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眠れないほどおもしろい おくのほそ道<板野博行>

■王様文庫241015
 芭蕉の弟子で「おくのほそ道」の旅に同行した曽良が「おくのほそ道」の世界を紹介するというしつらえ。
 芭蕉の「おくのほそ道」は事実をつづった紀行文だと長らく思われてきたが、1943年の「曽良随行日記」の発見で、フィクションがかなり混ざっていることが明らかになった。芭蕉の「見てきたようなうそ」をあきらかにしていく様子がまずおもしろい。
 名句とよばれる句がどんな背景でできあがり、なにが斬新で、なにがすごいのか、どこがフィクションなのかという解説も興味深い。
 たとえば「古池や 蛙飛びこむ 水の音」
 古来、蛙をとりあげる際は鳴き声を詠むのが常識だったのに「飛ぶ蛙」を詠んだのが新着想だった。「静と動」の両方を際立たせ、永遠の一瞬をとらえたと評する。
 「五月雨を あつめて早し 最上川」は、当初は 「さみだれを あつめてすずし もがみ川」だった。だが、最上川の流れははげしくて「すずしい」なんて穏やかな川ではないから修正した。
 同様に、「暑き日を 海に入れたる 最上川」は当初は「涼しさや 海に入れたる 最上川」だった。「涼しさ」を「暑き日」とかえることで、最上川の水に流された灼熱の太陽が西の海に沈んでいく壮大な光景を浮かび上がらせた。
 「荒海や 佐渡に横たふ 天の河」は有名な句だが、芭蕉が出雲崎に滞在したときは雨続きで、実は天の川など見えなかった。
 「松島やああ松島や……」は芭蕉作ではなく、田原坊の狂歌だというトリビアもはじめて知った。
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▽松島やああ松島や……は芭蕉作ではなく、田原坊の狂歌がもとになっている。
▽連句の発句が独立した一つの句だと意識して詠まれるようなると、発句は「俳句」と称されるようになり、俳諧文学の主流を占めるようになった
▽室の八島 東国の歌枕として都まできこえた名所で、栃木市にある大神神社境内にある。この神社は大和国の大神神社の分霊を勧請して創建。
▽源融の「信夫文知摺石」 村人が巨石を下の谷に突き落としてしまった。明治になって発掘され、現在は普門院境内に保存されている。
▽福島市飯坂町の医王寺 佐藤継信・忠信の墓
▽「あやめ草」は今でいう菖蒲のことで、いわゆる「アヤメ」とは別のもの。菖蒲はサトイモ科、あやめはアヤメ科。
▽さみだれを あつめてすずし もがみ川
 はじめは「すずし」だったが、川下りの船にのると、そんな余裕をかましている場合ではない。それで下記になったというが、本当は、危険だから大石田では舟にのっていなかった。
 五月雨を あつめて早し 最上川
▽出羽三山 手向は羽黒山麓の門前町 全盛期には「宿坊」が336坊もあった。
 羽黒山を「生の山」、月山を「死の山」、湯殿山は「生まれかわりを祈る山」
 湯殿山の神秘は「語るなかれ」「聞くなかれ」「問わず語らず」
 なぜそこまで厳しいのか。御神体は熱湯のわきでる巨大な岩。湯口は女性の陰部に似た形をしている
 ……湯殿山には「地に落ちたものを拾ってはならない」という習わしがある。道に落ちているお賽銭を拾う人はいない。
 ……全国に現存する即身仏17体のうち10体が湯殿山系の即身仏といわれている。
▽「涼しさや 海に入れたる 最上川」→「暑き日を 海に入れたる 最上川」
 涼しさを「暑き日」とかえたところに天才を見る。
▽佐渡に流された文化人・政治家などが都の文化を伝えた影響から、さまざまな伝統芸能が受け継がれた。なかでも能は、世阿弥が流されて以来の伝統を受け継ぐ。江戸時代、佐渡には200をこえる能舞台がつくられた。京都の「着倒れ」、大阪の「食い倒れ」、佐渡には「舞い倒れ」という言葉がある。

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