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不当逮捕<本田靖春> 講談社文庫

■不当逮捕<本田靖春> 講談社文庫 20100523

 戦後直後、検察に食い込み、昭電疑獄などの事件で特ダネを連発した読売社会部の事件記者・立松和博は、豪放磊落で、カネに糸目をつけず、徹底的に遊び、女という女を落としたが、いつも満たされない何かを感じていた。唯一の彼の生きる柱が「書く」ことだった。だが、赤線業者と政治家の癒着を巡る「誤報」を理由に政治家への名誉毀損で逮捕される。
 取り調べの検事は執拗に「ニュースソースをあかせ」と迫る。言論の自由の侵害であると、他紙も含めて団結し、釈放を勝ち取るが、読売は政治家と手打ちし「誤報」と認め、立松を閑職にとばしてしまう。トカゲの尻尾を切ったのだった。
 立松逮捕の背景には、戦後の一時期GHQによってパージされていた戦前からの思想検事の流れと、戦時中は思想検事派に追われていたが戦後GHQ民政局をバックに力を伸ばしたグループの確執があった。前者が後者を追い落とすために、後者から情報を得ていると目される立松を逮捕したのだった。
 昭電疑獄のときは、GHQの主導権を握っていたのは日本国憲法などをつくった進歩派の民政局であり、それに対抗する保守派の参謀第2部が進歩派に近い芦田内閣を打倒するために捜査機関を後押しした。ところが、「逆コース」がすすむにつれ、財閥やそれと結ぶ政治家による支配が強まり、もはや検察には財閥や政治家と正面から渡り合うだけの力はなかった。
 立松の栄光と挫折は、そんな時代背景によるものであり、それは「社会部の読売」の、ひいては新聞業界全体の栄光と挫折と重なっていた。立松事件を契機に、政治家の不祥事を暴く特ダネは紙面に載らなくなり、社内の官僚化が進むことになったという。
 筆者は、後輩として立松の栄光と晩年を見てきた。戦後直後、輝いていた読売社会部を心から愛し、それゆえに立松を切った会社に怒りを抱く。立松という1人の記者のなかに「戦後民主主義」の輝きと衰退を見る。
 立松とその両親をはじめ、登場人物それぞれの履歴を丹念に描いている。それぞれが生きた明治・大正、昭和を描いているから、「戦後」の意味が重層的にたちあらわれてくる。そしてなにより、立松という先輩記者の悲劇への悲憤が冷静な記述の裏に重奏低音のように流れていて胸が詰まる。
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 ▽88 事件記者はファクツが新聞の生命であるという基本原理の忠実な実践者であり……事件の修羅場をくぐり抜けていない遊軍育ちを、文弱の徒として白眼視する傾向にある。▽206 政府・与党と検察の2つの権力がせめぎ合う凄絶さ……
 ▽237 取り調べにあたって相手がインテリであるほど落ちやすい、……彼を気弱にさせた最大の原因は完全な情報からの隔絶であった。
 ▽241 
 ▽245 立松を新聞社というとにもかくにも戦闘的な集団から心理的に断ち切ると、彼に残るのは打たれ弱さと隣りあわせの育ちのよさである。〓
 ▽249 現職裁判官が検察を批判……物言える雰囲気がどこにもあった。
 ▽315 GS(民政局)の主流をなしていたのは進歩的ニューディーラー。GⅡ(参謀第2部)と対立。昭電疑獄は、芦田内閣打倒を狙ったGⅡの陰謀であったという説がほぼ定着している。GS、ESSの思い切った民主化政策に不快感を抱いていたGⅡは、高官に尾行をつけ、そのスパイ役を演じたのが警視庁だった。
 ▽323 現職の閣僚から前総理、副総理まで下獄させた昭電疑獄の徹底追及も、その動きを的確にフォローしてスクープを放ちつづけた立松の活躍も、GHQという超権力の内部分裂がもたらした時代の気まぐれでしかない。
 造船疑獄捜査の頓挫は、GHQにかわった保守支配体制が検察を圧倒する権力を確立していたことを意味する。検察の出番が封じられると同時に、立松が光芒を放つ場も失われていたのである。
 立松はその認識を欠いたまま舞台に復帰しようとして陥穽にはまった。
 ▽333 戦後しばらく、新聞記者は大学生のあいだで、最も人気の高い職業だった。民主化を推し進めようとするGHQの一連の占領政策によって、新聞の役割はにわかに高まり、新聞記者は時代の寵児となったのである。
 ▽345 
 ▽347 攻めに攻めて負けを知らなかった強者が守りに回ったときの予想外の弱さであり脆さであった。……彼が得意とした、もっぱら官の側に身を置くニュースソースに依拠し、恩恵的に与えられる情報の入手に全精力を傾ける取材方法は、そのころから過去のものになりつつあった。そうしたやり方は、官の側にその意図があれば、情報操作に記者が利用されやすい危険をはらんであおり、そこまで行かなくても、知らず知らずのうちに記者が官の立場を反映し、代弁する傾向につながって……。そういう反省から70年代に米国におこったのが、新聞社独自の綿密な調査・取材に重点を置く、インベスティゲイティブ・リポーティングだった。
 突き詰めると、与えられた言論の自由か、奪還した言論の自由か、という根本のところに行きつくのだが、占領政策の枠内とはいえ、うっとうしかった戦前・戦中に較べれば青空の下にいるような時代に新聞記者の職を得て、立松は社会部の寵児にのしあがった。
 ▽361 
 ▽368 立松は「虚」を生きているように振る舞っていたが、彼の「実」はただ一つ新聞記者の誇りにつながっていた。家庭をまったく顧みず、酒と薬と女に明け暮れた彼の生活は「虚」そのものであったかもしれない。それであればなおのこと、彼の唯一の「実」が重みを持ってくる。
 ▽386 保守支配体制の確立と軌を一にして、新聞の体制化も進む。これを社内的に捉えれば管理体制の強化であり、かりに売春汚職報道での挫折がなかったとしても、華やかな出番は立松から奪われる方向にあった。……新聞記者のサラリーマン化がしきりにいわれている今日、第2の立松が出てくるはずがない。出てきたとしても、組織がかならず排除するであろう。

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