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後世への最大遺物・デンマルク国の話

■後世への最大遺物 20220122
 我々は後世に何を遺せるのか。
 金も大事だ。金がないなら事業を遺す。その力がないならば思想を遺す。思想は、文学を著述をすることや学生を教えることによって伝えることができる。
 内村は 「源氏物語」を「われわれを女らしき意気地なしになした。あのような文学はわれわれのなかから根コソギに絶やしたい」とこきおろす。本物の文学とは「この世界で戦争をするときの道具」という。技巧をこらすよりも、自分の心のありのままに書いた文のほうがよいと断じる。
 では、本を書くことも学生に教えることもできない人はどうするか?
 だれにも遺すことのできる「最大遺物」とは、勇ましい高尚なる生涯だという。
 高尚なる生涯とは何か。
「失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずること。悲嘆の世の中でなくして歓喜の世の中であるという考えを生涯に実行して、その生涯を世の中への贈り物としてこの世を去るということ」
 二宮金次郎の生涯を見ると、「あの人にもああいうことができたならば私にもできないことはない」という考えを起こす。われわれが神に頼り、己に頼って宇宙の法則にしたがえば、この世界はわれわれの望むとおりになり得るという感覚が起こってくる。
 正義のために立つ者はいつも少数である。そんな少数とともに戦うという精神が大事であり、苦難や壁に打ち勝つことが「われわれの大事業」なのだ。
「それゆえにヤコブのように、われわれの出遭う艱難についてわれわれは感謝すべきではないか」と訴える。
 「国のため」ではない。自分の栄耀栄華のためでもない。高尚な生き方を真正面から論じる内村の精神性の高さと胆力に圧倒される。

■デンマルク国の話
 デンマークは1864年にドイツ・オーストリアとの戦争に敗れて南部の2州を奪われ、貧困に沈んだ。
 そのとき立ちあがったのが、工兵士官のダルガスだった。彼の祖先はフランスのユグノー党(カルバン派)で、信仰の弾圧によってフランスを追われた。
 剣(戦争)によって失ったものを鋤によって取り返そうと思ったダルガスは、デンマークの半分以上を占めるユトランドに注目した。その3分の1以上が不毛の地だった。
 長年の環境破壊で砂漠同然になり、寒暖の差が激しく、夏は昼は猛暑で夜には霜が降りた。そんな荒れ地に樅の木を植林していった。ユトランドの山林は1860年の15万7000エーカーが、1907年には47万6000エーカーに増えた。森が増えることで気候が穏やかになり、夏期の霜がなくなった。荒れ地や砂地は肥沃な畑や牧草地にかわっていった。デンマーク人の一人あたりの富は、英独米をうわまわるようになった。
 篤い信仰心による勤勉さと忍耐、樅の木などの自然の力への信頼があったから植林事業を推し進め、デンマークの人々は希望を回復することができた。それこそが「神を愛し、人を愛し、土を愛する」三愛精神なのだろう。
「……国家の大危険にして信仰を嘲り、これを無用視するがごときことはありません」と内村は記す。どん底で希望を与えてくれるのは信仰だけだと内村は信じた。
 戦後日本の復興は信仰とはあまり関係がなかったように思える。キラキラ輝いていたアメリカ文化や、貧困からの離脱を約束する社会主義への「信仰」が日本人の希望を支えたのだろうか。内村が存命ならば尋ねてみたかった。
 経済成長や革命思想といった希望を失った今の日本こそ、神を愛し人を愛し土を愛するという信仰にもとづいた生き方が求められているのかもしれない。
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▽85 デンマーク人一人の有する富はドイツ人または英国人または米国人一人の有する富より多いのであります。
……デンマーク本国の富は主としてその土地にある。
▽86 40年前のデンマークは、1864年にドイツ・オーストリアの圧迫・・その要求を拒みし結果、ついに開戦……。戦争に敗れて、南部最良の2州を割譲した。
 それによって窮困の極に。
▽88 一人の工兵士官ダルガス。祖先はフランスのユグノー党の一員で、信仰自由のゆえをもってフランスを追われた。
 ユグノー党の人はいたるところに自由と熱心と勤勉とを運びました。
 ダルガスには予言者イザヤの精神がありました。国人が剣をもって失ったおのを鋤を持ってとりかえさんとしました。
 ユトランドはデンマークの半分以上だが、その3分の1以上が不毛の地。……畑と牧草地にしようとした。モミの木を植え、森を作る。1860年においてユトランドの山林は15万7000エーカーだったが、1907年には47万6000エーカーに。樹木がないころは、夏は昼は非常に暑く、夜は霜も。森が増えて、夏期の降霜はなくなった。モミの林の繁茂のゆえをもってよき田園と化した。よき気候も与えられた。
 砂地を田園に。
▽97 デンマーク人の精神はダルガス植林成功の結果として一変した。失望せる彼らはここに希望を回復。
 自由宗教より来たる熱誠と忍耐と、これに加うるに大樅、小樅の不思議なる能力とによって、荒れたる国を挽回したのであります。
▽96 第一に敗戦はかならずしも不幸ではない。
 第2に、天然の無限的生産力。
 第3に、信仰の力。……世に勝つ力、地を征服する力はやはり信仰であります。ユグノー党の信仰はその一人をもって鋤と樅の木とをもってデンマークをすくりました。
 ……デンマーク人全体に信仰がなければ、彼の事業も無効に終わった。
……国家の大危険にして信仰を嘲り、これを無用視するがごときことはありません。

■解説
デンマルク国の話は、1911年10月22日、講演者自身の聖書講堂であった東京柏木の今井館においておこなわれた講演。
 戦敗国の戦後の経営としていかなることを行ったか。戦いに破れていかに精神に破れなかったか、善き宗教、善き道徳、善き精神があって国は戦争に負けてもいかに衰えなかったか……ダルガス父子の植林事業の叙述を主軸として述べられている。

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