■王様文庫
中宮彰子につかえていた和泉式部が語り手として、同僚の紫式部や、彰子のライバルの中宮定子とその下の清少納言らついても解説するという組み立て。
中宮定子が清少納言らをあつめて最高の文化サロンをつくっていたが、道長のごりおしで彰子も中宮になり、そこに紫式部はつかえた。
一条天皇は定子が大好きだったから、彰子が懐妊するのは結婚から9年後。だが定子がはやくに亡くなったこともあって清少納言はおちぶれ、彰子と紫式部らの時代がやってくる。
紫式部はずっと年上の夫とのあいだに娘がうまれたが、結婚2年で夫が死ぬ。さびしさをまぎらすよう書いた「源氏物語」が評判を呼んで、彰子の家庭教師役としてつかえることになった。仕事は、家庭教師のほか彰子の出産の記録と「源氏物語」の執筆だった。
恋人がいないことをなげくかと思ったら、夜中に訪ねてきて戸をたたく道長をなだめ、酔っぱらって手を出そうとする男を袖にして……。恋愛のさやあてを短歌で表現するのがおもしろい。
花山天皇は藤原道兼に「いっしょに出家します」といわれて出家するが、道兼は逃げてしまう。だまし討ちによって天皇の座を追われるが、生来の女好きは出家してもなおらない。
兄弟同士でドロドロの権力争いをくりひろげ、権力者へのおべんちゃらで出世するヤツらがいて、一方で、アンチ道長を貫いた硬骨漢(藤原実資)もいる。平安貴族はなかなかキャラが立っている。
清少納言のことは「知ったかぶりの恥知らず女」「利口ぶって漢字を書き散らしてる」と紫式部はつづる。清少納言は定子没後は行方はわからなくなり、「鬼の如くなる形の女法師」などの落魄話ばかりが伝わっている。
華やかだった定子の時代をなつかしむ風潮を消し去り、「もはや彰子さまの時代なのよ」と宮廷中に知らしめることが自らの役目と任じていたという。
清少納言への辛辣な悪口を見ると、紫式部っていやなヤツだたなと思うが、自分のことも「物思いに沈んでばかりのネクラ人間。……何かと人の欠点が目について気になるタイプ。嫌いな人とは一緒にいたくないし、それがまた顔や態度にでちゃうのだから、我ながら面倒な女だわ」。そして、「高慢ちきな女」といわれるのがいやで「天然ボケ」を演じたら好印象をもたれた。
当時の貴族社会のちょっとしたトリビアも興味深くて勉強になる。
・公卿(3位)、その下が殿上人(4、5位)までは昇殿できる。その下の「地下」は昇殿できない。
・天皇はけがれにあってはならないから、后は、実家にもどって出産した。
・貴族の女は、親族以外の男性に顔をさらすことはほとんどなかった。顔を見られそうになると、長い黒髪で顔を隠す。古語で「見る」という語は「結婚する」という意味をもっている。
・美人の絶対条件 ふさふさとした美しい黒髪
・斎院 賀茂神社と下鴨神社に奉仕した未婚の皇女・女王。伊勢では「斎王」だったが、平安初期に賀茂神社にも斎王をさだめたため、伊勢の斎王は斎宮、賀茂は斎院となった。
・平安時代、祭りと言えば「賀茂祭」(葵祭)
・紫式部が出仕したころには定子は亡くなっており、清少納言は宮中を去っていた。
・髪は4メートルも。貴族の女性の洗髪は年に数回程度。
・平安時代は妻問婚。子供は妻の家で育つ。財産は娘が相続するなど、女系社会の家族形態。だから天皇の外戚である外祖父が権力をもてた。
・叔父と甥っ子の争いを勝ち抜いた道長。兄の息子をけ落とす
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