■岩波新書20220513
博報堂の営業担当だった筆者が、原発プロパガンダの変遷とそのねらい、効果をあきらかにしている。広告主に弱いメディアと、その弱点を広告代理店がたくみに利用してきたことがよくわかった。
3.11以前、「原発は日本のエネルギーの3分の1」「絶対安全」「クリーンエネルギー」「再生可能なエネルギー」という内容が、広告でかならず使用された。
原発をめぐって、1970年代から福島原発事故までの約40年間に使った広告費は2兆4000億円。国内で年間500億円以上の広告費を使うトヨタやソニーのようなグローバル企業さえ使い切るのに50年近くかかる金額だ。
電力会社は独占企業で、すべての経費を原価に計上できる総括原価方式であるため、巨大な広告費も電気料金に上乗せすることができた。
広告費は、原発にトラブルが発生するたびに膨脹した。チェルノブイリ事故後は「社会主義国の旧型原子炉で起きたもので,条件が異なる日本では絶対に起こらない」とアピールした。
巨大広告費のねらいは、メディアへの圧力だ。メディアにとって電力会社は、広告掲載料を定価で払ってくれてありがたい。反原発の番組や記事が出ると、メディアに広告の削減をちらつかせた。「メディアの弱み」を原子力ムラに指南したのは広告代理店だった。
90年代以降、テレビキー局やローカル局で、電力会社が夕方のニュース番組を数多く提供した。
かつてメディアは原発広告を自主規制していたが、オイルショックで広告が激減し、朝日新聞が全国紙でいちはやく原発の意見広告を掲載。それに他紙も追随した。
そんななか、1976年に田原総一朗が「原子力戦争」を刊行すると、電通がテレビ東京に「連載をつづけるならスポンサーを降りる」と圧力をかけ、田原は連載をつづけるかわりに会社をやめた。
1988年に青森放送が「核まいね 揺れる原子力半島」を放映すると、原燃は巨大スポンサーの力を使って青森放送の社長の首をすげかえ、報道製作部を解体し、番組を終了させてしまった。 「プルトニウム元年・ヒロシマから~日本が核大国になる……」をつくった広島テレビは、中国電力と電事連から執拗な抗議を受け、報道局長やディレクターら4人を営業局に飛ばした。
2000年代の電力会社は、放射性廃棄物の処分場問題で大規模な広報活動を展開した。
福島第一原発事故で「原発は安全」が崩れ去ると、原子力ムラは安全性への言及をあきらめ、「原発は日本のベースロード電源」「火力発電は二酸化炭素を排出するので、環境にやさしくない」「原発停止による割高な原油の輸入は国富の流出」といったロジックをつくりだし、「放出された放射能の危険性は小さく、健康への悪影響はない」と事故の影響を矮小化しようとしてきたという。
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▽1970年代から3.11までの約40年間に使った広告費は2兆4000億円(朝日新聞)。これは国内で年間500億円以上の広告費を使うトヨタやソニーのような巨大グローバル企業さえ、使用するのに50年近くかかる金額だった。
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▽9 18年間「博報堂」で営業現場に勤務。
▽10 3.11以前の原子力ムラは、
・原発は日本のエネルギーの3分の1をになっている。
・原発は絶対安全なシステム
・原発はクリーンエネルギー
・原発は再生可能なエネルギー
これらは、ひとつひとつの広告のなかでかならず使用するように決められていた言葉。……その結果……国民の8割近くは原発推進に肯定的だった。
▽12 ローカル企業の集まりにすぎない電力会社が、グローバル企業と同等の広告費を40年以上も投下してきた。……地域独占企業体なのだから、本来は巨額広告費を必要としないはず。広告費を使う理由は原発。広告費の原資はすべて、利用者から集めた電気料金。……電力会社は独占企業であり、すべての経費を原価に計上できる総括原価方式であるため、宣伝広告費をすべて原価とし、電気料金として利用者に請求できた。
▽17 ローカルで大手と言われるような企業(銀行など)でさえ年間広告費は多くて5億円程度。関東一円にしか販売網をもたないローカル企業である東電の広告費が200億円というのは異常な額。……トラブルが発生するたびに膨脹してきた。
▽21 巨額の広告費を払うことで、その広告を掲載するメディアに暗黙の圧力を加える。……事故以前の電力会社は、広告掲載料のディスカウントを要求せず、定価で払ってくれるありがたいお得意様だった。
……反原発の記事があると、広告を担当する営業局に文句をつけ、広告出稿の削減をちらつかせて圧力を加えるのが常套手段であった。こうした「メディアの弱み」を原子力ムラに指南したのは、広告代理店だった。
▽25 「原子力産業協会」金融機関を含めた433社が登録。この名簿こそが、「原子力ムラ」の一覧にほかならない。
▽25 2000年代以降、3要素が密接にからみあって国民を洗脳。
・あらゆるメディアを使用した広告展開
・電気事業連合会によるメディア監視
・巨額広告費を背景にした言論封殺
▽27 90年代以降、全国テレビキー局およびローカル局において、夕方のニュース番組を数多く提供していた。
▽29 電気事業連合会によるメディア監視 意向に反する記事に対しては訂正を要求する行為をくりかえし、プレッシャーをかける。
……広告費が大きくなるほど、メディアの側は批判的報道を自粛する傾向が強くなる。
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▽41 サラ金の広告を載せなかったように……原発広告を以前は自主規制していた。オイルショックで広告が激減するなか、朝日新聞が全国紙でいちばんはやく原発の意見広告掲載を決断する。それを見て読売も毎日も……「広告審査がきびしい朝日が大丈夫ならうちも」と。
▽44 1976年、田原総一朗が「原子力戦争」を刊行。電通がテレビ東京に「こういう連載をつづけるならスポンサーを降りる」と圧力。……「連載をやめるか、会社をやめるか」という選択を迫られた。……連載をやめないで会社をやめた。
▽61 1973年美浜原発事故隠蔽、81年に敦賀原発事故事故、91年細管破断事故。福島は深刻な事故に見舞われず、地元紙も経済的恩恵をうたう紙面作り。
▽63 チェルノブイリ 東電は事故の86年に121億円だった普及開発関係費を翌年150億円に引き上げ「社会主義国の旧型原子炉で起きたもので,条件が異なる日本では絶対に起こらない」と必死にアピール。
▽77 1988年、青森放送の「核まいね 揺れる原子力半島」 科学技術庁や日本原燃からクレーム。青森放送の社長の首まですげかえて、報道製作部を解体し、番組そのものを終了させてしまった。……原燃は安定的で巨大なスポンサーの権力をフルに使い、報道製作部まで解体させてしまった。
▽81 チェルノブイリ後、メディアにいっそう多額の「広告費」という飴玉を配りつつ、……91年に「原子力PA(パブリック・アクセプタンス)方策の考え方」を策定する。
その指針に従い、90年代は表現テクニックにおいても完成形に到達した。……御用学者に加えてタレントや知識人を出演させた対談形式を多用し……
▽82 90年代における新聞広告の出稿数でいえば、96年の新潟日報が最高。巻原発建設の可否をめぐる住民投票を有利に運ぼうとした。
▽100 マスコミと個人的関係を深めておく。日ごろから、役立つ情報をできるだけ早く、積極的に提供しておく。記者にとってありがたい存在になる(その通り〓)
▽103小中学生対象の「原子力の日ポスターコンクール」 2011年の事故後、市民団体の抗議により中止。
▽107 広島テレビ「プルトニウム元年・ヒロシマから〜日本が核大国になる……」中国電力と電事連から執拗な抗議を受け、制作した本人を含む報道局の4人が営業局に配置換え。報道局長、次長、プロデューサー、ディレクターの4人が営業局へ。
▽109 大量の広告出稿にかかわらず、新潟日報は公平な報道。
▽116 2000年代の原発prの特徴。放射性廃棄物の処分場問題がいよいよ深刻化し、大規模な広報活動を展開。
▽120 2000年代の重要なキーワードは「原発は二酸化炭素を排出しないクリーンエネルギー」というロジック。
……2008年に雑誌「ソトコト」に掲載された電事連広告にあった「原子力発電はクリーンなエネルギーのつくり方」というコピーについて、JAROは「発電時に二酸化炭素を出さないことだけを捉えて「クリーン」と表現するべきではない」と結論づけ、それ以降の広告表現で安易な「クリーンエネルギー」表現は減少した。
……2015年になり、再稼働推進のために、政府はまたもや原発は発電時に二酸化炭素を出さない、などと言いだしている。
▽123 在京キー局の夕方のニュース番組を数多くスポンサードすることで、ネガティブ報道を牽制。……「対報道番組スポンサードシフト」とは、テレビ局を押さえることによって新聞社の報道にまで影響を及ぼすことができる……
▽135 原発事故発生 電通は、東電広報とともにメディア各社をまわり批判的な報道を牽制していたが、しだいに情報統制をあきらめ……
2010年から大量の原発広告を出稿した東芝も、自社HPの広告ライブラリーから原発に関連する広告画像をすべて削除。
▽144 事故後、最初の大がかりな原発広告の再開が、2013年、電事連と日本原燃が東奥日報に掲載した30段広告。
2014年1月から「週刊新潮」。
「原発が停止すると、割高な原油を購入しなければならず、膨大な国富のマイナスとなる」という新しいロジックを展開。
▽148 広告のなかでタレントが語るセリフは、広告主側があらかじめ用意している。
▽150 事故以前は、
・原子力発電な安全である
・原子力発電はクリーンエネルギーである
・原子力発電は日本のエネルギーの3分の1を担っている
の3本柱がほぼ盛り込まれていた。2000年以降はさらにプルサーマルによる核燃料リサイクルをPRするため
・原発は再生可能なエネルギー、という表現。
事故後、つくりだされたフレーズは次の3項目。
・原発は日本のベースロード電源
・火力発電は二酸化炭素を排出するので、環境にやさしくない
・原発停止による割高な原油の輸入は国府の流出。
▽153 六ヶ所村再処理工場を経営する日本原燃と福井のもんじゅを経営する原研には共通項がある。どちらも巨額の税金を投入しながら事故や故障がつづき、一度もまともに操業していないことだ。
▽156 もんじゅは、1兆円以上の税金を投入した果てに95年のナトリウムもれ事故以来、一度も正常運転していない。2013年には「無期限運転停止処分命令」を受けた。
▽157 安全性をうたう広告がほぼ不可能になるなかで、原子力ムラは安全性への言及をあきらめ、……原発事故の影響を極力矮小化し、「事故で放出された放射能の危険性は小さく、健康への悪影響はない」という「安全神話」の流布へ。
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