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「帝国」ロシアの地政学<小泉悠>

■東京堂出版20230423

 ロシアにとって、世界大戦の記憶は、ナチズムという悪に対する勝利であり、全人類的な貢献を果たしたのだというアイデンティティーの源泉になっている。
 ソ連崩壊によって民族の分布と国境線が一致しなくなり、地政学とアイデンティティが判別不能な形で癒着することになった。
 NATOは東欧諸国をのみこみ、旧ユーゴでは、ロシアの意見を無視して介入がおこなわれた。その結果、西欧への統合を志向するかぎり、ロシアは格下のパートナーとしかみなされない、という不満が鬱積し、ロシア国内の「西欧志向」が勢いを失った。
 その後、旧ソ連諸国はロシアにとって勢力圏であり、NATOのような外部勢力の拡大は阻止すべきだと考える「大国志向」が主流となる。その筆頭がプーチンだった。

 ロシアの考える「主権国家」には、軍事・政治同盟に頼る日本やドイツはふくまれない。プーチンが主権をもつ国としてあげたのはインドと中国、つまり核武装国だ。
 1968年にソ連がチェコスロバキアに介入した際、社会主義体制を守るためには一国の主権が制限されることは正当化されるとされた。
 ロシアは、より弱体な国々の主権を制限しうる主権国家」(大国)であり、その「歴史的主権」がおよぶ範囲はおおむね旧ソ連の版図としてきた。
 「カラー革命」「アラブの春」、ウクライナ情勢の背後には西側の存在があり、世界を不安定化させているのは米国であり、ロシアの介入は秩序を守るための防衛的行動であると正当化してきた。
 一方、ロシアの「歴史的主権」がおよばない旧ソ連圏外では、ロシアはウエストファリア的な古典的国家主権の擁護者をもって自らを任じて、米国の介入をきびしく非難してきた。
 「歴史的主権」がおよぶ地域でのロシアの行動の具体例としてグルジアをあげる。
 グルジアからの分離独立を主張する南オセチアで民兵とグルジア軍が衝突し、ロシア軍平和維持部隊を守るためとして、ロシア軍が軍事介入に踏み切った。ロシアが圧勝し、南オセチアとアブハジアを「独立国家」として承認した。
 ロシアの決断の背景になにがあるのか。
 1990年、NATOの事務総長は「ドイツの領域外にNATO軍を配置するつもりがないという事実は、ソ連邦に確固たる安全保障上の保証をあたえるでしょう」と発言していた。
 だが2003年、米国がロシアの反対を押し切ってイラク戦争にふみきり、05年に東欧への弾道ミサイル防衛システム配備計画を打ち出し、グルジアとウクライナがNATO加盟を公然とかかげるようになる。08年には米国のブッシュ大統領がウクライナとグルジアのNATO加盟を正式に提案した。「NATOを東方に拡大しても、そこに外国軍は駐留しない」というロシアの体面を保ってきた暗黙の前提を反故にした。グルジアやウクライナ侵攻の背景にはロシアの被害者意識があった。

 ウクライナはの国土は日本の1.6倍。ソ連で指折りの重工業地帯と農業地帯をかかえ、軍事力もロシアに次ぐ存在だ。ロシアにとって、ベラルーシとウクライナは「ほとんど我々」だった。ボルシチなどの「ロシア料理」もウクライナの民族料理だった。
 ウクライナは、安価なロシア産天然ガスや、ガスパイプラインからの多額の通行料収入に依存していたから、1990年代はロシアの勢力圏からでようとはしていなかった。
 だが2003年にはイラク戦争を支持し、NATO加盟をうたう。2004の大統領選で、親ロ的なヤヌコーヴィッチをロシアが支援して選挙干渉したが、「オレンジ革命」でユシチェンコが勝利した。2010年にヤヌコビッチが当選したが、ネオナチ集団の扇動もあってデモ隊が過激化し、2014年にヤヌコーヴィッチはロシアへ逃亡した。そして、クリミア半島にロシア軍が上陸する。

 旧ソ連の紛争では、分離独立勢力が未承認国家を形成し、ロシアがこれを支援するというパターンが多い。分離独立状態は「凍結された紛争」になる。アルメニアとアゼルバイジャンが領有をあらそうナゴルノ・カラバフ、モルドバの沿ドニエストル、グルジアの南オセチアとアブハジアなど。ドンバス地方もこのパターンに近い。
 ロシアとの終わらない紛争を抱えるということは、当面はNATO加盟が不可能になることを意味する。戦争の継続そのものがロシアの目標であると考えられる。

 ロシアにとって北方領土問題はどんな位置づけなのか。
 ロシアは核戦力を冷戦後も重視してきた。ロシアの軍事行動に対する第3国の介入を抑止する効果も期待されていた。
 オホーツク海は、弾道ミサイル原潜のパトロール海域とされており、北極海とならんで、ロシアの核抑止力をになっている。北方領土駐留ロシア軍は、オホーツク全体を防衛する任務をおびており、北方領土は、核抑止という最上位の軍事戦略と密接な関係をもっている。

 第二次大戦末期、ポツダム宣言受諾後も戦闘をつづけ、9月1日までに国後、択捉、色丹を占拠。9月5日には歯舞群島を占領した。
 1956年の日ソ共同宣言では「平和条約を締結したのちに、歯舞群島と色丹島を引き渡す」ことが定められた。
 ロシアは、返還後の北方領土に米軍基地が設置される可能性を懸念し、北方領土における米軍基地設置を日本が拒否できるのかをプーチンはくりかえし疑問視してきた。現状の安全保障体制では返還はありえないのだろう。

 ロシアと中国の関係はどうなのか。 昔はソ連が中国に武器も経済も提供していたが、経済は逆転した。ソ連崩壊後、極東開発が停滞し、優遇措置もなくなり、極東部では人口減少に歯止めがかかっていない。中国側ははるかに発展した。
 ロシアの対中安全保障政策は「同盟にはなれないが敵にもならない」方針だ。
 ロシアの武器は、安価でそれなりの性能があり、旧ソ連の勢力圏を維持する上で無視できないツールだった。ここに中国が進出してきた。中国はベラルーシに残っていたソ連時代の軍事技術遺産を買うとともに、MZKTのシャーシに中国製ロケット砲を搭載した多連装ロケット発射システムを共同開発している。
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▽6 ビザなし交流 船を使えば島に宿泊しなくてすむ。
▽29 ロシア人は地政学という言葉が好き。ソ連では地政学はナチスのイデオロギーとして否定的にあつかわれていた。
▽30 英米流地政学は、大陸勢力(ランドパワー)が、ユーラシア大陸の枢要部分(ハートランド)を支配することに警戒感をしめす。ハートランドをにぎる勢力はやがてユーラシア大陸を統一し、英米のような海洋勢力(シーパワー)の覇権を脅かしかねないためだ。ドイツとの世界大戦やソ連との冷戦は、ハートランドの覇権をめぐる闘争だったと位置づけられる。
 大陸系地政学は、国家を生命体にみたて、この集団が自活するに足るだけの「生存圏」を支配下におく権利を有するとされる。ナチスが東欧諸国を侵略するさい根拠としたのはこうした「生存権」の論理。
▽39 ロシアにとって、世界大戦の記憶はアイデンティティのよすがとなっている。ナチズムという悪に対する勝利であり、ソ連はここで全人類的な貢献を果たしたのだという自負。
▽42 ソ連崩壊によって「ロシア的なるもの」は国境で分断され、ロシアの国境内には「非ロシア的なもの」が含まれることに。民族の分布と国境線が一致しなくなった。・・・冷戦後のロシアでは、地政学とアイデンティティが判別不能な形で癒着することになった。
▽45 NATOは東欧諸国をのみこみ、旧ユーゴでは、ロシアの意見に耳を傾けることなく介入がおこなわれた。その結果、西欧への統合を志向するかぎり、ロシアはその後を追う格下のパートナーとしかみなされない、という不満が鬱積していった。
 西欧志向が勢いを失う。帝国志向はソ連崩壊後の「地政学的悲劇」の処方箋を大陸地政学に求めたもの。
 大国志向は、ロシアが旧ソ連諸国を帝国的秩序の下に直接統治することまでは想定しない。だが、旧ソ連諸国はロシアにとって勢力圏であり、NATOのような外部勢力が拡大することは阻止されなければならない、となる。このような大国主義者の筆頭がプーチン大統領であり、それゆえに現在のロシアにおける対外政策の基調になっているという。
▽58 ロシアの考える「主権」とは、ごく一部の大国のみが保持しうるという考え方。中小国は主権国家とみなされていない。・・・政治・軍事同盟に頼る国は同盟の盟主にたいして弱い立場に立たざるを得ず、それゆえ完全な意味での主権を発揮できない。ドイツでさえ「主権国家」とみなされない・・・
プーチンが主権をもつ国としてあげたのは、インドと中国。
▽64 1968年にチェコ介入した際、社会主義体制を守るためには、時に一国の主権が制限されることは正当化されるという理屈を持ち出した。
▽77 「カラー革命」「アラブの春」ウクライナ情勢・・・の背後には西側の存在があると指摘。・・・世界を不安定化させ秩序に挑戦しているのは米国の方であり、ロシアの介入は秩序を守るための防衛的行動であり、むしろ旧ソ連の被介入国の主権や領土的一体性を保護する物として正当化される。
▽78 ロシアは、より弱体な国々の主権を制限しうる「主権国家」=大国であり、その「歴史的主権」が及ぶ範囲はおおむね旧ソ連の版図と重なる。
 一方、ロシアの「歴史的主権」がおよばない旧ソ連圏外においては、ロシアはウエストファリア的な古典的国家主権の擁護者をもって自らを任じてきた。それゆえ、米国の介入をきびしく非難してきた。
▽87 グルジア
 アブハジアと南オセチアはロシアが実質的に占領。2008年。グルジアからの分離独立を主張する南オセチアで民兵とグルジア軍が衝突。ロシア軍平和維持部隊を守るためとしてえ、ロシア軍が全面的軍事介入に踏み切った。
・・・グルジア戦争はロシアが圧勝。南オセチアとアブハジアを「独立国家」として承認した。
▽92 2003年、米国がロシアの反対を押し切ってイラク戦争に踏切、05年に米国が東欧への弾道ミサイル防衛システム配備計画を打ち出し・・・グルジアとウクライナがNATO加盟を公然とかかげるようになり、ロシアの被害者意識が強まり・・・
▽95 冷戦後の西側の軍事介入や安保理の軽視をプーチンはきびしく批判する。国連をバイパスして独自の軍事力行使をする傾向に強く反発。
▽96 1990年NATO事務総長は「ドイツの領域外にNATO軍を配置するつもりがないという事実は、ソ連邦に確固たる安全保障上の保証を与えるでしょう」
▽98 2008年、ブッシュ大統領がウクライナとグルジアのNATO加盟を正式に提案。
・・・「NATOを東方に拡大しても、そこに外国軍は駐留しない」というロシアの体面を保ってきた暗黙の前提を崩す
▽バルト三国
▽ロシア革命後に独立。だが1939年の独ソ秘密合意にもとづいてソ連はバルト3国に侵攻し、併合。
▽112 ソ連への併合を「占領」と位置づけるバルト3国の歴史観は、ロシアにしてみれば現在のアイデンティティを否定するものとうつる。
▽114 エストニアへの大規模なサイバー攻撃。世界でもっともIT化が進んでいるとされたエストニア社会システムが麻痺状態に。「タリン事件」
▽ウクライナ
▽131 ウクライナの国土は日本の1.6倍。欧州ではロシアに次ぐ第2位の面積。人口もソ連崩壊当時は5200万人。ソ連で指折りの重工業地帯と農業地帯をかかえる。軍事力も、旧ソ連ではロシアに次ぐ。ロシアにとって重要。
▽134 「ほとんど我々」(ロシア・ベラルーシ・ウクライナ)=「ロシアの民」であるウクライナとベラルーシは、ロシアの勢力圏のコアを構成するもの。
 ボルシチやカツレツといった「ロシア料理」ももとはウクライナの民族料理である場合が多い。
▽136 安価で供給されるロシア産天然ガス、ガスパイプラインからの多額の通行料収入・・・ロシアに依存。1990年代のウクライナはロシアの勢力圏から急いででていこうとしていたわけではない。
・・・2003年にはイラク戦争を支持し、ウクライナ軍をイラク派遣決定。NATO加盟も正式にうたうようになる。
 2004年の大統領選で、親ロ的なヤヌコーヴィッチをロシアが支援して選挙干渉。「オレンジ革命」でユシチェンコが勝利。2010年にふたたびヤヌコビッチが当選。2013年、デモ隊が過激化。ネオナチ集団の行動隊が先頭に。2014年ヤヌコーヴィッチはロシアへ逃亡。
・・・クリミア半島 ロシア軍上陸。
▽161 旧ソ連の紛争でよくみられるのは、分離独立勢力が未承認国家を形成し、ロシアがこれに経済援助や軍事プレゼンスを提供するというパターン。分離独立状態は膠着化して、「凍結された紛争」になる。アルメニアとアゼルバイジャンが領有をあらそうナゴルノ・カラバフ、モルドバの沿ドニエストル、グルジアの南オセチアとアブハジアなど。
 ドンバス地方もこのパターンに近い。
・・・ロシアとの終わらない紛争を抱えているということは、当面はNATO加盟が不可能になることを意味する。・・・戦争状況を継続させることそのものがロシアの目標であると考えられよう。「戦争のための戦争」
▽171 冷戦後も核戦力が常に最優先に位置づけられてきた。核兵器に期待される役割には、ロシアの軍事行動に対する第3国の介入を抑止することも含まれる。ロシアの核抑止基盤であるオホーツクと北極海の重要性はきわめて高い。
▽シリア
▽179 ロシアの2018年の軍事支出は米国の11分の1以下。シリア作戦に展開しているのは、35機程度の戦術航空機とヘリ少数、特殊部隊や防空部隊程度。大規模な地上部隊の派遣は、兵站能力の制限や財政能力から困難。
▽182 民間人を無差別に殺傷する攻撃をすることで、反政府勢力の支配地域では人間が生きていけないようにするという、意図的な戦術をロシアはもちいている、という見方。
▽201 北方領土
 第二次大戦末期、ポツダム宣言受諾後も戦闘をつづけ、9月1日までに国後、択捉、色丹を占拠。降伏文書に調印したあとも侵攻は続き、9月5日には歯舞群島を占領した。
 1956年の日ソ共同宣言では「平和条約を締結したのちに、歯舞群島と色丹島を引き渡す」ことが定められた。
▽205 2001年東京宣言では、北方領土は日露いずれのものとも定まらない係争
軽装地域であるというのが、「前提条件」だった。
▽208 ロシアは、返還後の北方領土に米軍基地が設置される可能性を懸念。
・・・プーチン、北方領土における米軍基地設置を日本が拒否できるのかをくりかえし疑問視。「日本にどこまで主権があるのかわからない」とまで述べている。
▽214 オホーツク海は、カムチャッカ半島に配備された弾道ミサイル原潜のパトロール海域とされており、北極海の北方艦隊のSSBN部隊とならんで、ロシアの核抑止力をになう。・・・北方領土駐留ロシア軍は、オホーツク全体を防衛する任務をおびている。
▽217 北方領土は、核抑止という最上位の軍事戦略と密接な関連性を有する地域である。
▽中国ファクター
▽228 ソ連崩壊後、極東開発が停滞し、優遇措置もなくなり、極東部では人口減少に歯止めがかかっていない。・・・中国側はるかに発展してしまい。
▽234 ロシアの対中安全保障政策は「同盟にはなれないが敵にもならない」をめざしてすすめられてきた。2018年には東部軍管区大演習に人民解放軍が参加。…
中国との関係悪化をなんとしても避けることこそがロシアにとっての安全保障。
▽236 安価でそれなりの性能の武器を提供できるロシアの能力は、旧ソ連の勢力圏を維持する上で無視できないツールだったが、ここに第3極として中国が進出してきた。ロシアは唯一の武器供給国としてふるまうことが次第に困難になりつつある。
…中国はベラルーシに残っていたソ連時代の軍事技術遺産を買いこむとともに、MZKTのシャーシに中国製ロケット砲を搭載した多連装ロケット発射システムを共同開発。
▽248 北極海 スエズ運河とインド洋を経由すると欧州から日本まで1万5000海里。北極海航路NSRなら7000海里。…ソ連は1991年にNSRを国際航路として開放したが、実際の利用がはじまったのは2009年以降だった。温暖化の影響が顕著になったのにくわえ、エネルギー資源価格の高騰によって、航行距離の短縮が燃料費の節約につながることが注目された。
…NSRが世界的な通商ルートになれば、ロシアを世界の経済システムにおける辺境から中心へと引きあげる、可能性が生じる。
▽255 気候変動で北極海を水上艦艇が航行できるようになることで、北極海から巡航ミサイルによる精密打撃をうける可能性や、ロシアによる報復攻撃がイージス艦のMDシステムによって迎撃されたりする可能性が浮上してきた。
…北極海とオホーツク海は、米国の核抑止力と対峙する一体のエリアであるとみなされている

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