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新聞記者をやめたくなったときの本 <北村肇編>

 現代人文社 20060605

やめたくなったとき、といっても、記者になったばかりの若手を対象にしている。
新聞社に限らず、3日3ヶ月3年という節目に「やめたい」と思う人は多い。
今の新聞社のあり方を考えた場合、「やめたい」と思わないほうがどうかしている。
複数の人がつづっているが、北村肇氏と伊藤千尋氏の文章がよかった。
伊藤氏はエネルギーの塊のよう。
1日1冊読書なんてできるのか? 3カ月でスペイン語をマスターするなんて不可能やろ。
10日もない冬休みで原稿用紙300枚にもなる本を書き上げるなんて、いったい誰や?。
ふだんは公務員でも銀行員でも、休みに「ジャーナリスト」になればよいのだよ・・・と主張する。
なるほど、と思う。でもそれが難しいのだが。

□北村
▽ 警察の不祥事報道を追いかけている寺澤有さん 彼がなぜあれだけ書けるかといえば、情報が入ってくるからなんです。そういう態勢さえ作れば入ってくる。
▽組合運動
▽いまは、新聞記事のパターンを崩さなくてはならないと考えている。

□竹信
▽非政府組織や女性団体と勉強会を開いたり、シンポジウムに出かけて、情報交換を密にする方法を取り入れた。こうして練り上げた疑問をぶつけると、質のいい取材相手なら真剣に答えてくれることも少なくありません。
▽逆境に立たされると、つい、攻撃的になりがちですが、相手を傷つける言葉は避けましょう。
▽記者にとって、すべての不利な状況は、そのまま報道のタネになる。あなたの困っていることは、必ずほかの誰かが困っています
□浅野健一
▽辺見庸氏は講演で「学生時代に報道倫理のことを学んでも、5年働いたら全部忘れてしまう」と断言した。企業の倫理に取り込まれ、・・・るうちに「牡蠣が腐ったような眼」になってしまうとも話していた。
▽編集局や総務局の幹部ににらまれ、同期から12年遅れて外信部にたどりついた。
▽83年末から10年あまり、現役企業内記者でありながら、外部のメディアで、メディアのありかたを中心に言論活動をしてきたが、「共同の記者として書いているのか」と糺されたことが何度おある。今のメディアにもっとも欠けてるのが、社内言論の自由だ。大新聞は記者が社外で発言したり、書いたりすることを嫌がる。許可制、届け出制デキ社の言論活動を規制している。
「新聞人の良心宣言」「この宣言に基づいて、言論の自由を守り、真実の報道をつづけようとする新聞人に対し、会社側が不当な圧力や処分をしてきた場合は、新聞労連がこの新聞人をマモルために全面的に支援する」
「10年前にこの宣言が出ていれば浅野さんは共同を辞めなくてもよかった」(北村)
□伊藤千尋
▽休みはジャーナリスト ペルー1週間取材し、週刊金曜日に5回連載。2週間ベトナムを取材して2週間ほど夜執筆して「観光コースでないベトナム」……2カ月に1度は時事問題のトークショー。
自分は記者をはずされたと嘆く人は多い。しかし、私は、ブツクサ言う暇があったら、自分で時間を作って取材しどこにでも発表すればいいではないか、と思うのだ。
▽ほぼ1日に1冊の本を読む。

□原寿雄
▽自由は自分1人の手で1人ひとりが拡大する努力にかかっている。いまの程度の自由度で満足できてしまうような人間ではダメだ。自由に行動してみて初めて「どこまでが自由か」その範囲がわかる。自由を実現する行動がなければ、自由の量も質もわからない。
▽市民社会の「市民ジャーナリスト」を目指してほしい。「市民社会とメディア」という本

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