■ちくま文庫20220707
野坂昭如は、戦災で妹を亡くした経験を「火垂るの墓」に書き、小説家だけではなく歌手や参院議員もつとめた。
卑猥な歌詞だからこそ生活感情がこめられている。それを文部省やNHKが変更し禁ずることに怒る。
柳田国男らは生活に根ざした歌を収集したが、春歌は活字にしにくいから、消え失せてしまう。このままでは、毒にも薬にもならぬおめでたい歌詞だけになってしまう、と危機感を感じて全国を取材して歩いた。
春歌といっても、伝える場によってずいぶん異なる。
農作業の唄は、労働の単調さをすくう効果だけでなく、働く歓びや収穫祈念の意味もあり、作業の経過に応じて変化した。
静岡県・川根の茶所の娘たちは、性には開放的で、昭和になっても夜這いの習慣が残っていた。「高尾まいり」では、若い男女が大部屋に泊まり、お互い異性を知ることが習慣となっていた。
春歌は、おおらかな生のよろこびをうたっていた。
一方、「女工哀史」に代表されるきびしい労働に明け暮れた機織り娘たちの春歌直接的な卑猥さで、むしろ悲鳴に近い。
〽おめこしてもよい、させてもよいが、中にとどめる子に困る、〽おまえそんなにもとまで入れて、中で折れたらどうなさる 〽ありがたいぞえまた日が暮れる、おかげでおめこがまたできる。
ここでの性の営みは、苛酷な労働からの逃避だ。農耕社会から機械に移ることで、人間らしさの失われていく典型が見えるという。
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▽11 稲こき、地引網、土つき、馬力曳き、炭焼き、石炭採掘、それぞれ近代化の波にのみこまれてしまった労働の、その特殊性から産み出された唄、すたれるもののうめきを肌身に感じ撮りたいのだ。
▽19
(労働とともにあった歌のかなりの部分は春歌〓)
▽26 夜見(弓)ケ浜(鳥取) 皆生温泉の海潮園
▽27 安来節 もとは中海で物葉(もんぱ)というアオサに似た海藻を、採取するときの櫓の動きにあわせた唄なのだそうな。「物葉節」といわれ、「さん子節」に名をかえ、さらに「安来」を名のり、全国に広まったのは大正のはじめ。
……「アラエッサッサッ」を舞台と客が唱和し、一体感がうけたものという。
▽56 上野駅はぼくにとって、もっとも駅らしい駅。いかにもここには人生がある感じで……上野駅はいかに電化されようと、蒸気機関車の臭いがしみついている。
(〓上野はおいらの心の駅だぁ、とうたっていたじーさん)
▽71 安芸と備後 夜ばいを唄ったものが多く……この美習が失われたのは、エジソン発明の電灯の普及によってだという。
▽71結婚してしまうと、しごく貞節なのだが、未婚の娘はいかに派手に男を引き入れようと、家族に見つからなければよい……
▽82 当時、……戦後における新潟花柳界の全盛時代だったろう。小生はなかの一人にぞっこん惚れこみ、といっても……待合の炬燵をはさんでさし向かい、トランプの七並べをするくらいのこと。
▽101 歌詞が卑猥であるといっても、だからこそ以前の農民の生活感情がこめられているので、どういう立場からにせよ、これを変更し、あるいは禁止することは、それこそ文化を圧殺するに等しい。PTA的発想に、さしもの教育県も毒されているのではないか(長野県)。
▽104 夜這いの歌 夜這いの美習
▽108 (生活に根ざした歌は)柳田国男、高野辰之といった大先達が採取しているけど、いわゆる破礼な文句は活字にしにくいから、つい消え失せてしまう。今、聞き書きでいいから保存しておかないと、……毒にも薬にもならぬおめでたい歌詞だけになって、これほど多様な民謡の、そのひとつひとつにこめられたわれわれのご先祖の恨みつらみ、またよろこびの気持ちが、消滅してしまうのだ。
……明治世代に押されっぱなしだった。30年40年後の者に、われわれが伝えるべき唄はあるのだろうか、CMソングや、フォークソングがそれになるのであれば、いささかわびしい気がいたしますなあ(はるかに多様で〓生活に根ざしていた)
▽114 農作業の唄は、単調さをすくう効果だけでなく、働くことの歓び、収穫を祈念する意味合いがあり、作業の経過に応じて変化したけれど、機織り唄にはタダ一種。農耕社会から機械に移ることで、人間らしさの失われていく典型がここにもあるので、それだけにまた、歌詞はきわめて直接敵な卑猥さを漂わせる。農作業のそあれはおおらかな生のよろこびがみられたけれども、機織りの場合は、むしろ悲鳴に近い。現在の文明社会において、人間性をとりもどすため、やみくもに性にかじりつくその萌芽の如きものがすでにうかがわれるのだ。
〽おめこしてもよい、させてもよいが、中にとどめる子に困る、〽おまえそんなにもとまで入れて、中で折れたらどうなさる 〽ありがたいぞえまた日が暮れる、おかげでおめこがまたできる。
ここに唄われている性の営みは、むしろ苛酷な労働からの逃避であって……機織り娘たちの、万一はらみでもしたら、一巻の終わりだから、子どものできることを怖れつつ、しかしこのことより他に手軽な慰安はないのだ。
▽117 秩父観音札所 何番札所かわからないが、慈母観音とやら、乳房もあらわに授乳するなまめかしい仏様が鎮座ましまし……
▽121 〽いやだいやだと畑の芋は、かぶりふりつつ子ができる
▽131「休みにここに帰ってくると、よく同年輩の男たちに誘われた。どこそこのなんとかいう娘のとこに今晩行こう、なんてね。そりゃ盛んだった。夜勉強していると窓の下に窓の下に若い娘が来とって、娘のほうから夜這いをかけることもめずらしいこっちゃなかった」
▽161 大井川線「終点をセンズリといいます」ギョッとしたが「千頭」であった。この線はしょうしょういかがわしい名の駅「スルガトクヤマ」「カミオ」「フクヨ」なんてのがあるらしい。
〽桃がよいかよ、桜がよいか、ももとももとの合いがよい、……茶摘みの唄。
茶摘み 近くをいい男が通れば、唄で囃し立て、飴売りがすぎると、それを題材にする。性的内容のものも沢山あって……
▽163 性的ふるまいについてはかなり自由であったらしく、……大井川鐵道が昭和7,8年だから、(電気がついたのは)その少し後だったかなぁ。夜這いといえば明治のことときかされていたのに、、昭和にも残っていた。
▽164 この地方は夜這い以外にも、25日に「高尾まいり」というしきたりがあって、若い男女がこの日、参詣のために登山し、大部屋に泊まる、ここでお互い異性を知ることが、一種の習慣となっていたという。
▽169 「ソーダ村の村長さんが死んだソーダ、ソーシキ饅頭でっかいソーダ」(これ、俺も唄ってた)
▽172 〽おへその下にも宿屋ができて、親は日帰り子は泊る 〽主さんただ今おかえりか、なんのごちそうなけれども、さあさお上り腹の上、具合のよいのが腹の下……
▽179 夜這い「ほかにたのしみはないからねぇ」といったとたん「ぼぼだぼぼだとえばるなぼぼよ、ぼぼはちんぽの植木鉢」「〽ゆうべ3番けさまた2番、髪は乱れる腰なえる」
■解説
▽185 津軽半島のある村で、、昔は民謡の歌詞の数が、いまとは比較にならないほど多く、しかもその大半が猥褻なものであったと聞いた。
……猥褻な歌詞は、民謡の古層に属し、文字を記すすべを知らず、どのような歴史にも書かれていない人々の本当の息吹はそこに隠されている。
1971年
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