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「自己啓発病」社会 <宮崎学>

■「自己啓発病」社会 <宮崎学>祥伝社新書 20120307
 イギリスのサミュエル・スマイルズの「自助論」。抄訳が広まり、都合のよいところだけつまみ食いのように翻訳され、小泉や勝間ら、新自由主義を奉る人々に利用された。
 ところが全訳の「西国立志編」では、そんな利己主義をあおっているわけではないという。
 なんでも「自助努力」とする風潮が「自己啓発」を生みだしたが、自己啓発をいくらしたところで成果が出るわけではない。本来の自助は、相互扶助や協同、共同体意識という基盤なしにはあり得ないのではないか……。震災被災地のコミュニティの取り組みなどを示しながら説いている。
 趣旨はほぼ賛成できるのだが、いまひとつピンとこなかった。

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▽92 明治維新 一方で政治的指導性を堅持しつつ、他方で有能な人材の登用を対談におこなった。……藩閥以外の人材を抜擢し、中堅・下級官僚は、むしろ旧幕臣を中心に構成された。明治初年代において、激しい職階移動を現出させ、能力主義、業績主義が席巻するが、その職階移動は、基本的に旧武士階級内部に限られていた。「勉強立身熱」の時代。幕臣や佐幕藩では、一族郎党、場合によっては旧家臣団をあげて、優秀な子弟を援助しようとした。松山藩主「郷党育英会」
その後、「立身の官僚制化」が進み、「受験」の時代に移行。同時に、非近代的な相互扶助といったいになった自助の精神も失われ、利己的自助の色彩が強くなっていく。
▽107 「先進国病」 石炭、ガス、鉄鋼、鉄道、自動車……大幅な国有化によって、投資減退による資本流出をまねき、イギリスは国際競争力を失ったとされる。
サッチャーがスマイルズの「自助論」を賞賛したため、日本では渡部昇一らが「先進国病に対処するには自助論だ」と言い出した。
▽136 東日本大震災 日本人の間にある種の相互扶助意識の再生がもたらされる契機に?
▽143 仙台市三本塚の住民 若手が自警団をつくり、高齢者の介護や搬送……何百年もつづく古い共同体。日頃から相互扶助が積み上げられてきている。被災直後はいくつかの避難所に分散していたが、リーダーが、町内単位の助け合いがいちばんだと考えて、一カ所の避難所にまとまって生活するようにした。〓(深見の例) 自助力とは、「ご近所力」相互扶助力にほかならなかった。
▽154 行政や政府を、われわれが主体的に責任をもって対すべき存在ではなく、アクセスできない「お上」のような存在としてしまうおかしさ。
▽157 南三陸町歌津崎の馬場中山集落。自主避難し、道路を通し、泥土から調味料などをひろってきて自炊する。当初は男は外で寝ていたが、自分たちで小屋をたてる。……中心は中山地区長の漁師阿部倉善さん。行政から、「別の土地へ集団避難したら」と言われたが、ムラ全員の「寄合」を開き、どうやって全員が参加、結束してムラの再建をするか相談した。全員が残ることに。近くに仮設住宅用地を自分たちでさがした。行政が難色を示すから、ボランティアに援助を求める。HPで情報発信する。
▽164 協同や相互扶助なくして自助はない。共同体意識を基盤にした自助。(集落営農のうまくいくところといかないところの差〓)

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