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アンダーグランド <村上春樹>

1090606
「アンダーグランド」を読む。村上春樹、さすがだ。ただインタビューを並べているだけなのに、ぐいぐいと引き込まれる。ひとひとりの目から見た地下鉄サリン事件を、それぞれの生身の個人の視点から浮き彫りにする。「悲劇の被害者」という型どおりの話だけではなく、その人の日頃の生活や仕事、その日の会話など、日常の生活を描いているから、曼荼羅のように深みを増す。型どおりの記事ばかり書き、型にあうコメントや談話ばかりを探し歩いていると、なにか大事なものが指の間からこぼれ落ちてしまう。なにげない話がたくさん描いてあるから、事件の怖さや理不尽さが浮き彫りになる。新聞記事ではこうはならない。

60人余りの出身や日頃の仕事、あの日の朝の足跡をたどる。地下鉄の駅。おかしなにおいがして、急にあたりが暗くなり、鼻水がとまらなくなり、息苦しくなる。回復した後も物忘れがひどくなる。同じような被害をひたすらつづる。同じに見えて同じじゃない。「○○さん」という個々の人の姿が立ち上がってくる。
ある人は、倒れた人を介抱しようとして、そばを足早に通り過ぎる人を「冷たい」と思う。ほかの人は「私が行っても何もできないし……」「仕事に行かなければ」と通り過ぎる。善悪ではない。どちらも一人の人間として描かれる。
体験者の話は重いが、一番悲しかったのは遺族の聞き書きだ。出産を目の前に控えて夫を亡くした女性は、ふだんは朝食をつくらないのに、「たまには朝ご飯つくってほしいな」と夫にあまえられてその日に限って目玉焼きなどの朝食をつくった。夫は大喜びして食べて出て行った……。
息子を亡くしたリンゴ農家の両親は、農作業で畑にでていて息子の死を知らせるニュースをしばらくたってから聞いた。「テレビ見たか」「そんなもん忙しくて見てねえ」「気をしっかり持てよ……」。息子の死。リンゴ畑の作業があったから、その作業に没頭して、耐えられたという。土と共に生きる農民の強さと悲しさ--。

あの事件の日、たしか成田に行く途中でニュースを知った。そのままハイチに旅立った。帰国したら洪水のような報道が流れた後だった。「これ以上、自分に書けることはないのでは」と思った。阪神大震災のときも「もう書くことが思い浮かばない」と感じた。それは自分の感性の貧しさであり、敗北である。そう思う。

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