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映画「風の島」<大重潤一郎監督>

■20240115
 1983年に沖縄の陶芸家・大嶺實清氏が西表島の沖にある無人島・新城島(パナリ)でつくられていた土器「パナリ焼」を復活させた際の記録映画。
 パナリ島はシーカヤックのツアーで訪ねたことがあったが、無人島に古い土器文化があったことなどは知らなかった。
 ソテツと石灰岩と雑木におおわれた海抜25メートルの周囲3.6キロの島にはかつては500人が住んでいた。調理や漁労などにつかったと思われる岩があちこちにころがっている。
 50センチも掘り起こすと、土器づくりにぴったりの良質の土地がある。
 その土に、シャコ貝やヤコウ貝などをくだいて混ぜる。土だけでは細かすぎてひび割れするからだ。ロクロにつかった円盤状の回転台も見つかった。こうして、土器の作り方は「島が教えてくれる」と言う。
 土器を黒っぽい風化した琉球石灰とともにドーム型に積みあげ、北側に風穴を設ける。そこに北風が吹き込むと、石灰岩まで燃えあがり、ひと晩で石灰は真っ白な砂になり、そのなかに独特の赤い肌の土器が完成する。
 土器制作には強い北風が不可欠だった。漁にも出られない冬、村ぐるみで土器をつくっていた……そんなライフスタイルが浮かび上がってきた。
 古代人の土器づくりを再現することで、古代人の心、暮らし、息づかいにまで近づいていく。完成した土器をつかって、タコや魚、シャコ貝を煮て食べる姿は、縄文人そのものだ。土器を再生することによって縄文の暮らしと知恵まで再現された。
 パナリという島があって土器がある、島の風土が記憶をのこしてる。それを「命の継承」と表現する。
 でも逆もまた真ではないか。
 土器というモノを再現することで、縄文の暮らしや思想が再現され、眠っていた記憶が再生された。

 映画を見ながら、能登地震の被災地を思いおこしていた。
 下見板張りの黒い家々が海岸にならび、北風を防ぐニガタケの間垣が集落を囲む。キリコ祭りや田の神様の祭り、アマメハギなどが受け継がれる。
 そんな伝統的な信仰と生業と風土への信頼感が、かつて珠洲の原発計画を阻む原動力になった。

 2007年の地震でも2500戸の家が全半壊したが、それによる死者はゼロだった。能登は強かった。伝統的な木造建築への信頼を深め、昔ながらの町並みが復活してきた。祭りをつづけ、神々と交流する文化も細々とだが継承してきた。
 今回、「能登の家は弱い」となったら、一気に風景が変わってしまうのではないか。あの下見板張りの家々は消えてしまうのではないか。村や町の風景がかわると、精神や信仰も薄れてしまうのではないか。能登は能登でなくなってしまうのではないか……そんな危惧を感じる。
 「孤立集落に住むのが悪い。1カ所に移住させたほうが効率的」「僻地に住むのは自己責任だ」という意見がネットで散見される。
 でも、同規模の災害が東京や大阪でおこったらどうなるか?
 流通は途絶え、電気もガスも水も止まり、井戸水もない。野菜も入手できず多くの人が露頭に迷うだろう。そんな大都市に住む人間は災害時には「自己責任」で苦しんでもらえばよいのか?

 能登の知人のたくましい姿も伝わってきている。
 壊れた屋根に協力して青いビニールシートをおおう作業をしている。
「みなさん、昼間は炊き出ししながらワイワイ。ただ夜は、集会所や車の中、家の中で大丈夫そうなところや納屋で泊まっているとのこと。余震と寒さが大変だと思いますが、山水、プロパン、自分たちでつくった米や野菜など、逞しく生きてます」
「山からの湧水で冷たい思いをしながら洗濯しなければいけないんだという話を聞いたので、山水を農業用のタンクに溜めて軽トラで運び、これまた農業用のポンプを使って二艘式洗濯機に水を注ぎ洗濯機を回してあげました」
「うちの田んぼ、水路がぐちゃぐちゃでしばらく復旧できない。集落の同意をとって仮設住宅用地として市に提供するつもり」……
 能登の強みはコミュニティーの強みだ。コミュニティをつくりだしているのはたんなる人間関係だけではない。環境や農漁業、祭りといったさまざまな条件が大切だ。
 パナリ焼きの再生をたどりながら、能登が能登でありつづけられるようにするにはどうすればよいかと考えていた。

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