■共和国20230212
日本の公団団地やマンションのダイニングキッチンや「システムキッチン」は、20世紀前半のドイツの合理的キッチンがモデルという。そのキッチンはアウトバーンと同様、ナチスがつくったものだったというストーリーかと思ったらむしろ逆だった。
機械のような合理性を追求するテイラー主義が、ワイマール時代のドイツのキッチンに導入されたのが「フランクフルト・キッチン」だ。流しや戸棚、コンロ、オーブン、調理台、水切り台などの要素を統一的に設計した。
ナチスはそもそもは、装飾を廃し機能を追求するモダニズムに否定的だったが、戦時中の窮乏もあって、家事や台所の合理化を推進した。「伝統」と「テクノロジー」の共存はナチスの二律背反的な性格だった。
テイラー主義にともなう合理化・数値化の波はレシピにも押しよせる。
アメリカのケロッグの創立者は菜食主義で禁酒禁煙を実践するセブンスデー・アドベンチィスト教会の信者で、サナトリウムの病人食用に開発したのがコーンフレークだった。
ドイツのレシピ本も、栄養学の発展とともに、ワイマール時代の1920年代後期から健康管理レシピが増えていく。
「栄養」概念は労働者の食生活改善に役だった一方で、料理の地域性を失わせ、均質化・単純化をもたらす。「無駄排除」の運動は、調理の世界を味気ないものに変えていった。アメリカやドイツ、イギリスの料理がまずいのはこのへんに原因があるのだろう。
こうした状況は、公益を私益に優先し、健康を国民の義務としたナチスに都合がよかった。
ヒトラーは禁酒・禁煙で菜食をこのんだ。ヒトラーユーゲントの手引き書は、肉の代わりに大豆、便秘予防のために全粒粉、ドイツで収穫した旬のもの……をすすめた。「地産地消」「エコロジー」のさきがけとなった。食べものの栄養素への還元と健康至上主義は、ナチスのもとで軍国主義と合流し、屈強な兵士になるために「正しい」食生活を強要することになった。
日本では左翼が長年エコロジー運動を牽引してきたが、最近は参政党をはじめ、右翼的エコロジー運動が拡大している。ナチス的な思想に近いのだろう。
ナチス政権下の健康至上主義と軍国主義は、とんでもない「実験」もうみだした。
強制収容所の囚人をABCの3グループにわけ、Aは、野菜と穀粉の食べものと濃いスープだけあたえ、Bは、通常の囚人の食事にくわえて毎日30グラムの栄養素をだし、Cは通常の食事だけとした。その結果、Aの死亡率は46%、Bは33%、Cは52%だった。できるだけ低コストで囚人の栄養状態を保ち、死亡率を下げる研究だった。
ナチスは、安価なごった煮料理アイントップを日曜日に食べることを義務化する「アイントップの日曜日」運動を展開した。これは階級の存在を否定する「民族共同体」というスローガンと符合した。豚のエサ用に残飯を集める「食糧生産援助事業」を実施し、エネルギー消費量の少ない圧力鍋を推奨した。
ナチスは女性を男性より低い地位の「第2の性」とよんだが、主婦のなかにも「マイスター主婦」といったヒエラルキーを導入し、競争心をあおった。「もっとも怠惰な」アーリア人主婦のさらに下位には東欧から強制連行したスラブ系の家事労働者をおいた。
労働の内実を労働空間から変えようとしたテイラー主義者によって合理的な台所ができあがり、科学的な栄養学が健康至上主義を支え、主婦は戦争をになう「機械」にさせられた。
ワイマール共和国とナチスは断絶しているのではなく、世界一民主的だったワイマールの血の正統な継承者としてナチスのキッチンや料理が生まれた。
豚のエサを集める事業以外は、ほとんどがナチス以前に用意され、ナチス以後も私たちの生活に浸透している。戦後もナチスと断絶できていなかった。
ナチスの亡霊は今も台所にただよっている。立派な研究論文だけど、からおそろしいホラーにもかんじられた。
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▽17 ドイツ人は油を使う肉や魚の料理を昼に食べ夜は台所をよごさないということを理由のひとつとして、パン、ハム、チーズ、サラダなどの冷菜を夕食とする。
……空間秩序至上主義の傾向は、第一次大戦後のドイツに登場する。
▽52 共産主義キッチン 台所の集団化。労力の節約と家事の合理化。難民キャンプのよう。セントラルキッチン これらは第一次世界大戦によって挫折。
▽71 一次大戦後のオーストリア、クラインガルテンという菜園つきの簡易住宅。
▽167 ハイバウディ(家政相談所=消費者相談所)ナチスによる「均質化」によって、役員にナチ党員らを増やす。帝国経済省の指導下にはいる。女性主導から男性と企業が主導へ。
▽197 家事労働の機械化 アメリカが先行。(生活改善とのかかわりは?」)家事の合理化、近代化、テイラーシステムの導入……は、都市だけでなく、農村の労働の多様性こそ、家政学が挑むべきフロンティアであった。
▽231 ローラ・シャピロは、アメリカの家政学による数値化、清潔志向、栄養学への依存によって、アメリカの料理が単調で歯ごたえのないものに変わってしまった……と痛烈に批判。
251 市民家族向けの料理本からすべての階層の家族に向けた料理本へ、さまざまな地方料理本からドイツ国民のための料理本へという流れ。1920年代後期から健康管理レシピ集が増えていく。……第一次対戦時の国民意識の強化、健康管理国家であるワイマル国家の成熟。
▽256 ワイマル時代以降の健康管理食ブーム、ナチスのドイツ産の魚を食べようというキャンペーン。
▽299 「栄養」概念こそ、近現代ドイツのレシピの歴史を大きく変えた。……貧しい労働者の食生活と健康状態の改善には役立ったが、一方で、料理を要素還元的なものにした。……食の地域性は徐々に失われ、普遍的な料理メニューがレシピの主役におどりでる。この状況は、公益を私益に優先し、健康を国民の義務としたナチスにとって都合がよかった。
……食が,豊かになるどころか、健康を崇める道具となり、均質化している。
▽307 ナチスは女性を「第二の性」と呼び、かていをまもり、第一の性である男性に奉仕すべきとみなした。
▽310 日曜日に全国民が安価な雑炊料理を食べることを義務化した「アイントップの日曜日」運動「無駄なくせ闘争」、豚のエサ用に残飯を集める「食糧生産援助事業」
▽312 ヒトラーユーゲントの手引き書 肉の代わりに大豆がすすめられ……繊維の豊富な全粒粉のパンが便秘を予防すると唱え……食べものの栄養素への還元と健康至上主義は、軍国主義と合流する屈強な兵士になってもらうために「正しい」食生活を強要した。
▽337 いつも旬のもの、ドイツの土地で収穫したものを買え
地産地消運動やエコロジー運動のさきがけ。
▽369 労働の内実を労働空間から変えようとしたテイラー主義者たちの挑戦の帰結。ナチスは主婦たちを戦争をになう「機械]へとそだてていった。
▽371 ヒトラーは死ぬまで禁酒・禁煙で菜食をこのんだ。ヒムラーらも菜食主義者。「健康と清浄な身体にとりつかれた政権」
……ナチスはワイマル民主主義の血をひく嫡出子であり、正統な遺産の継承者だった。
▽380 栄養学は、その機能を次第に失い、調理を単純化する原動力となる。これは台所を、労働空間へと純化しようとする建築家や女性運動家たちの傾向と見事に一致する。無駄排除運動は、調理芸術の世界を味気ないものに変えていった。ナチスの健康崇拝は、食の機能を健康維持の道具に特化していくが、この背景には、自然を要素に還元する飽くなき化学の営みを見逃すことは出来ない。
▽446 ナチスのキッチンは存在しなかった。にもかかわらず大衆はナチスの食政策を支持した、ということがむしろ問題なのだ。豚のエサを集める事業以外は、ほとんどがナチス以前に用意され、ナチス以後も私たちの生活にいたるまで浸透している。
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