■パリ・ロンドン放浪記<ジョージ・オーウェル>岩波文庫 20130628
インド帝国の警察官として勤務したあと、20代のオーウェルはパリとロンドンの貧民街で3年間にわたって極貧生活を体験した。その体験を記した実質的なデビュー作だ。
若くみずみずしい感性が躍動し、ナンキン虫に襲われ、空腹にさいなまれ、退屈でならない貧乏暮らしにへきえきとしながら、それを外から観察して諧謔的に楽しんでいるもう一人の自分がいる。後の作品にも見られる彼の複眼的な視点がおもしろい。
「貧乏とは退屈」「汚れというのはよい服装をしているときには寄り付かないのに襟からカラーが消えたとたんに四方八方から飛んでくる」というのは実際に貧乏を経験しないとわからない感覚だ。
「将来に希望もない男たちにとっては、1週間に一度の乱痴気さわぎこそ唯一の生きがいだった」というのは、ハイチの首都の公園で深夜まで踊り続ける男たちの姿とだぶった。ハイチには、電気がないから夜はセックスして子どもだけが増えるという現実もあった。
「本当に哀れなのは零落した人間ではなく、はじめからどん底にいて、暇つぶしの才覚もないまま貧乏と向かい合わなければならない人間なのだ」というのは釜ケ崎と同じだと思った。野宿して倒れて瀕死の状態で入院したおっちゃんを訪ねたら、「もう一度ゲンキン(日雇い)をやりたい」と語った。ごちそうとかレジャーという感覚は持っていなかった。
「貧しいものは気が弱い。だが、数がまとまり勝てるとなると、盛り上がる」「浮浪者たちが収容所の役人におとなしく怒鳴られているのを見たら、彼らが驚くほど従順で活力のない人間であることはすぐわかる」……。釜ケ崎のおっちゃんたちもとても弱い人だった。新左翼の連中はそれに気づかなかったから釜が革命の拠点になり得ると誤解した。
貧民が放浪するのはもともと放浪癖があるのだ、とか、好きで野宿をしている、とか、飲んだくれだ……いった日本とも共通する「普通の人」の偏見を批判し、政府の無策を糾弾する。そこまでは私もやったが、オーウェルがおもしろいのは、自らの差別意識や偏見をも正面から描いているところだ。
「アメリカ人は、へどがでそうな穀類食を朝からつめこみ、若鶏にウースターソースをじゃぶじゃぶかける」「インド人が私を『お前』と呼んだ。われわれは、肌の色にたいする偏見さえ届かない世界まで、落ちてしまったのだった」。自らを安全圏に置かないから彼の文章はおもしろい。そのかわり、彼は世間の暴風によってものすごく傷ついたんだろうな、と思う。
面接の時、「穴がかくれるようにタイを結び、靴の底には新聞紙をつめ、靴下の穴からのぞいている皮膚にインクを塗った」という文章は、私の就職試験の時を服装とだぶった。靴下が片方しかないから、ズボンをずりおろして足首を隠していた。貧乏だったけど、あのころは楽しかった。オーウェルにとっての貧困体験もある意味で楽しかったのだろうと思う。
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▽25 空腹をはじめて知る。店に山積みのパンやチーズ、ソーセージ。みじめで泣きたくなる。貧乏につきものの退屈。始終何もすることがなくて、しかもろくに物を食べていないものだから、何にも興味がわかないのだ。
▽27 貧乏には同時に大きな救いがああることを発見するのだ。将来というものが、消えてしまうのである。百フランでももっていれば、気が狂いそうなほど心配になるだろう。だがたった3フランしかないとなれば、話はまるでちがう。3フランあれば翌日までは食える。そしてその先のことは考えられない。「あしたが餓死するだろうなあ、えらいことだな」とぼんやりと考えはする。だがそれっきり、また別のことで気がまぎれてしまうのだ。
▽33 ロシア軍の元大尉 革命で一文無しに。
▽41 面接の日 穴がかくれるようにタイを結び、靴の底にはたんねんに新聞紙をつめた。靴下の穴からのぞいている踵の皮膚にインクを塗った。
(ディテールのおもしろさ)
▽61 パリのロシア人亡命者はだいたい働き者で、同じような階層の英国人とくらべると、はるかにしたたかに逆境に耐えていた。
▽68 革命ロシアの秘密結社。レポーターの仕事をもらえると思ったら「会費」をだましとられる。「ここはクリーニング屋なんだから、くるときは洗濯物をもってこい」。手のこんだ天才的な詐欺。
▽72 パンにニンニクを塗りつける効用は、いつまでも味が残って、いま食べたばかりのような錯覚をあたえること。
▽79 高級レストランの厨房で皿洗いをして働く。1日何回「ばかやろう」と呼ばれたか数えてみたら、39回だった(自虐・諧謔)
▽88 オヤジは1人あたり1日2リットルのワインをくれた。皿洗いには2リットルやらなければ、3リットル盗まれることを承知していたのだ。
▽91 狭くて吐き気がするほど汚らしい洗い場から、両開きのドア1枚のむこうは、きんきらきんの客たちが座っている。……ウェイターは、食堂へのドアを通過したとたんに変貌する。
皿洗いは最下層のカースト。……どの職種もそれぞれの役得。ウェイターは食べものを盗んだ、われわれは紅茶をがぶ飲みする、ワイン蔵の番人はブランデーを盗んだ。
▽104 ウェイターは金持ちの姿にあこがれている。だから、めったに社会主義にならず、組合をつくれず、1日12時間も働ける……ウェイターはスノブなのであって、その職業の卑屈さこそ性に合っているのである
▽111 アメリカ人は、へどがでそうなアメリカ流の「穀類食」を朝からつめこみ、……100フラン払って頼んだ「女王風若鶏」にウースターソースをじゃぶじゃぶかける手合いなのだから。(みごとな偏見と類型化がおもしろい〓)
▽129 結婚もせず、将来に希望もないこの地区の多くの男たちにとっては、1週間に一度の乱痴気さわぎこそ、唯一の生きがいだったのである(ハイチ)
……1日17時間働く
▽153 フランス人がフランス人の友人をつれてきた。これは、この店が評判になってきたということだった。悪い店の確実な証拠は、客が外人ばかりということなのである。
▽161 困ったことに、教養のあるあの知識階級、自由主義的な主張を持っていいはずの人びとは、ぜったいに貧乏人とつきあわない。知識人は、貧乏についてどの程度知っているのだろう。
……皿洗いは奴隷である。もし暇をあたえれば危険な存在になりかえないという漠然たる不安のために、いつまでも働かされているのだ。彼らの味方になっていいはずの知識人は、皿洗いのことを何も知らず、したがって怖いものだから、黙っているのだ。
▽165 貧しさゆえにだまだれる喜劇
■イギリスへ
▽172 汚れというのは、いい服装をしているときには寄り付かないのに、襟からカラーが消えたとなると、とたんに四方八方から飛んでくる。女の態度が男の衣装しだいでどんなに変わるかもはじめて気がついた。
▽ スパイクという浮浪者宿泊所
▽206 ロンドンで舗道にすあったら、まちがいなく刑務所行き。ずっと立ち通し。
▽224 インド人がわたしを「お前」と呼んだ。インドだったら身震いするところである。われわれは、肌の色にたいする偏見さえ届かない世界まで、落ちてしまったのだった。
▽230 物乞いは法律で禁じられている。だから、舗道にチョークで絵をかくとか、情けない声で賛美歌を歌うとかしてカネを要求する。「物乞い」は役立たずという偏見にさらされる。
だが実際は、もうかるかどうかのちがいしかない。完全にカネが道徳規準になってしまったのだ。物乞いはこの基準によって失格し、軽蔑される。同じ行為で週に10ポンドでももうけようものなら、物乞いはたちまちれっきとした職業になるだろう。
▽241 教育のある人間は仕事がなくても辛抱できる。働く癖が骨の髄までしみこんでいる無学な人間には、カネよりも仕事のほうが大切なのである。「零落した人間」がいちばん哀れな存在などというのは見当ちがいで、本当に哀れなのは、はじめからどん底にいて、暇つぶしの才覚もないまま貧乏と向かい合わなければならない人間なのである。(釜ヶ崎「ゲンキンをやりたい」)
▽246 教会で野次をとばす(貧しいものは気が弱い。だが、数がまとまり勝てるとなると、盛り上がる。釜の暴動も今も)
▽267 浮浪者は危険な嫌な奴で、ただ物乞いをして、酒を飲んで、鳥小屋を襲うだけの人間、という化け物のような浮浪者像。放浪しているのは働くのが嫌なのだとか、物乞いの方が楽なのだ、放浪が好きなのだ……という。浮浪者というのは、遊牧民時代への先祖帰りの現象という説も読んだことがある(サンカの見方〓)
放浪生活をつづけるのは、法律上、そうしなければ餓死してしまうからなのだ。……浮浪者たちが収容所の役人におとなしく怒鳴られているのを見たら、彼らが驚くほど従順で、活力のない人間であることは、すぐわかる。(釜が革命の拠点になり得なかった理由、左翼もまた誤解してた)
▽273 浮浪者は路上の人となったとたんに独身者の運命におちいる。いかなる女でも、手に入れられる見込みは皆無なのだ。その結果は、たとえば同性愛があり、ときには暴行も発生する……女から完全に遮断されてしまった浮浪者は、健常な肉体的精神的能力を喪失したような気持ちに襲われる。
わが国の浮浪者条例では、歩いていないかぎり独房にすわっていることになっている。
ロンドンの法律では、すわって一夜を過ごすことは許されても、眠っているところを見つかれば、警官に追い立てられる
▽285 わたしは、浮浪者というのはみんな飲んだくれなどとは二度と考えないだろうし、物乞いに金をやれば感謝するだろうとも考えまい。失業者に体力がなくても驚かず、救世軍への寄付もせず、衣類を質に入れることもせず、渡されたビラも断らず、高級レストランで食事をとったりすることもないだろう。これが出発点なのである。
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