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ベストセラー炎上<佐高信、西部邁>

■ベストセラー炎上<佐高信、西部邁>平凡社 20120127

 ベストセラーをばっさりと切る対談。佐高の本は読んできたからどんな批評をするか想像がついたが、安定した共同体を重視する「保守」の立場からの西部の語りは新鮮だった。
 勝間や竹中、稲盛らへの批評はこれまで佐高が書いてきたことと変わりはない。おもしろいのは村上春樹や内田樹への批判だ。
 西部によると、身近なリアリティからひたすら逃げる村上春樹の「1Q84」は、浅田彰の「逃走論」の延長だという。浅田やデリダらによるポストモダンの潮流は、逃走経路のうち流行するもの、みんなが受けれてくれるやり方を選ぶことによって、逆らったはずのコマーシャリズムに足をすくわれたと見る。また、現代人が科学的思考を異様なまでに押し広げた結果としてオウム的な現象が出て来たということを村上は無視し「小手先の出来の悪いお伽噺を作っている」とこきおろす。
 内田の「街場のメディア論」に対しては、「ジャーナリストも学者も、気骨、使命感がないからダメ」と言いながら、なぜ気骨や使命感がないかを考えていない……などと「食い足りなさ」を批判する。西部は、その理由を次のように説明する。
「……皆がモーレス(習俗)を揺るぎなく共有するときに社会は安定し、そこからモーラル(道徳)が現れると保守派は考える。モーラルがしっかりしていれば、未来へ向けてのモラール(志気)もまた充実すると僕は考える。ではなぜモラール、気骨、使命感がなくなったかとなると、現代社会では歴史感覚が弱まり、道徳感覚もバラバラに飛び散り、法と道徳のずれが生じる。その中で人々は不安定になり、……その結果、将来へ向けての志気がなくなるのだ」
 「安定」が将来への志気を生みだすと言えるのか。「安定」していた戦前の日本の農村は志気を生みだしていたのか。もっと動的な刺激のようなものが必要なのではないか……という疑問はわくが、歴史感覚の重要性は納得できる。歴史の流れのなかに自分を位置づけるからこそ使命感も生まれるのであり、「今さえよければ」という刹那主義では責任や気骨など生まれようがないからだ。
 「エコノミックアニマル」を大義とすることを説く塩野七生に対しては、「エコノミーであるためには、しっかりした政府も、コミュニティも、労働組合も必要」「エコノミック・アニマルたりうるには、文化とか政治の厚みが必要」と批判し、1960、70年代のエコノミック・アニマルぶりは、軍隊の生き残りが自分たちのプライドを取り戻そうとというスピリチュアルなものが背景にあったと指摘している。

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□勝間和代
佐高 勝間には社会がない。冷たくも厳しい孤独の中に身を置いたことのない人のおめでたさ。
□ 村上春樹「1Q84」
▽61 西部 「1Q84」は、身近なリアリティというものからとにかく逃げていく。浅田彰の「逃走論」の延長。……浅田くんは、四方八方に逃走せよと書いてあるけれど、あなたは四方八方にどう逃走するの? 実際は四方八方の中からひとつを選ばないといけない。……四方八方の可能性が等距離で等しい重みであったら、人間は完全に決断不能に陥る。……ジャック・デリダも「差異化」というが、AからZまでのどの差異を選ぶかとなったら、決定不能になるわけ。結局、ポストモダンはどこへ行ったか。最終的にコマーシャリズムや、ひょっとしたら資本主義にまで巻込まれてしまったのは、逃走経路のうち一番流行するもの、みんなが受けれてくれるやり方を選ぶことにしたからです。逆らったはずのコマーシャリズムに足をすくわれ、キャピタリズムに迎合してしまうことになったんです。(保守の立場からの懐疑〓、安定した共同体を重視する西部)
▽74 西部 おまじないとは、サイエンスの始まりだと(レヴィ=ストロース)。その意味は、因果関係を追うということ。原因があって結果ががあることを示す。これが呪術の世界だと彼は言う。オウムは、呪術、おまじないの世界。因果関係に注目する。そうであればこそ、多くの自然科学系の参加者がいたんだよね。科学でまだ捉えられていない領域にまで因果関係を追おうとすると、現代の呪術的なものということになり、オウム的なものが出てくるんだろうな、と。
この小説家は、現代人が科学的思考を異様なまでに押し広げた結果としてオウム的な現象が出て来たものだということをおそらく考えていないんじゃないか。……小手先の出来の悪いお伽噺を作っていると思ったら、つまらなくなってきちゃったんだ。
□内田樹「街場のメディア論」
▽92 西部 社会的共通資本がどうあるべきかについては専門家の判断に任せるべきだと宇沢さんは言ってる……と……僕に言わせれば、いわゆる専門家、スペシャリストと称する人間がどれだけ戯言やウソ話をばらまいたか。構造改革であろうが日米同盟であろうが、どれほどメチャクチャな議論がわいて出たかを考えたら、社会的共通資本をそんな者たちの判断に任せるべきだなどと、よく書けるなと思う。
▽99 ジャーナリズムや知識人の知的な退化、という指摘は正しいことをおっしゃってると思う。それではどうして退化は起こっているのか。そこを十分に書いてくれないなんて……。今は学問分野が細分化しているせいで、専門家は物事の断片しかわからない。専門家が全体を見るための思想や価値観、実践的な覚悟を持たないから、知識のスペシャリズムも退化する。そういう専門家がメディアに登場すると、さらに断片的な一時的な情報が広がる。……たとえばそういう脈絡が書かれているかと思ったら、それもない。気楽な本だなと思った。
▽102 ジャーナリストも学者も、気骨、使命感がないからダメというのは間違いない。どうして気骨、使命感がないかということを考えなければならない。……皆がモーレス(習俗)を揺るぎなく共有するときに社会は安定し、そこからモーラル(道徳)が現れると保守派は考える。モーラルがしっかりしていれば、未来へ向けてのモラール(志気)もまた充実すると僕は考える。ではなぜモラール、気骨、使命感がなくなったかとなると、現代社会では歴史感覚が弱まり、道徳感覚もバラバラに飛び散り、法と道徳のずれが生じる。その中で人々は不安定になり、……その結果、将来へ向けての志気がなくなるのだ、というくらいの説明がどこかにないと……。(安定するから将来への志気が生まれる、というだけでよいのかどうか。もっと動的なもの、外からの刺激……が必要なのでは、とは思うが、歴史感覚の重要性はよくわかる〓)

▽109 一番大事なのは、ありがとうという気持ちだという。「贈与と、それに対する感謝の気持ち」と。二人の関係が非常に安定していて……ならば、ありがとうという気持ちが大事だということが事がすむが、変化の激しい社会となれば、相手が何を考えているかわからない。贈与をされたとしても、ひょっとしたら賄賂かもしれないとか、自分の権威を見せびらかすための贈り物かもしれないとか、浮かんでくる。「ありがとうという気持ちが大事」と言うためには、マルセル・モースの「贈与論」だけでは不十分。せっかく変化を求める現代社会について言及しているのに、変化をよしとする時代のなかで贈与はどうなるかを、なぜ論じないのか。
佐高 そういうところをすっ飛ばしているために、相田みつをを読んでいる気分になりましたね。
▽113 西部 沈黙交易。沈黙交易の交換比率が安定するのは、海の人間は山を想像し、山の人間は海を想像するというお互いの想像関係が安定するから。
想像関係がぶっ壊れて、例えば海のほうは底引き網で魚をとるかもしれない。山の方が桑の実ではなく鉄鉱石を掘っているかもしれない。何が起こっているかわからなくなってきたら、交易関係も不安定になる。交換比率をめぐって、いやおうなく争いごとが起こりうる。
佐高 時代や現状を考えれば、今、沈黙交易と言って何ほどの説得力があるんでしょうか。そういうズレが全編に漂っていますね。

□竹中平蔵
▽128 竹中は「これからはハンバーガーの時代だ」と言った。そしたら藤田田という人が竹中をフジタ未来経営研究所の理事長にした。規制緩和ですごく恩恵を浴したパソナという会社の会長。……逃税疑惑

□塩野七生
▽182 西部 今後の日本はエコノミックアニマルを客観的な大義としていいではないか、と提案する。……しかしエコノミック・アニマルって何ですか。エコノミーであるためには、しっかりした政府も、コミュニティも、労働組合も必要で……と、いろいろなことが起こってきますよ。その辺りのことを、少しは考えててくれないと。
佐高 エコノミック・アニマルたりうるには、文化とか政治の厚みが必要。
西部 1960、70年代の日本のエコノミック・アニマルぶりを率いたのは、ある意味では戦中派なわけです。軍隊の生き残りが、自分たちのプライドを取り戻そうと躍起になった先が、差し当たり経済であった。そういうスピリチュアルなものも背景にあって成り立ったアニマルですよ。

□稲盛和夫
▽202 「人格の完成を目指す」と言う。……何十年生きようが、人間などというのは神仏じゃない限り、どれだけ完成からほど遠いか、少しは素直に述懐してくださいよ。
……それから、ビジネスマンだから働くことは大事だとも言う。働くことは「人間性を鍛える等々の副次的効果もあるから」と書いている。では、おまえさん、そんな働くことの副次的効果で人間性や魂が鍛えられ、人格の完成が果たされるのですか。たかだかその程度の副次的な効果によってですよ。
佐高 稲盛が後援会長をしているのが前原誠司。一番近い政治家が小沢一郎。人格の完成からもっとも遠い政治家とつるむあなたは本当に人格が完成しているんですか、と。
▽212 西部 時と場合を度外視して「災難にあうことは業が消えることだ」などと一般的に言われたら、いい加減にしろということになりますよ。
佐高 カルマ落としみたいな話。日本の経営者ですごく嫌なのは、朝礼で説教することです。その典型が稲盛ですよ。
▽ 肩書きを捨てたときに、生きる言葉かどうか……名誉会長と名乗って平気な人はダメな人ですよ。

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