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始まっている未来 新しい経済学は可能か<宇沢弘文・内橋克人>

■始まっている未来 新しい経済学は可能か<宇沢弘文・内橋克人>岩波書店 20130324

 宇沢氏が提唱する「社会的共通資本」は「大切なものはカネにしてはいけない」という考え方で、「大切なものはカネにしろ」という市場原理主義の対極にある。
 CO₂排出権取引は後者の思想に基づくもので、「大気という社会的共通資本を汚す行為を権利として主張する最悪の倫理の崩壊だ」と批判する。

 世界恐慌時のニューディール政策は、銀行に反社会的な投機を禁止することを柱のひとつに位置づけていた。金融機関に社会的共通資本としての節度を求めたものだった。
 新自由主義は、ニューディール的なものを全面否定することで生まれた。
 その教祖フリードマンは、黒人問題で「黒人の子は、勉強することより遊ぶことを自らの意思で選択した。だから、上の学校に行けないし、不況になれば最初にクビになる。遊ぶことを合理的に選択した結果なのだから、経済学者としてとやかく言うことはできない」と主張した。同様の理由で麻薬の規制にも反対した。また「最低賃金法は雇用を阻害する」とも言った。「最低賃金廃止」を公約にした「維新の会」はこれを受け継いでいる。
 サッチャー政権は、患者が死に至るまでのコストを最小にすることで医療費を抑制しようと試み、60歳以上の老人の腎臓透析を禁止するという通達まで出された。小泉政権下の後期高齢者医療制度は同じ考え方に基づいていた。これを発案したのは米国の経済学者エントホーフェンで、ベトナム戦争の実行計画の責任者としてKill-Ratio(限られた戦争予算のもとでできるだけ多くのベトコンを殺すこと)を戦争の目的に位置づけた人物だった。
 ラリー・サマーズは世銀のチーフエコノミスト時代に「公害で1人殺したら、ロサンゼルスなら年間3万ドルの被害を経済に与える。マニラなら300ドルで済む。だから公害を起こしそうな工場は低開発国に誘致するように」という通達を出して大問題になった。
 非人間的な発言の続出はにわかに信じがたいが、新自由主義は科学ではなくカネ原理主義の狂信的ともいえる宗教なのだと考えれば納得がいく。

 市場原理主義が最初に米国から輸出されたのはクーデター後のチリで、銅山を除いてことごとく民営化された。2003年のイラク暫定政府が200社の国営企業を民営化し、米国の金融機関に金融を支配させ、石油だけ国有のまま残したのは、チリのパターンだった。メキシコは、NAFTAによって米国の安いトウモロコシが流入して家族経営農家が壊滅して、主食がつくれない国になってしまった。

 日本では、文科省が音頭をとって、子どもに株でもうける楽しみを教えるサミットを開いた。福井・日銀総裁は「大切なものはお金に替えなさい。お金に替えておけば、価値を保存して将来何でも買えます」と講演した。「大切なものはお金に替えてはいけない」という常識的な倫理観から見れば、まさにカネもうけ原理主義だ。
 日本の経済政策は米国の言いなりだった。89年の日米構造協議では、GNPの10%を公共投資にあて、その投資は経済の生産性を上げるために使わないよう米国は日本に求めた。日本政府は投資を自治体に押しつけ、自治体はレジャーランドなどに使った。借金は地方交付税でカバーすると約束したが、小泉政権は交付税を大幅に削った。これが「夕張」の破綻や、財政を理由に公立病院を切り離す措置につながった。
 労働の流動化を先行させ、働く者の基本的権利を置き去りにした結果、失業保険給付を受けられない失業者が77%もいて先進国で最悪となった。日本や韓国など、アメリカ型の市場原理主義を受けいれた国が、最も激しく経済危機の打撃を受けた。

 一方EUでは20年以上前から、パックスアメリカーナから訣別し、人間的な社会をどうつくるかに焦点が移っている。
 ミッテラン時代に地方分権化が進み、エリート校を出た人たちが中央官僚よりも地方自治体で働くことに生き甲斐を見いだすようになってきた。80~90年代にかけて、フランスの町は中心部から自動車を締め出し、高層の建物を原則禁止した。
 ジェイコブスは、魅力的な都市の四大原則として、街路はせまく折れ曲がり各ブロックが短いこと(アメリカ的な都市の否定)や、都市の各地区は必ず2つあるいはそれ以上の働きをもたせる(ゾーニングを中心とする都市計画を否定)ことなどをあげている。

 宇沢は、水俣病やむつ小川原の開発などにかかわった。社会的共通資本である水俣の海をチッソは徹底的に汚染した。公害問題にかかわることで、近代経済学の理論的枠組みの欠陥に気づき、問題の根源的解決を探る理論的枠組みとして「社会的共通資本」にたどりついたという。
 世界的には、定常的でありながら活発な人間的営みが展開される状態をミルが「定常状態」と位置づけ、その実現を経済学者は求めるべきだとヴェブレン(制度学派の経済学)が訴えた。宇沢の「社会的共通資本」もそうした流れのなかにあるという。

 農業とため池を巡る文章は、能登などの里山のあり方を考えるよりどころになりそうだ。
 戦後、大切な社会的共通資本として次世代に伝えるべき「ため池」が壊されてダム利水に転換された。官僚のなかでは「ため池退治」という言葉も使われた。ため池があると村は経済的にも独立できるが、ダム利水化によって官僚的な管理下に置かれる。さらに入会という形でコモンズとして守られてきた山は分割・個人所有にされた。それらが農村の崩壊につながったという。
 ため池を再評価する動きも、全国一ため池が多い兵庫県などで起きている(「地才地創」運動〓)。
 日本の農法は本来、東南アジアと同様に集約的な方向なのに、欧州の乾地農法をまねして労働生産性一本槍になってしまった、と、「大規模化」の流れを批判する。そのうえで、「農村に隠されたコモンズ的伝統を発掘し、自治体がそれを守っていくことを期待したい」という。ため池などのコモンズに、未来への何らかの可能性を宇沢も内橋も見いだしている。その具体的な姿は能登のような場所でこそ最初にあらわれてくるのだろう。

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▽4 大恐慌時、グラス=スティーガル法の一番の目的は、銀行業務と証券業務を厳しく切り離して、反社会的な投機を厳しく禁止することだった。金融機関は社会的共通資本であって、みだりにもうけを求めてはいけないという金融的な節度を求めた。これがニューディール政策のひとつの柱だった。
もうひとつの柱がTVA(テネシー川流域開発公社)。流域開発を農業に焦点をあてて、連邦政府の資金で実行するというもの。地域開発あるいは社会的インフラも重要な社会的共通資本であるという考え方。……社会的共通資本の形成とその安定的な運営を通じて大恐慌のような大惨事が起こらないようにしようということだった。
しかし、その結果がわかる前に戦争に突入してしまった。
▽6 冨の分配における不均衡がもたらす経済の危うさは、現在の恐慌と大恐慌に共通した特徴的な減少。……今回、日本で進められたのは国内窮乏化政策でした。さらに景気対策に名を借りて逆所得再分配政策がとられた〓。株式売却益や配当への課税は引き下げられた。
マネーに絡む者だけが莫大な富を手にした、という点において、ふたつの恐慌は共通項が認められる。
加えて今回ハ、グローバルズと私が呼ぶ100社ほどの巨大企業が、国内の地域社会に固着せざるをえないローカルズとの間に天文学的な格差を生みだした。円安誘導など、政策支援はもっぱらグローバルズに集中し、国内での景気の自律的な回復力そのものが衰弱した。
▽10 サッチャーは、国民の圧倒的な支持があって手をつけられなかったNHSについて、アメリカのアラン・エントホーフェンという経済学者を招き、内部市場という制度を設けて、実質的な民営化を強行する。Death Ratio-患者1人が死に至るまでのコスト-を最小にすることによって医療費を抑制しようとした。たとえば60歳以上の老人に対しては、腎臓透析を禁止するという通達まで出された。じつは、小泉政権の下で強行された医療費抑制政策、特に後期高齢者医療制度は同じ考え方に基づいたものです。
エントホーフェンは、若くして、国防次官としてベトナム戦争の実行計画の責任者になった人。Kill-Ratio 限られた戦争予算のもとでできるだけ多くの「ベトコン」を殺すことを戦争の目的にした。それをNYがすっぱ抜いて世界中から非難を浴びた。
▽11 マクナマラは、第二次大戦中、陸軍航空隊で、Kill-Ratioを最小にするような日本爆撃の方法について研究していた。……できるだけ数多くの家を燃やし、数多くの人間を殺すことを日本爆撃の目的に掲げた。それが実行に移されたのが東京大空襲。
▽15 フリードマン 市場原理主義が最初に米国から輸出されたのはチリ。シカゴ大学への留学生たちを支援して、サンチャゴ・デ・チレ大学をベースにCIAが巨額の資金をつぎこむ。クーデター後、シカゴ・ボーイズたちが新自由主義的な政策を強行する。銅山を除いてことごとく民営化。虐殺は政府発表では数千人だが、実際は10万人近くにのぼるといわれる。シカゴ大学での私の学生や友人で、行方不明になった人が何人もいます。
▽17 2003年、イラクに暫定政府ができ、国営企業は民営化、金融機関はアメリカの金融機関が支配する。ただ石油だけは国有のまま残す。これもチリにはじまり世界各国に輸出されたパターン。
▽20 フリードマンは、テラーと同様、スタンフォードにやってきては、自由を守るために、水素爆弾をつかべきだと演説をぶっていた。
……麻薬の規制にも反対した。黒人問題では「黒人の子どもたちは、遊ぶか勉強するかという選択を迫られて遊ぶことを自らの意思で合理的に選択した。だから、上の学校に行けないし、技能も低い。不況になれば最初にクビになる。それはちゃんと計算して遊ぶことを合理的に選択した結果なのだから、経済学者としてとやかく言うことはできない」。それに対して黒人の院生は「私に両親を選ぶ自由などあったでしょうか」
▽24 フリードマンが中心に、ニューディール政策のすべてを否定する運動を巧みに展開した。……レーガン政権の時にニューディールは完全に否定される。
サブプライムローンを推したのはグリーンスパン、ブッシュも支持した。……「この金融商品は、選択肢をもたない低所得者を対象とした住宅ローンをベースにしているから、通例より1%高いリターンを期待できる」という反社会的な主張だった。
▽28 規制緩和万能論が、日本列島を席巻。(マスコミの現場でもまさに〓)
▽31 フリードマンは「最低賃金法は雇用を阻害する」と主張
▽32 イラク 200社あった国有企業がすべて民営化。さらに、外資がイラクの企業の株式を100%保有できるようになった。銀行も、外資による50%の出資が認められた。
▽32 日本では、「社会的共通資本」の原点である、教育と医療が徹底的に壊されつつある。文科省が音頭をとって、子どもに株でもうける楽しみを教えるサミットが開かれた。福井日銀総裁「大切なものはお金に替えなさい。お金に替えておけば、価値を保存して将来必要ならば何でも買えます」という基調講演。〓大切なものは決してお金に替えてはいけない。……後でわかったが、福井氏はその頃、村上ファンドに投資して大もうけしていた。
▽ 排出権取引はとんでもない。大気という大切な社会的共通資本を汚染する行為を自分の権利として主張するというのは、最悪の倫理の崩壊、その極限です。(〓大切なものはカネにしてはいけない=能登のコモンズ)
農業基本法 大規模化。農家は2。5%の自己負担が重荷で、かなりの農家がやっていけなくなる。
水田耕作では、一番大切な社会的共通資本として次世代に伝えるべき「ため池」が壊されてダム利水--ため池を中心とすると村が自立できるのですが、ダムをつくると完全に官僚的な管理になってしまう--に変えられていくこと、入会という形でコモンズとして守られてきた山が入会の禁止とともに分割、個人所有にされたこと、それらが農村の崩壊につながった。(入会の禁止〓いつ、どんな形で? それを見直す動きは? 千枚田など)
▽40 09年3月までに派遣労働者だけで40万人が職を失った。……ヨーロッパでは数々のデモが起き、オルタナティブも用意されている。今回の危機が雇用調整という形であらわれたときには、それに対抗すル力をすでにもっている。……アメリカ型の市場原理主義をもってよしとする「シカゴ・ボーイズ」たちが道を掃き清めた国が、最も激しく打撃を受けている。世界経済危機というよりは、アメリカ、日本、韓国、その他の危機ではないか。
▽42 89年 日米構造協議の核心は、GNPの10%を公共投資に当てろという要求。しかもその公共投資は決して日本経済の生産性を上げるために使ってはいけない、という信じられない要求。最終的には630兆円の公共投資を経済生産性を高めないようにおこなうことを政府として約束した……日本の植民地化を象徴するもの。
……ところが、国は財政節度を守るという理由で、地方自治体に全部押しつけた。自治体は独自でレジャーランドのような生産性を上げない無駄なことに使う。地方債の返済は地方交付税交付金でカバーするという。
ところが小泉政権になって交付税を大幅に削減してしまう。(〓すべてはアメリカの要求から) 54 地方債の発行を、交付税交付金で面倒を見ると言っておきながら、ご破算にするという非道徳性。そうやって地方を追い詰め……赤字病院を遺棄していく。
▽45 公立病院を自治体の財政負担を理由に切り離す措置が進む。もとはといえば、竹中総務大臣の私的懇談会「地方分権21世紀ビジョン懇談会」の提言に発している。
再販問題も……
▽51 医療崩壊で一番重要な役割を果たした日本の「経済財政諮問会議」。アメリカの経済諮問会議とはまったくちがう。アメリカは、会議のメンバーはフルタイム。大統領も政治家も口出ししない。委員会の基礎資料や方針をまとめるスタッフ/ディレクターには、最高の学者がなる。日本は、まったく片手間に、官僚が用意した書類をそのまま、あるいは総理にいわれたことをそのとおり実行に移す。
▽62 レッドパージ。非米活動委員会 バラン教授を追い詰めるが、スタンフォード大学の経済学部教授会は全員で、外部や大学当局からの圧力からバランを守った。(米国の民主主義の底力)
学問の自由と研究者の良心を守るため、多くの経済学者がたたかった。
戦前の日本で、学問の自由と人間の尊厳とを守りつづけた大内兵衛、河上肇、山田盛太郎、有沢広巳、脇村義太郎、河合栄治郎、矢内原忠雄などの経済学者を彷彿させる。
▽74 水俣病やむつ小川原の開発などに取り組み、……市場経済的な計算に乗らない費用についていつも議論していた。
▽78 ラリー・サマーズが世銀のチーフエコノミストの時に「公害を起こして人1人を殺したら、ロサンゼルスなら年間3万ドルの被害を経済に与える。マニラなら300ドルで済む。だから公害をおこしそうな工場は、できるだけ低開発国に誘致するように」という通達を出した。この通達を入手したグリーンピースがサマーズ罷免運動を起こし、サマーズは辞任。
▽83 定常的でありながら、社会のなかでは活発な人間的営みが展開される=ミルの「定常状態」。ヴェブレン(制度学派の経済学)は、ミルの言うような社会を実現できる制度的な条件を経済学者は求めるべき、と考える。私の「社会的共通資本」も、ミルの「定常状態」を実現するための制度を具体的な形で考えていこうとするもの〓。
▽マネーの独走は、過去の苦い経験のなかで築かれてきた「社会的安定化装置」を根こそぎにしてしまった。
▽86 安田講堂事件のあと、東大の総長が文部大臣の所に釈明に行ったのが、日本の大学の独立、自由の終わりだった。その後、次々と改革。大学が学生を選ぶのは社会的共通資本としての大学を維持するために大切だが、それが共通一次で破られる。法人化で、人事権は教授会にあるという鉄則も破られた。
▽90 ILO 日本では失業保険給付を受けられない失業者が77%もいて、先進国で最悪。日本は労働の多様化、流動化を先行させ、働く者の基本的権利を置き去りにしてきた。
▽96 スティグリッツが、人間の知性と良心を象徴する経済学者。世銀のチーフエコノミストとして、バブルの波がタイや韓国、日本を襲った時に、IMFと対決してすばらしい業績を残した。スティグリッツは、日本で言うと、神野直彦さんとか金子勝さんという感じですね。
▽107 EU もう20年以上、パックスアメリカーナから訣別し、人間的な社会をどうやってつくるかに焦点が移っている。……フランスの60年代の学生運動の焦点は、パックス・アメリカーナに対する抵抗・批判だった。ドゴール政策は一見反米に見えるが、パックス・アメリカーナの流れにフランスを組み込もうとした。
旧市街に自動車が入れるようにして、高速道路網をつくり……それに対して学生たちが批判的な動きをする。グルノーブルは、中世以来の街並みに自動車が入り込み、街が壊され、経済的にも追い詰められた。……ミッテラン時代に地方分権化が進み、エリート校を出た人たちが中央官庁の官僚よりも、地方自治体で働くことに生き甲斐を見いだすようになってきた。80~90年代にかけて、フランスの町は中心部から自動車を締め出す。ループ式の電車……緑を増やし、高層の建物は原則禁止……緑が多く、本屋や喫茶店があり、人々があるいているような、かつてのフランスの町になった。
▽110 1990年、ローマでの会議で、私は大気を社会的共通資本ととらえて、炭素税率を一人あたりの国民所得に比例させる「比例的炭素税」を提案。
▽120 農政官僚たちは、自分たちの天下り組織をつくることばかりに力を注いでいた。農林水産技術会議の委員をつとめた。在任中は、食糧自給を言う前に、農村人口を減らさないようにすべきだと何度か主張した。だが、官僚は国民総生産のうち農業生産はわずか。「4%以下では肩身が狭い」などと農業をバカにするだけでした。
ポストハーベストについて、米国政府は国内消費分は厳しい基準を設けながら、輸出分の基準はゼロでした。私は輸入品のチェックを厳しくするよう強調したのですが、相手にしてくれませんでした。
「○○県にはため池がまだいくつも残っている。ため池退治に出かけないといけない」という。ため池をつぶしてダムをつくる算段なのでしょう。ため池は、日本の農業の原点です。日本の気象や地勢などからして大切に保存すべき施設です。
▽123 兵庫県はため池の数が全国でいちばん多く、ため池の役割を見直し大事にしましょうという運動が進んでいます。「地才地創」運動〓
▽124 NAFTA トルティーヤが1年足らずで6,7割と値上がりした。地域によっては5,6倍になった。協定後、米国の安いトウモロコシ流入で家族経営農家が壊滅し、主食がつくれない国になってしまった。〓。そこへ価格暴騰。少し生産されていた分までバイオ燃料の原料として米国資本が買い取ってしまう。
▽128 米国の予算には、農業予算に入っていない農業補助金がある。日本にはそういうものがまったくない。
▽129 空海が長安に留学しているとき、スリランカのため池について学んだのでは。スリランカは紀元前3世紀から10世紀にかけて世界最高の水利文明を誇っていた。ため池技術が発達していた。
……満濃池の工事には近在の農民たちが力を合わせた。コモンズとして、みんなで助け合う考え方が定着し「線香水」とかの使い方、管理のルールも守られた〓。
その後、全国各地の水利でも優れたルールができている。ため池があると経済的にも村が独立する。
しかし明治に入ると巨大ダムの建設で中央集権的な形になり、ため池が減ってルールも壊れていきます。
(〓ため池の数の推移、能登での位置づけ、千枚田は新たなコモンズとして? 自然農の発展)
人間の絆がなお残っていて、それではじめてコモンズが維持されていく。
▽130 オーストラリアは、地下水をどんどん奪う巨大な灌漑農法で、ついに塩害にやられた。稲作は01年ごろ160万トンくらいは作っていたが、今は10万トン以下に落ち込んでいる。
▽131 日本には昔、伝承的な知恵をもつ「老農」という人たちがいて、きめ細かい農法を伝えた。明治になって西洋の農法が導入され、老農が少なくなり、そのことが日本農業衰退につながっていったと、東畑先生や飯沼二郎さんは言っている。
日本の農法の本来の発展方向は、東南アジアと同様に集約的な方向なのに、旧農業基本法以降は欧州の乾地農法をまねして、労働生産性の追求一本槍になってしまった。これがまちがいだ。
▽133 山村の定住者には農山村文化功労者年金を支給すればよい。一定の条件を具えた専業農家に1戸あたり年間100万円程度を出す制度。支給対象は60万戸総額6000億円というのが当時の試算で、予算は米価補助金と同程度でした。大蔵省はOKだったが、農林官僚は反対し、技術会議で議題にしてくれなかった。
農村に公的資金を投入して働き口をつくり、住居まであっせんすれば経済効果もある。定額給付金のばらまきよりも効果的。
▽137 MAI多国間投資協定。NGOがストップをかけた。実現したら、地場産業への制度融資とか、環境を守る公的な施策の実施などはすべてMAI違反になる。国内企業を優遇する公的支援も外資への差別として糾弾される。
▽146 農村に隠されたコモンズ的伝統を発掘し、自治体がそれを守っていくことを期待したい。
▽155 水俣病 地元の人々にとって、共通の財産として大事に取り扱われ、海を汚すことはきびしく禁止されていた。社会的共通資本である水俣湾を、窒素は徹底的に汚染した。……公害問題にかかわることで、近代経済学の理論的枠組みの理論的矛盾、倫理的欠陥をつよく感じざるを得なかった。公害問題の原因を解明し、根源的解決の道を探ることができるような理論的枠組みとして、社会的共通資本の考え方に到達した。
▽161 アマゾンの少数民族の長老やメディシンマンに受け継がれてきた技術を聞き、サンプルを持ち帰り、人工的に合成することで、アメリカの製薬会社が新薬をつくりだす。
ブラジル政府は、アメリカの製薬会社がアマゾンの長老たちに特許料を支払う制度を新しくつくった。ところが長老たちは特許料の受け取りを拒否した。自分たちの知識が、人類の幸福のために使われることほどうれしいことはない。その喜びをお金に替えるというさもしいことはしたくないという理由からであった〓。
あくどく利潤を追求してやまない市場原理主義的企業のあり方と、長老たちのすがすがしい人間的な生き方との鮮明な対照こそ、地球環境問題を生みだしたもので、同時に、地球環境問題の根源的な解決につながるものであるように思われる。
▽173 20世紀の初頭、アメリカには数多くの魅力的な都市があった。幅の狭い、曲がりくねった街路が行き渡っていて、人々がおおぜい、絶えず行き交いしていた、主な交通手段は路面電車であって……ところが1950年代の終わり頃には、これらの大都市の大部分は「死んで」しまった。ジェイコブスの魅力的な都市の四大原則 1)都市の街路はせまくて、折れ曲がっていて、各ブロックが短くなければならない。 2)古い建物が多く残っているのが望ましい。 3)都市の各地区は必ず2つあるいはそれ以上の働きをするようになっていなければならない。ゾーニングを中心とする都市計画を否定。 4)各地区の人口密度が十分高くなるように計画するのが望ましい。……これまでの都市の考え方を全面的に否定し……
▽175 農業は、自らの育った狭い農村社会のなかに閉じ込められたままで、新しい展開への展望を欠くのが一般的。いま求められているのは、農の営み、あるいは農村のあり方を大きく改編して、若者たちに魅力あるものにすることである。……農業基本法にもとづく日本の農政は、農村の置かれている社会的・文化的条件には一切関与せず、個々の農家を単位として形成されている経済的、経営的諸条件を所与として、分権的市場経済制度のもとで、農業をどのように効率的なものとし……という目的をもって展開されてきた。

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