験を反芻し、新たな意味の発見や気づきをえることは、ともにあり得たことへの感謝の気持ちにつながる。たしかにそういう一面はあるような気がする。
2024年正月の能登半島地震で、能登半島は日本列島の脳髄・後頭部「奥の奥」であり、そこからの真の「むすひ」「修理固成」が実現しなければ、日本列島の再生はできないと直覚した。
同様の話を何度も筆者から聞いている。はっきりはわからないが、その直覚がただしいのではないかと思えてきつつある。
最後にしめされた「詩」。「犬も歩けば棒に当たる」は実感としてよくわかる。歩かなければ「棒」にあたることもないのだから。
わが道は 犬も歩けば 棒に当たる 恵まれたる 無通の道なれば 通れ!
わがいきの さいごのといき どこにふく いのちはてても よはおわりなし
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▽24 世間知らずの女子学生をつれて、佐渡から大阪経由で隠岐まで島渡の逃避行。どれほど周りを心配させれば気がすむのか。
▽26 ぼくは、ほとんど、「やくざのおやぶん」になっちゃったよ。なぜなら「スサノヲの子分」だからね。この世の枠から外れっぱなしだからよう。
▽28 源義朝は風呂場で、鎌田正清は酒に酔わされて殺された。そこで、子孫の鎌田家は、正月に酒を神棚に供えることも、飲む事も禁じて今日にいたった。
それを大正12年の正月に祖父が破り、その年の9月1日に関東大震災がおこり、わが家が破産の憂き目にあった。
(父の)田中義実と母が結婚。昭和41年に「酔って転んで死ぬ」。この年の正月は、知り合いが、わが家に酒を持ってきたという。3月17日の深夜のオートバイ事故で死ぬ。
昭和47年の正月にもある人が酒をもってきた。7月、集中豪雨で県内で1軒だけ山崩れにのみこまれて全壊した。
(平家の落人伝説〓)
▽33 大宮の妻の実家へ…櫛引氷川神社
▽34 私にとって二大「楽しい行動」が比叡山登拝と「ガン遊詩人・神道ソングライター」として全国各地を旅してまわり、行脚御祈祷・朗唱歌唱していくことである。後者をやり抜く基礎行として前者の東山修験道が必要なので…
死を光源として、死を活源として生きる。死が目の前にあることによって、生のかたちもいのちのいぶきもより鮮明になる。
死は、「在る」ということの全体を照らしてくれる。死は自分の生と思っているもの、いのちと思っているものが「無い」ものとなる、なくなってしまう、消滅してしまうと思える事態だからである。
…死を光源としていのちの輪郭やありようが鮮明になる。
▽39 ニーチェ あなたが「精神」と呼んでいるあなたの小さな理性も、あなたの身体の道具なのだ。あなたの大きな理性の小さな道具であり玩具なのだ。
…近年の腸内フローラの発見にともなう「腸は第2の脳である」という議論などは「肝に銘ずる」とか言ってきた日本人の身体感覚にもかなり近づいてきている。
がん患者の私など、腸のほうが頭よりも「えらい」し「深い」と感じることが頻繁にある。理性とか思考とかは腸内環境の変化で随分変形・変容するのだ。
…ニーチェにかかれば、病気は弱体化の衰弱過程ではない。「全器官」の「洗練」の過程である。「病者の光学」から「健康な概念と価値」とやらを見渡してみる。
「身体はひとつの大きな理性だ。ひとつの意味をもった複雑である。戦争であり平和である。矗群であり牧者である」
…重い病苦に悩むものは彼の状態から、恐るべき冷酷さをもって外部の事物を見渡す。…苦痛による最高度の覚醒…
それが実現できれば、まちがいなく、ほとんどの「病人」が「成仏」するだろう。
▽50 ジョルジュ・ムスタキの「私の孤独」という曲。孤独が最後の唯一のともだち、いつもぼくによりそい、つきしたがってくれた、相棒のような存在、という内容だった。…人は孤独に親しむこともできれば、死に親しむこともできる。
▽57 帯津 ホリスティック医学は「人間まるごと」ですから、病が治る、治らないにとどまらずその先、つまり死後の世界まで視野に入れた医療をめざしている。
▽59 死ぬには力もいるし…おたおたすることもあるかもしれないが、私たちがこのようにこの世に生まれ出てくることができたのだから、あの世に出ていくこともさほど心配せずとも「いける」と思うものである。楽天的かなぁ。
▽61 真言も念仏も題目も、、、1回2回ではそのこころがわからない。少なくとも100回以上、千回、万回以上…が必要なのだ。(お遍路の意味〓)
▽62 本居宣長 相続・命日・墓の作り方…終活の収め方がみごと。小林秀雄の「本居宣長」は、遺言書についての考察からはじめられる。
…「もののあはれを知る」という主情的な美意識が「源氏」の通奏低音として流れていることを主張し、…儒教による勧善懲悪説など、様々な解釈にまみれていた「源氏」をそのような「説経節」から解放した。
宣長は、天地人倫の道理とか死後のありようなど、いくら考えてもわからないので、その不可解をよいことに、こざかしく理論をこねあげて…それらはみな外来の儒教や仏教などの「さかしらごと」である、と。わからんものはわからん、とあきらめ、そんな不明なことに煩わされないよう日々の務めをはたして生きるよりほかない、と。
▽66 平田篤胤 宣長の「没後の門人」を自称。宣長は「古事記」第一主義。死んだらイザナミのように「黄泉の国」に逝くほかない、という見解を保持した。
篤胤はそれに真っ向から挑む。
妻を31歳でなくし、2人の男の子も亡くしている。その母子たちの死後の安寧は篤胤にとってきわめて切実な問いであった。
…顕幽両界のうち前者は天皇、後者がオホクニヌシが最終責任者という世界観。
▽76 専門医のセカンドオピニオンを求めたくなるが、適切な医師を見出すことは簡単ではない。…けっきょくは主治医まかせに成らざるを得ない。というのが多くの患者が経験していることだろう。
死後の世界のこともよく似ている。
「信」と「不信」の往来を全部うっちゃるようなちゃぶ台返しをした人が一遍上人である。熊野権現に夢のなかで「信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず」その念仏札を配るのだ、と諭される。
となふればホトケもわれもなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかりして
これではまだ信不徹底だと指摘されよみ直した。
となふればホトケもわれもなかりけり 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
未だ対象化されつづけていた念仏と阿弥陀如来がいっきょに主客未分の一如の境位に躍り出た。もはやそこには「仏も我」もなく、ただ「南無阿弥陀仏」の絶対他力の念仏があるのみである。…こうしてあらゆるものが対象化できないところに行き着いた。それを一遍は「南無阿弥陀仏が往生するなり」とも言いかえる。
これこそが、宗教体験のなかにあらわれでる神話的時間、永遠の今である。空海の「即身成仏」思想の延長線上にある。
▽93 病をきっかけとして新しい旅=探求がはじまる。そして、自他を共に励まし、よりよく生きる道標となる。そのような旅を,アーサー・W・フランクは「菩薩的英雄の物語」とよぶ。
病におちいったとき身体はさまざまな抵抗を示す。
①コントロール ②欲望 ③他者との関わり ④自己の身体との結びつきの4つの指標からチェック。
①病院が強いる規則やルールなどの制約にたいして、患者自身が主体的に、自己のQOLやADLを維持することができるか
②自分なりの大切な欲求を自覚し、表現して、行動に移せるか。
③家族や友人や知人や看護師など、身のまわりの近しい他者に開かれているか。
④自己をたもち、自己の身体を感じて、それを基体として生きられているか。自分の身体を客体的な医療データのみで測って生活していないかどうか。
▽95 「痛み」を受け止め、その痛みに耐えるには、他者の「たすけ」がいる。また、歌や芸術や芸能による表現や浄化が必要である。
▽96 グリーフケア 受講生最初に受講する座学科目が「宗教学」 痛みや悲しみに対処してきた最古の文化が宗教。グリーフやペインや苦悩があるから、その意味と解決を求める「宗教」が生まれた.人間の心と行動、文化や文明の奥底には「宗教」ないし「宗教性」があり、広く言えば「スピリチュアリティ」にかかわる次元や領域がある。
宗教の次には芸術 人間理解の背景や基盤として文化理解が必要で、その根幹に宗教と芸術・芸能の営みがあり、両者の成り立ちは切り離せない。
宗教と芸術・芸能は、多様な身心変容技法を含み、それはグリーフケアやスピリチュアルケアとしてはたらく。…ケアの臨床や実践現場を深め拡張するためには「芸術や「芸能」についての学びは必須。
▽101 心は嘘をつくから、心を治めることは容易ではない。その嘘をつくはたらきを逆手にとって、自由自在に「嘘」や想像や空想を伸ばし、進展させ、通常なら考えつかないようなことまでイメージさせて、心の収まりをつけるワザが芸術である。
「日本画2 描くことの源泉へ 発想の源を遡る」にもとづいて「写生」という技法が「いのちを写す」ワザであること。
「ミュージック・サナトロジー」死にゆく人たちに届く音楽経験としてのハーブをもちいたミュージック・サナトロジー。
▽105 能とは平和と健康を呼び込む公衆衛生的芸能。その根底には、言霊の幸はう「和歌の道」がしっかりと息づいている。
…日本三大悲嘆文学は「古事記」「平家物語」「苦界浄土」の3つであると主張してきた。
…石牟礼は「民衆」が暮らしの生活文化の中で、論理の言葉ではなく、歌の言葉や口承芸能の世界のなかにどっぷり浸って生きていることを肌身で知っていた。…「森羅万象と人間とか別々でない」「アニミズムの世界」であった。
▽117 キューブラー・ロスの死の受容の5段階説
①否認と孤立②怒り③取引④抑鬱⑤受容
重要なことは「否認」から「受容」にいたりうるという葛藤の過程があることを広く認識せしめたこと。
…私ががんを告知されて思ったのは「5段階」をたどることのない、いきなりの「受容」もあるのではないかという実感と、「怒り」ではなく、「感謝」というべき感情の生起もあるのではないかという気づきであった。
むしろ告知後もっとも悩ましかったのは、自分自身で受容することよりも、家族や友人にどのように伝えるかであった。
▽118 私は1998年1月6日に酒を飲むのを辞めた。あるとき声がきこえてきて、その日から一番好きなものを2つ断った。それから25年がたつ。「おまえはおのれの欲望におぼれている。おまえがこの世で使命を果たしたいなら、おまえの欲望を超えなければならない」。からだが一番に欲望する飲酒をその日から止めた。
▽123 曼殊院には「菌塚」がある。5月に供養の儀式が行われている。日本の「感謝教」文化の発露ではないだろうか。
▽123 キューブラー=ロスは、「死ぬ瞬間」全12章の扉にタゴールの詩を掲げた。
タゴールは41歳で妻を亡くし、42歳で次女を亡くし、43歳で父を亡くし、46歳で末子を亡くしている。
①死の恐怖について
危険から守られることを祈るのではなく、恐れることなく危険に立ち向かえるような人間になれますように。
痛みが鎮まることを祈るのではなく、痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。
恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように。
成功のなかにのみ、あなたの慈愛を感じるような卑怯者ではなく、自分が失敗したときに、あなたの手に握られていることを感じるような,そんな人間になれますように。
⑩私は「あなたの使者」の訪問を受け入れるほかないけれども、まだまだ私の心は揺れ動いている。覚悟や決意とともに自分の頼りなさや寄る辺なさが浮き彫りになる。最後までお荷物なのは「私の自我」であるが、それが「あなたへの最後の供え物」となるのだ。
⑫器の中の水は光る。海の水は暗い。小さい真理は明瞭な言葉をもつが、大きな真理は大きな沈黙をもつ。
…シシリー・ソンダースっもキューブラー・ロスもウィトゲンシュタインも深く「詩」を味わい,解する人たちであった。
その彼女たちの「詩心」のなかに、ケアに関わる心やスピリチュアリティがにじみ出ている。「詩」広く「芸術」は本質的にケアのちからを潜在させ、その前に立つ孤独な人の心と冷静に微妙かつ深遠にはたらきつづけるのである。
▽145 スピリチュアルケアとは、「嘘をつけない自分や他者と向き合い、対話的な関係を結び開いていく試みとその過程」
「体は嘘をつかない。が、心は嘘をつく。しかし、魂は嘘をつけない」
問題の核心は「ウソをつく心」。心は体と魂の両方を架橋し、双方に影響を与え、実に複雑で絶妙なはたらきをする。心は、どのような経験をも事象をも毒にも薬にもすることができる。
▽147 「死別は単なる喪失ではなく、出会い直しでもある」という側面も否定できない。死者と対話し、ともに生きることもできる。亡くした人の思い出や共有した経験を反芻し、新たな意味の発見や気づきをえることは、つらく悲しい反面、共にあり得たことへのありがたさと感謝の気持ちも生まれることもある。
…死別による喪失は悲嘆(グリーフ)を生みだす。だが、当時に、かけがえのなさの感覚や感謝の気持ちや死者とともにあるという思いをも生みだす。心はどちらにも揺れ動く。とすれば、そのような揺れ動く「心」の声をごまかしのきかないかたちで明確に聞き取りそれに向き合うことこそ、グリーフケアにとって最肝要なことではないか。
▽149本居宣長は、霊や目に見えない世界はわからない不可知の領域だから、そんなことに頓着しないのが日本人で、それが「安心なき安心」の心の境地なのだと言って、霊の領域をあえて探究しなかった。宣長が雅と光と昼の神道論者だとsれば、平田篤胤は闇の部分に焦点を当て、物の怪と夜の神道論を展開した国学者である。宣長の「もののあはれを知る国学」に対していえば、篤胤のそれは「物の怪の消息を知る国学」であり、魂の行方を探す神道である。
▽155 遠藤周作の「深い河」棄教こそこそしなかったが神父になり損なった大津にこう言わせている。…大津には「生命」の「序列」や存在の位階、ヒエラルキーに納得できない「感覚」がどうしようもなくあった。その感覚は「汎神論的な感覚」で、…「草木国土悉皆成仏」と命題化したこの「泥沼」の日本。「唯一絶対」を限りなく相対化し、その他のなかに溶かし込んでしまう習合「地獄」。「絶対」を持てない思考と感覚。
…絶対的ヒエラルキアの思想と相対平等の思想との間で揺れ動きつづけたアンビバレントな遠藤周作。
「死について考える」のキーワードは「死に支度」「死に稽古」 遠藤によると、この「死に稽古」に2種の態度がある。①ジタバタ型 と ②諦念・従容型。①の究極の姿として、イエスの「受難」をあげ、②の典型例として「釈迦」をあげている。
イエスは…非常に苦しんだ死に方です。しかもその死に方を聖書は肯定しているわけです。そのうえ、キリスト教の信者は、そのイエスの死に自分の苦しみを重ねて考えるようになってしますから…
▽166 セスブロンの言葉を書きました。
「死というのは、たぶん、海みたいなものだろうな。入っていくときは冷たいが、いったんなかに入ってしまうと…」
冷たいから叫んだって、もがいたっていいんです。それが通過儀礼としての死の苦しみでしょう。しかしいったん入ってしまった海はーー永遠の命の海で、その海には陽光がきらめくように、愛がきらめている…
▽174 スサノヲは、父と姉から二度にわたり追放されたどうしようもない荒くれ者。…高天原から追放されて出雲に降り立ったスサノヲは、見違えるような救済神に大転換する。
…最大の穢れと負の感情のなかにいたスサノヲが、荒ぶりの発動の果てに、八岐大蛇退治という浄化を経験して世界統合と調査の「むすび」を完成させた.霊の真柱を打ちたてた。
▽177 古事記は、日本書紀のような勝利者の勝利宣言の書ではない。
「産巣日(むすひ)」と「修理固成(おさめ、つくり、かため、なす)」が主調音。
平家物語の主調音は、「無常」と「夢」の儚さと悲哀である
▽185 平家物語の最終巻 「国母」という最高位についた徳子が、平家一族の「全痛み」を背負ってシャーマンともいえる語りの力で、その「痛み」と「悲しみ」を物語るのである。それを、かつての庇護者にして政敵ともなった後白河法皇たちがひたすら「傾聴」し、ともに涙を流す。これ以上のグリーフケア・スピリチュアルケアはあるだろうか。
▽187 歌物語であった「古事記」と同様に、「平家物語」もその全体が「歌物語(謳物語)」であった。
…清盛よりもいっそう平徳子こそ「諸行無常」の極みであり哀切である。
その悲痛の極みのものでもこのように極楽往生したと語ることで、「平家物語」は敗者鎮魂の物語を成就したのである。
▽193 がんになって、感謝を強く感じ、いっそう覚悟が定まり、死ぬまで「遊戯三昧」で行きたいと思う。…気持ちよく「諸国一見のガン遊詩人」をつづけているうちに、がんくんも身体内諸国一見の遍歴をつづけていたようで、脳にも肺・肝臓・リンパへのも転移…
▽195 2024年正月、能登半島地震。能登半島は日本列島の脳髄・後頭部だと感じた。日本の[「奥の奥」]「芯の芯」。そこからの真の「むすひ」と「修理固成」が実現しなければ、日本列島の再生も賦活も不可能だと直覚したのだ。
▽197 真脇遺跡の縄文スピリット・マインド・ライフとわが居住地の比叡山という、両方ともに貴重なる聖地霊場文化を切り結びたいと痛切に思った。
…阪神大震災とオウム真理教事件後、1996年から1年間「宗教を考える学校」という連続講座を天河曼荼羅実行委員会主催で開催。その活動や…があつまって1998年に「東京自由大学」を設立した。
①ゼロから始まる、いつもゼロに立ち返る、②創造の根源に立ち向かう、③系統だった方法論に依拠しない、いつも臨機応変の方法論なき方法で立ち向かう、をモットーに…。
▽201 宮内勝典「ぼくは始祖鳥になりたい」。黙示録的預言書。
▽212 高校生の頃、学校の教師と宗教家にはなりたくなかった。両者とも臆面もなく説教すると思っていたから。
…大学院を修了して最初に勤めたのが高校だった。
「犬も歩けば棒に当たる」人生、「捕らぬ狸の皮算用」人生。
▽215 小学5年のころ、「ぼくが医者になって、放射線治療でばあちゃんの病気を治したる」と千軒下。すると祖母は「やめてくれ、高野山に行って坊さんになってくれ」と言った。
22歳のころ、1週間の断食断水をし、龍笛や横笛の修練に励み、30歳から滝行をはじめ、36歳で「魔・魔境」を体験。…47歳以降「神道ソングライター」を自称し、350曲以上の歌を作詩作曲して歌うようになった
祖母は毎朝、朝日に向かって手を合わせ、小さな祠をていねいにおまいりし、三味線をつまびき、毎晩晩酌1合をおいしそうに飲んだ。
(〓毎朝仏壇の前で 石松のご先祖様今村のご先祖様日蓮様朝日様鬼子母神様)ととなえていた祖母。内孫のことは祈るがぼくの名前はなかった。なんでだろう、と思った)
…断食によって、「気は実在する」「仙人も実在する」確信した。仙人は気を食べて生きる存在である。
ヘビースモーカーだったのが断食後、、50メートル先からタバコの臭いがしてくると、体が受け付けなくなるまでに変化した。それは「心変わり」ではなく「体変わり」であった。
▽218フロイトやユングは、身体性の回復ないし希求というテーマの先駆者だった。身体知の開発とボディーワーク型のアプローチは1960年代後半以降に大衆的広がりを店、ニューエージやカウンターカルチャーなどのスピリチュアル・ムーブメントを生みだし、それは意識や理性によりどころを置いたモダンの次に来るオルタナティブなポストモダン的知と考えられた。
だがこうしたアプローチは1995年の地下鉄サリン事件によって危険視と警戒感と瞑想を生みだした。
21世紀、スピルチュアルの流行という揺りもどしがきたようにみえるが、20世紀後半に広がりを見せた身体知の探究は深まりを見せているとは言いがたい。安易な占い志向やオカルト趣味や俗流神秘依存に流れているように思う。
▽226 毎朝、石笛・横笛・法螺貝を奉奏するだけでなく、30種類ほどの民俗楽器を演奏する。その実践を通じて、音・響きがもつ繊細きわまりない変容の作用と、大胆極まりない転換の能力のすさまじさを実感してきた。
▽229 死とは、生まれた時から、わが身に立ち合ってくれている「最初の友人」であり、「最後の友人」でもある。その「友人」と親しくなろう! その友人と遊ぼうよ!
▽239 わが道は 犬も歩けば 棒に当たる 恵まれたる 無通の道なれば 通れ!
わがいきの さいごのといき どこにふく いのちはてても よはおわりなし
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