■無頼の点鬼薄 <竹中労> 20100516
亡くなった人への追悼の辞。さすが竹中、そのなかにも毒がふんだんにこめられる。彼が好きな人間は個人として法律や秩序にとらわれずにたたかった人間である。そのなかには三島由紀夫も入る。逆に嫌うのは、日本共産党をはじめとした、官僚的でふぬけた左翼であり、戦後民主主義的な文化人である。
彼自身、「孤立をおそれて連帯を求めて」共産党に入った。その自らの過去を「そこには無垢な本能の発露はなく、知性に頼る人間の傲慢があった。……日共を除名され、個の自由、への解放を遂げるのに、それから何という長い歳月を、ボクはすごしたことだったろう」と書く。
さらに「戦後民主主義は戦前異端とされたもろもろの毒を、正統とし権威とすることで、骨抜きにし解毒してしまった」と。
そんな流れに抗する人々、三島や大藪春彦、性の解放を求めた高橋鐵……らの側に彼は立つ。
ソ連というご本尊を拝むイギリスの正統左翼を難じたオーウェルと似ている面も感じる。なにより「自由」を大事にした。座標軸で言えば、共産党-社会党左派-本田靖春-オーウェル-竹中=大杉栄 といった感じだろうか。
羽仁五郎への哀悼の気持ちと、彼が婿入りした羽仁家への批判の鮮やかなコントラストは圧巻だ。羽仁五郎は革命的学生を支援し、花柳幻舟と浮き名をやつした。そんな部分に竹中はほれた。そうした羽仁の行動は「自由学園」的だった羽仁家への反発だったのではないか--と竹中は分析する。
そして、五郎の遺体をテレビにさらし、悲しみに来た人に未亡人は顔も見せぬ……という羽仁家を「テレビカメラを入れて死顔を曝し、説子夫人と花柳幻舟の握手をグラビアで撮らせたとき、美意識は失われて屍は見せ物となり、最悪の儀式と化した。無神論は人民の闘いにとってまるで有効ではなく、かえってグロテスクな宗教的迷妄を創り出すことを、如実に証明してしまった」と罵倒する。そして、「子だろうと妻であろうと、人の死を私してはならない。葬式を遺族にはまかせず、他者がとりしきる美風は、そのためにあるのだ」と説く。そう、死は「ワタクシ」してはいけないのだ。
そして竹中は創価学会も一定程度、評価する。「おちこぼれの窮民を100万単位で済度して、生きる力と希望をあたえた信仰に対して、小生は一切の偏見と予断を抱かない。むしろ、謙虚にこれを評価する」と。
彼の精神の自由さに驚くとともに、左翼に暴力的決起をうながす彼の文章が新聞や週刊誌に載っていたという「社会とメディアの自由さ」に驚かされる。それだけ「自由な言論」の幅が広かった。お行儀がよくなることが、言論の幅を狭めているのだということが、現在のメディアの体たらくを見るとよくわかる。
========================
▽三島由紀夫
三島を評価する一方で、三島を批判する進歩的文化人のふぬけた態度を「二・二六直後の知識人も、同じ憂慮を抱いたが、みずから反社会的潮流に身を投じ、右へではなく、左へ棹さそうとする勇気をもたなかった」と切り捨てる。
左翼の側で評価するのは、「新左翼の側にも何人もの三島をつくらねばならない」という言葉を評価し、知行合一は、戦闘的左翼の側に、正しく継承されなくてはならない」と説く新左翼の滝田修らの言説だ。
▽「野獣死すべし」の大藪春彦 「ギリギリの状況では善も悪もない。その怖ろしさを知っている僕らアプレゲールの生き残りには、心のどこかにぽっかり空洞が出来て、容易には群れのなかにとけこむことができない」。空洞とは、戦後民主主義のいわゆる連帯である。
▽高橋鐵 戦前左翼として投獄体験をもつ。戦後、「性の解放」を目指したが、それを抑止したのは、警察権力であるよりも前に、民主革命を唱えた左翼だった。
▽羽仁五郎 「ミケルアンヂェロ」は、敗戦焦土の青春を鼓舞した。強権に圧殺されぬ人間究極の自由をこの書物は指し示し「私闘の論理」の一根基を形成した。そして全共闘世代にとって「都市の論理」は革命の教科書だった。
(竹中は)「自由学園」羽仁もと子ふうの左翼ブルジョワ趣味を嫌悪した。もと子は「家計簿」の元祖。「羽仁家は、いわば自由の犬神家、お化け屋敷である」
「自由学園」的だった羽仁家のなかで、五郎は反発を感じていたのではないか。それが革命的学生支援であり、花柳幻舟との不倫だったのではないか。「瘋癲老人」の擬勢だったのではないか--と。
▽
大田区は、旧大森区と蒲田区が昭和22年に合併してできた。
創価学会員 わが家の大家も中華ソバ屋も……とうぜん、夜討ち朝駆けの折伏です。「あなたは才能がありながら、世の中に出ることができない。共産主義などという邪悪な教義を信じているためですよ」。おっしゃるとおり……
反創価学会キャンペーンに対する逆襲の論陣を潮に展開したことを批判された。……おいこら、あたしゃ学会など礼賛しないよ。民衆に恩義を受け、おのれ自身も一個の窮民であった者が、民衆の側に立つのは当然じゃないか。池田大作にお味方するのでは断じてなく、庶民を擁護しているのだ。おちこぼれの窮民を100万単位で済度して、生きる力と希望をあたえた信仰に対して、小生は一切の偏見と予断を抱かない。むしろ、謙虚にこれを評価する。
▽映画
最良の喜劇「幕末太陽伝」「集金旅行」 山田洋次はダサイ。寅はカッペで、農協のオジン・オバンにしかコミュニケーションできないのである。
「二百三高地」「連合艦隊」の主題歌で反戦を訴えるなどと正気で口走る月収1千万円のウタ屋(さだまさし?)……五所平之助が映画を撮れず、大島渚も長いインターバルを余儀なくされた状況に対置して、このような体制がある。これが戦後民主主義の正体である。
▽映画「祇園祭」と伊藤大輔
映画資本から、創造の手段を奪い返す運動を!と、蜷川虎三に働きかけてスタートする。全国革新自治体を縦断して上映すれば製作費を十二分に回収できるとふんだ。
左翼史観は、祇園会騒動を町衆民主主義一揆と規定する。日共系列の小説では、町衆が自治を回復し、入れ札=選挙による「自治」という名の秩序回復を果たすという流れになる。実際は、租税の不払い運動は4年しかつづかず、町衆の氾濫は市民的秩序に吸収され、戦国の暴力的支配によって根絶やしにされた。竹中らの構想では「革命」があり、町衆が武装蜂起を通して、「自由・平等・博愛」のコミューンをつくりあげたと想定する。最後、祇園会の復活が、神権抜きで人民の手で執行されるシーンで、革命のエネルギーを炸裂させよう……と。1万人のエキストラで、深作欣二、土本典昭、大島渚……がみんなで撮影して……と構想した。ふぬけた民主主義ではない、庶民の圧倒的エネルギーを表現しようと構想した。
が、日共府委員会の妨害で挫折する。竹中は日共・中央委員会文化部に直属するオルグだったが、日共府委員会と府庁官僚の策謀で「祇園祭」制作の場から追放される。そして党から除籍とされる。
「キネマ旬報」の編集長白井佳夫が解任されて、連載を打ち切られた。その背景にも、「反共文化運動のタクトをふる竹中労」を追放する日共の策動があった。キネマのオーナーは児玉のブレーンだが、それと結ぶことで竹中の追放を実現させた
▽美空ひばり
聴いてみたい。なぜ竹中も本田も、当時の庶民もひばりの歌に酔いしれたのか。
「哀愁波止場」……戦後民主主義、くそくらえのひばり節。封建遺制と教養ある人は顔をしかめ、「ひばりの歌には国際性がない、なぜなら彼女は浪曲の世界を謡っているからである」などと見当違いを並べ立てました。
「ひばりの佐渡情話」。日本赤軍のコマンドたちは、あなたの歌声を聴いています。
コメント