MENU

逆臣・青木幹雄<松田賢弥>

  講談社 20090923

 恩人の竹下が亡くなるとその事務所をのっとり、秘書全員を首にして、忠実な秘書だけをふるいわけようとした。小渕が倒れ、言葉も交わせない状態なのに、首相臨時代理の任の指示を受けたと偽って森を首相にかついだ。郵政民営化はさせないと約束して参議院で小泉支持をとりつけたのに、早々に反故にした。
 まさにウソと寝技でキングメーカーと言われる地位にまでのぼりつめた。
 一見、穏やかで、人の言うことをよくきくタイプに見える彼の「裏の顔」を、周囲の政治家に徹底的にあたってあらわにしていく。竹下家側の青木への恨み、竹下の大番頭でリクルートで自殺した青木伊平の遺族の側からの竹下への恨み……どろどろした動きを丹念に追う。まさに「権力の亡者」が浮き彫りになっている。
 でもなぜ、彼はそんなに権力を欲しがるのか。それがわからない。権力ってそんなに魅力的なものなのだろうか。

==================抜粋・メモ=====================

===========抜粋・メモ===========
 ▽26 瀧川俊行 平成研前事務局長
 ▽42 角栄が小渕に「……そんなヒマがあるなら郷里を歩け。どこに川が流れて、どこで何の作物がとれるのか。水捌けは大丈夫か。土は痩せていないか。肥料はあるのか。どこの山の、どこの家族には何人子供がいて、働き手はどうなっているのか。歩け。その足で歩いて見て来い」
 ▽47 「小渕さんの入院当初、千鶴子夫人は、首相臨時代理の任の指示を受けたと言う青木を見て、『青木さん、あんまりだ』と怒ったという話があります。小渕さんは本当は、言葉が話せなかったのではありませんか」
 ▽60 伊平の兄「伊平がなぜ自殺したかって、そんなことわかるわけないじゃないか……。竹下のことは……ワシは知らん」
 ▽62 「……伊平さんは人付き合いはいい。人を下におかねえ。親切味や心の優しさがあった。……」「伊平は亡くなる直前、何度も『疲れた、疲れた』と口にしていた」
 ▽114 掛合町の竹下の墓参り、伊平の墓参り
 ▽125 青木後援会の長老「登や伊平が生きとったら、青木いこんな好き放題にっせるわけがないし、青木だって政治家として存在できんかったでしょう。……青木が小渕内閣で官房長官に就いた時、ワシらは青天の霹靂とまでは言わないが、これじゃあ、日本はおかしくなると、とても手放しで喜べんかったですわ」。青木は竹下の後継ではない。が、亘は一人前の政治家にはほど遠く、青木の力を頼らなくては竹下の血が廃れていく。……
 ▽128 竹下事務所のっとり。一時は秘書は竹下家の側についたが、亘は分家だ。本家の内情をすみずみまで知り尽くした青木を相手では勝敗は目に見えていた。
 ▽139 竹下の娘まる子 (青木は竹下さんらが手塩にかけた派閥・平成研を捨てて小泉支持に走った……斎藤十朗さんが青木さんからバッサリ切られたとき、直子夫人は「竹下が生きていたら」と泣いたそうですね。青木さんはどこまで竹下家をないがしろにすれば気が済むのでしょうか)「父の代から、怒らない、気配りをわすれずに全員仲良くしていくというような流儀でした。私たちは気配りをするにも、相手に何も言わないですることだと、父から言われて育てられました。そのことをわかってください」
 ▽144 青木の実弟文雄が竹下事務所の秘書だったが、山陰中央テレビにいた長男の一彦を辞めさせて秘書官に据えた。……青木は参議院議長という名誉ある地位を欲しているというのだ。息子の一彦を後継に据える準備に入るという。……竹下の選挙地盤だったものを青木は竹下家ではなく、自身の野心と青木家の世襲のための地盤に変えてしまっていた。
 ▽145 06年 竹下登記念館落成と、銅像の除幕式。国内ではじめてできた道の駅「掛合の里」に銅像。
 ▽165 山陰自動車道・仏経山トンネル「青木トンネル」 小泉内閣で工事発注見直しが決まったが、2カ月後には発注延期が撤回される。(公団総裁だった藤井治芳の)「藤井メモ」には、青木が道路公団総裁に電話し叱り飛ばしたり、公団に対し「俺が倒れるか、おまえらが倒れるかだ」と凄んだことなどが記されていた。「なぜ、俺のところなのか。文書にして届けろ。このことは総裁にも伝えてある」
 ▽171 青木のファミリー企業 ウィルコンサルティング 取締役に実弟の文雄……。「文雄は情報をにぎっている。竹下人脈を使って官僚とパイプを築いたから情報が上がってくる。兄の幹雄は島根県のオール土建を握っている。どちらも竹下の遺産だな」
 グローウイン
 ▽183 「04年の参院選の直前、青木さんは『51議席に届かなかったら、責任をとって幹事長を辞任する』と出処進退を明言していた。結果は49議席だった。たとえ1議席でも負けは負け……ところが青木さんは辞任するどころか、参議院役員任期に伴う会長選挙で、幹事長から会長に昇格したのです」
「参院選後も、青木さんは郵政法案について、『参議院は首相の思いどおりにさせないから』と約束していた。ところが、実際は、『郵政法案を通さなければ政変になる。政変にしていいのか』と問題をすり替え、法案を可決すべく、説得に全力をあげた」
 ▽205
 ▽241 村上「角サンには『老婆心』というものがあった。……角サンの情がつくづく身に沁みたなあ」
 ▽250 共産党の前大社町議・川上英治が83年の県議選で青木に反旗をひるがえし善戦した。2年後の85年、日航ジャンボ機事故で川上(41歳)らは死亡。奇跡的に生き残った川上慶子はその長女だった。長男の川上千春は事故当時中2で、クラブ活動のため自宅にいた。 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次