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怪優伝 三國連太郎<佐野眞一>

■怪優伝 三國連太郎・死ぬまで演じつづけること<佐野眞一>講談社 

 三國が出演した映画を筆者がいっしょに視ながら、長時間インタビューをしてつくられたぜいたくな本だ。
 被差別部落出身で祖父は棺桶をつくる職人だった。戦時中は兵役を拒否するため海外逃亡を図って失敗した。戦場では弾を撃つと敵の目標になるからと、一切発砲しなかった。
 敗戦になると、軍籍簿を破って一般居留民の中にまぎれ込んだ。ポマードや石鹸などを大豆油でつくって中国人に売った。出入り自由、物売りも自由という収容所生活だった。軍籍簿がないと帰国の乗船許可がおりないから、行方不明になった上官が佐藤姓だったのを思い出してその籍を詐称した。乗船許可には妻帯者が有利だと聞き、宮崎県出身の女性と名義だけ結婚した。何が何でも生き抜くという力があった。
 奔放な女性体験でも知られる。12歳の時に初体験する。引き揚げてしばらくして山陰の女性と同棲をはじめたが、妻と友人のセックスの現場を見てしまう。3度目の結婚をして佐藤浩市が生まれたが、3年後には太地喜和子との熱愛騒ぎに。「女性はやっぱり足を引っぱる存在じゃないでしょうか。どうしても視野が狭くなるんですよ、家庭というものにしがみついていると。だから不特定多数の…」と佐野のインタビューに答えている。
 50歳直前で妻と子の佐藤浩市と別れ、家も売り払い、中近東への旅に出た。
 生き方そのものがはちゃめちゃで刺激的だ。
 役者としてのこだわりも、突き抜けている。台詞を自分の体の細胞の一つにしなければその役は演じられないと台本は最低200回は読む。ある映画では48歳の田中絹代が16歳の女中役をして、34歳の三國が老人役をした。老け役のため、麻酔もかけずに上の歯を全部抜いた。不貞を働く妻役の有馬稲子を本気で殴り、顔が腫れ上がり、それを冷やしながら、撮影をつづけたら気絶してしまった。
 もうこんな俳優があらわれることはないし、あれほどの映画が生まれることはないだろう。彼の出た作品を片っ端から視たくなった。

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▽18 内田吐夢 晩年小田原の運河に浮かべた廃船のなかで暮らしていた。…昭和16年に満州へ。甘粕正彦の最期をみとった。
…脱走したり捕まったり、捕まるのがわかっていながら脱走したりとか。糞溜めの中へ一晩浸かって援軍が来るのを待って助かった。
▽ 夫婦者には引き揚げの優先権があるという噂を信じて偽装結婚。何が何でも生き抜いてみせるというたくましい生命力。
▽24 台詞を自分の体の細胞の一つにしなければその役は演じられないと三国さんはおっしゃる。台本も最低200回は読むそうである。
▽26 本名は佐藤政雄。
▽35 女性はやっぱり足を引っぱる存在じゃないでしょうか。どうしても視野が狭くなるんですよ、家庭というものにしがみついていると。だから不特定多数の…
▽引き揚げてしばらくして山陰の女性と同棲を始めた。…女房がぼくの友人と行為の最中なんです。怒りよりもまず絶望感に襲われてしまって…
▽太地喜和子との熱愛。三度目の結婚をして佐藤浩市が生まれて3年後。
▽46 奥さんと別れ、一人息子の佐藤浩市とも別れ、家も売り払い…中近東へ。

□飢餓海峡
 世界で三番目の海難事故、洞爺丸事故も。
 ビデオ撮影が主流になるようになって、台本に沿って「順撮り」する必要がなくなった。…最近の日本映画は画面と画面のつなぎがバラバラで、有機的なつながりが感じられない。
 内田吐夢監督。
 高倉健 「任侠映画に出たのが間違いでしょうね」
 これ以降この作品ほど感動する映画が作られてこなかったこの国の文化的不毛。

□にっぽん泥棒物語
 山本薩夫監督。松川事件がテーマ。
 佐久間良子が田んぼのどろんこにはいるのを嫌がったため、町中からあんこを集めて、それをどろんこに見立てて撮影した。
 渥美清 渥美ちゃんっていうのは。いっぺんも、うちに来いって言ったことがありませんでした。山田洋次も行ったことがなかった。…仕事が終わったら赤の他人。それぐらい冷徹な人でしたね。…人に迷惑をかけないように芝居をするタイプ。非常に常識家でした。…あの利口さが、あの人のお芝居じゃましていたんじゃないですかね。…天才だから自らの命を失ったんでしょう。僕はバカだからやっていけたんです。

□本日休診
 三國が勇作役に抜擢されて以来、鶴田は三國を極端に敵視するようになった。
 …五社協定にはじめて違反し、松竹を懲戒解雇。東宝へ。
 …父は祖父が棺桶づくりの職人だったことが嫌さに電気工事の職人に。
 …三國の女性体験は12歳の時。
 …兵役を逃れようと…同棲相手の女性と九州まで逃げ、大陸に逃亡しようと企てた。その直前、憲兵隊に捕まった。唐津から両親に出した手紙を警察に届けたのは、家族のなかから非国民を出すことを怖れた母親だった。

□ビルマの竪琴
 市川崑監督
 三國は肺湿潤にかかって入院し、漢口に戻ったとき、原隊は南方に転戦していなかった。このため、軍務を免れ、もっぱら兵隊が飲む酒造りばかりやらされた。
 …敗戦。三國は軍籍簿を破って、一般居留民の中にまぎれ込んでいたため、収容されたのは民間人とおなじ施設だった。…ポマードやクリーム、石鹸などをつくり、中国人に売った。…原料は大豆油、苛性ソーダを入れて、枠の中に流して石鹸をつくる。インチキ化粧品も。…生き延びるためには何でもやった三國のたくましさ。
「…危険を敏感に察知し、変わり身が早く危機的状況から退散する能力、これは動物的といってもいいぐらいでしょう」
 …出入り自由、物売りも自由という収容所生活。
 …だが、軍籍簿がないと帰国の乗船許可がおりない。行方不明になった上官がたまたま佐藤姓だったのをいいことに、その籍を詐称した。乗船許可には妻帯者が有利だと聞き、台湾銀行の漢口支店にいた宮崎県出身の女性と名義だけ結婚した。
 …軍隊時代におぼえたポマードなんかをつくって闇に流していた。闇屋家業は5年あまり。たまたま職探しに来た銀座で松竹のプロデューサーにスカウトされる。27歳だった。

□異母兄弟
 16歳の女中役は当時48歳の田中絹代。三國は34歳で老人役。老け役のために上の歯を全部抜いた。麻酔をかけると治りが遅いというので、麻酔もかけずに。
 49歳だった田中も、老け役に徹するために歯を抜いている。
 …佐藤浩市との競演は、「美味しんぼ」(1996年)「佐藤君」「三國さん」と他人行儀に呼び合った。

□夜の鼓
 (不貞を働く妻役の有馬稲子を)何度も本気で殴った。有馬くんの顔が腫れ上がっちゃいましてね。それで冷やしながら、また撮影したんです。…気絶しちゃったんです。…あの美人女優が二目と見られない顔になったんですから、本当は二度と共演したくないと思ったんじゃないですか。
 …出演料の支払いが滞って宿代の支払いもできなくなってきた…京都中の旅館を転々と変えましてね。

□襤褸の旗 吉村公三郎
 田中正造が主人公。荒畑寒村の「谷中村滅亡史」
 …お金がなくて血糊も買えない。白黒映画だから墨汁を使った。
 …直訴シーンは皇居前で撮影。「あのシーンは(警察に)引っぱられる人間は、最初から一人決まっていたんです」助監督。
 …土を食べるシーン。本当に食べた。アドリブで本番でやってしまった。馬小屋の前だったから、馬糞を食べちゃった。
 …「襤褸の旗」の現在の権利は紆余曲折の末、中核派の拠点の動労千葉がもっている。

□復讐するは我にあり 今村昌平
 西口彰事件をモデルに。
 今村は、西口の妹がやっているラーメン店につれていく。「ほら、あのカウンターでラーメンをつくっているのが、その妹ですよ」と大声で言ったという。

□利休 勅使河原宏

□息子 山田洋次
 (農民の役をするため)砂袋を突いて突き指させ、指の節を高くした。
…佐藤浩市が「役者をやりたい」と言ってきたとき、「だったら親子の縁を切りましょう」と言った。

□三國連太郎と佐藤政雄のあいだ
 …日本が戦後60年の間に抱えてきたすべての問題にコミットし、それを抜群の演技力で表現してきた。こんな俳優は三國以外はいない。
 …現世の欲望に苦しみ、のたうちまわりながら、それでも回れ右をしないで前に進む以外、この世に生きていく方法はないのではないでしょうか。
 …母の連れ子だった。父の子ではなかった。…三國が自分の出生の秘密を知ったのは52歳のときだった。

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