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昭和史発掘1 <松本清張>

 文春文庫 20060626

□陸軍機密費問題 □石田検事の怪死
後に政友会から首相になる田中義一大将らによる陸軍機密費を利用した汚職。これを暴こうとする憲政会と軍の反主流派と、隠匿しようとする政友会と軍の反主流のせめぎあいを描く。中野正剛という気骨ある憲政会の議員を、「中野はアカ」とでっちあげて潰そうとするなど、謀略合戦の様子がわかる。
石田検事は、政治決着がはかられた後も執拗に事件を追いつづけ、田中大将らを起訴できる材料を入手したために、政友会につながるやくざ、あるいは右翼に殺されたという。しかも、後に内務大臣になる鈴木喜三郎が「石田が自分に刃をむけるとはけしからぬ」などと発言し右翼をたきつけていた。
筆者は、この石田検事の怪死事件と、戦後の下山事件の手口との類似をくり返し指摘している。

□朴烈大逆事件

爆弾を用意して天皇を殺そうとした、という容疑で捕まった朴烈と金子文子というカップルを描く。
実際には「話しあった」だけで、爆弾も入手できず、なにもできなかった。現代の私たちが「今度を小泉が来たら爆弾でも投げようぜ。フィリピンあたりから火薬をもってきてつくったらええんちゃうか」と話すのと、あまりレベルは変わらない。なのに大逆罪で死刑判決を受ける。「共謀罪」の怖さを予感させるような事件だ。
文子は獄死するが、朴は「恩赦」によって無期懲役となる。戦後に英雄として出獄し、すぐに韓国居留民団の団長に推されたが、20年間世間と断絶していたため、世の中の情勢を判断する頭脳は持ちあわせていなかった。これは出獄直後の徳田球一や志賀義雄についてもいわれたことだという。
関東大震災のとき、「不逞朝鮮人が日本人を襲撃している」という噂がとび、軍隊、警察官が出動し民間人によって自警団が組織される。訛りのおかしい者や、朝鮮人らしい顔つきの者は、かたっぱしから殺された。銃殺するかわりに銃剣で刺し、なぶり殺しにした。なのに、日本政府は加害者をなんら懲罰しえなかった。政府は、各国からの非難の対応に腐心するなかで、在日朝鮮人が悪辣であることを宣伝するのが有効と考えるようになった。朴烈の大逆事件は、そうした背景があって、軍部によってフレームアップされたと筆者は見ている。

□芥川龍之介の死

順風満帆、僧籍にほめられてデビューする。たちまち文壇の寵児になる。一匹狼の谷崎に比べても恵まれたスタートだった。
凝りに凝った文体が自然主義系の批評家に批判されながらも、文壇に新風をおこした。流行は、自然主義から「白樺」の人道主義に移り、それが芥川や菊池によってエゴ尊重に変わる。
だが、凝った文章をつづる作業の負担が生命を縮める一因になった。芥川も漱石も、その凝った文章の呪縛から、ときには解放を求めたかった。だからこそ芥川は、自分(ロマンティシズム)とは正反対の「無技巧派」(リアリズム)の志賀直哉に惹かれたという。
文学上の「壁」に「女」が重なって、自死に追い込まれていったという。

□北原二等卒の直訴

被差別部落出身の二等兵が天皇に差別をなくすように直訴する話。
軍隊内の差別は、徴兵制度がしかれてから激しく起こっていた。部落民は近衛兵には決してとらなかった。……成績がよくても上等兵に昇進する者はまれであった。
盛り上がる水平社運動に対して、憲兵と警察は内部にスパイをもぐりこませ、ダイナマイトで爆破しようと計画し謀議していた、と証言させた。それによって、運動は大打撃を受ける。まさに「共謀罪」の怖さである。
北原は、こうした弾圧を見ていたからこそ、天皇への「直訴」という行動をとった。「大逆」にならないよう、文章は練りに練っていたという。

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