■20210705
チベット映画4本目。
自らの病気が治らないと知った女ウォマは、病状を夫のロルジェには告げずラサへの巡礼に出る。前夫との間に息子がいて実家にあずけている。
巡礼の途中、医者から病状を聞いたロルジェが追いかけてくる。息子のノルウもやって来て、3人で旅をするが、途中でウォマは亡くなる。小さなリュックを「これを背負ってラサに行きなさい」と息子に託した。ウォマの遺骸は鳥葬にふされる。
ウォマは、病死したノルウの父とラサへの巡礼を約束していた。リュックには、2人の写真がおさめられていた。
今の夫ロルジェはその写真を見て嫉妬し動揺する。2人の写真を切り離して、寺におさめる。
ノルウは「お母さんと住みたかったのに、お前が嫌がるから住めなかった」と怒り、ラサまで行くと言い張り、2人でラサに向かうことになった。
巡礼の約束は、前夫→ウォマ→ノルウ+ロルジェへとバトンタッチされた。
何カ月もかけて歩くことで、新たな絆が育まれる。悲しい物語なのだけど、巡礼の思いを受け継ぐことで当たり前のように奇跡は起きる。
巡礼というのは奇跡が起きるものなのだ。実は巡礼を決意した時点で奇跡は起きていて、歩くことで少しずつ、言葉を超えたたましいの律動で気づいていくのかもしれない。
チベットの人々が信仰を捨てないかぎり、巡礼道は奇跡をおこしつづける。それは世界各地の順礼も同じだ。実感としてよくわかる。
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