■国際経済学入門<高橋信裕>ナカニシヤ出版 20160527
分厚い本で敬遠していたが、読んでみると思った以上にわかりやすい。
経済学の理論って、専門家が正反対のことを言うことも珍しくないから、科学というよりイデオロギーに近い印象がある。さまざまな仮定のもとでつくられる純粋モデルは、複雑な現実に当てはまることのほうが珍しい。それらの理論に何の意味があるのか、私のような門外漢にはよくわからないのだが、この本では、基礎理論の意味とその限界を具体的な事例をもとに説明していてわかりやすかった。
たとえば、自由に貿易される商品は、理論上は世界のどこでも同じ価格になるはずだが、輸入規制や消費税率の差、貿易することができない高速道路や鉄道などのインフラの値段に違いがあるから、国ごとに格差ができるという。
リカードの理論によると、比較優位の物の生産に特化して、自由貿易するほどお互いの利益になる。日本は農業をやめて工業に特化した方がよいことになる。だが、この理論は、労働者全員が比較優位な産業で雇用され、失業者がいないことが仮定されている。農家のおばあさんに「明日からプログラマーになれ」と言うようなものだという。そんな調子で、理論と現場を往復して解説しているから退屈しないですむ。
なによりおもしろかったのは、アジア通貨危機や自由貿易協定などがつくられる経緯、欧州通貨危機についての説明だ。
アジア通貨危機の背景には、金融機関がドルで資金を調達して現地通貨で貸し付けていたことや、外国からは短期契約で低金利の資金を調達し、国内企業への貸し付けは長期にして利ざやを稼いでいたこと、部品を生産する国内産業が未発達で、輸出が拡大するほど経常収支赤字が拡大したことがあるという。
バーツが下落するという「予想」が広まり、国際的なファンドがバーツを一斉に売り、タイ政府はドル売り介入で為替レートを維持していたが、97年にドルを使い果たして一気に暴落した。危機の原因はパニックだったという。
世界中の為替取引のうち貿易や直接投資はごくわずかで、大半は資産運用目的という構造もこの背景にあった。中国が通貨危機で被害を受けなかったのは、外国投資のほとんどが直接投資だったからだという。
戦前の世界大恐慌時、ブロック経済政策をとってお互いに輸入を制限した結果、各国の所得は必要以上に低下し、とくに疲弊がひどいドイツにヒトラーが台頭した。その反省から自由貿易を促進するGATTやWTO、EPA、TPPへとつづく流れが生まれた。
欧州はユーロ導入で為替変動リスクが小さくなり、貿易や対外投資などが活発になった。一方で、各国は金融政策や為替レートの操作という政策手段を失い、主要な景気対策の手段は財政政策になった。財政支出に頼らざるをえなくなったことが、ギリシャなどの債務危機の背景のひとつにあるという。
では今話題のTPPは是なのか非なのか。
ISD条項(外国投資家と国家との紛争の解決についての規定)は「国家主権の侵害」という批判がある。アメリカは牛肉輸入における20カ月以下という月齢制限の廃止や、日本が認可していない食品添加物の認可、ポスト・ハーベストの防かび剤の認可、遺伝子組み換え食品の表示義務づけの撤廃などを求めており、食の安全が脅かされる可能性がある。
一方で、自動車などを売りやすくなるし、経済成長率が上昇しなければ、多くの若者が失業者や非正規労働者となる可能性がある。
メリットとデメリットを丁寧に横並びにして検討している。結論は「めざすべき日本のあり方を実現させる方向にTPPの交渉内容を近づけることができるならTPPに参加すべきであり、できないのであれば参加すべきではない」という抽象的なものだった。
「めざすべき方向」は、輸出企業と農業者は正反対だし、自民党と民進党でも120度ぐらい別の方向を向いている。今後も一致できるはずがない。「めざすべき日本のあり方」をまず一致させろ、というのは説得力を感じなかった。
経済成長が不可欠であるという前提も、経済学者のなかでは当たり前なのだろうが、一度疑うべきであるような気がした。
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□基礎理論
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貿易財は理論上は世界のどこでも同じ価格になるはずだが、貿易にともなう費用や輸入規制、消費税率の差などによってそうはならない。
日本の物価が高いのは、貿易することのできない、土地やサービス、高速道路や鉄道などのインフラなどが高いから。
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1円円高になると、トヨタの営業利益が400億円減少し、本田は120億円減少するといわれる。
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大企業は、輸出企業を多く含むため、円安で利益を増加させる。中小企業は、原材料やエネルギーの価格上昇の影響を受けるから利益を下がる。
▽20 輸入をすれば、その契約がドル建てかか円建てかを問わず、円売りドル買いがおこなわれる。ドルの需要が生じる。…輸出をすれば、ドル売り円買いが行われる。(そのメカニズム)
▽貿易や直接答申のための為替取引はごくわずか。大半は資産運用目的。
▽多くの研究者が新たな国際通貨制度を研究中。為替レートの変動が一国の経済にとっての最大の攪乱要因。そこで、購買力平価を用いて為替レートのゾーンを設けて、そこから乖離したときには両国政府が協調介入を行うアジャスタブル・ペッグを提唱(大野健一)
▽35 東日本大震災後の燃料輸入で貿易赤字に。長期的要因は日本企業による海外生産の拡大に。
▽42 購買力平価 二つの国における物価水準から計算される為替レート〓。ビックマックの日米の価格を同じにする為替レートの例。
▽購買力平価と実際の為替レートが乖離する大きな原因は、非貿易財の存在。「円高の長期的な趨勢は、貿易財についてのの購買力平価の動きで決まっている」
▽48 実効為替レート 円と各通貨との為替レートの変化を、日本と当該相手国・地域の貿易額の占める比率によるウエイトで加重平均し、指数化したものを実効為替レートという。
▽55 リカードモデル 比較優位のものの生産に特化して、自由貿易するほどお互いの利益に。
開放経済では閉鎖経済に比べて、両国とも消費量が拡大する。(日本は農業をやめ工業に特化した方がよいことに)
このモデルでは、時間的な経緯を考慮せず、失業者がいないことが仮定されている。労働者の全員が比較優位産業で雇用されることを仮定している。
▽69…2001年の三菱総合研究所の報告書は、農業の多面的な機能に対する評価額が年間約8兆円にのぼると試算〓。
▽ヘクシャー=オリーンモデル
資本豊富国は、資本集約財を輸出し、労働集約財を輸入する。
自由貿易へ移行すると、先進国において労働者の賃金が低下して所得格差が拡大する絵カニズムを説明している。ただし、国全体の所得はは上昇するので、貿易利益が発生すると結論づけられている。
▽産業レベルの規模の経済性が存在するとき、一時的な輸入禁止措置は、国内産業を育成するために有効。(農業にはあてはまらない? 規模拡大が生産性を上げるわけではない。)
▽110 財政支出によるGDP拡大効果は、貿易によって低下する。日本の輸入の対GDP比は年々上昇しているので、景気刺激策の効果は、ますます低下すると考えられる。
▽113 為替への国の介入。「原則的に介入政策は他の政策の補足手段でしかなく、レートを安定させるためには、各国が安定的なマクロ経済政策を行うことがもっとも基本的で有効な政策となる」
▽123 経常収支、貯蓄・投資バランス、財政収支の三者は、お互いに影響を与える相互依存関係にある。
貯蓄・投資バランスや財政支出の悪化は、経常収支赤字の原因となる。それを防ぐには、輸出拡大とともに、貯蓄超過の維持と財政赤字の削減に取り組む必要がある。
□世界経済の変貌
▽134 アジア通貨危機
ひとつめは、借り入れと貸し付けの通貨が異なるというミスマッチ。ドルで借りて、現地通貨で貸し付けする。ふたつめは契約期間のミスマッチ。外国からの借入は短期で契約し、貸し付けは長期。短期の方が金利が低いから、利ざやを稼げるから。
国内の部品などを生産する産業が未発達だから、工業化と輸出拡大が進むと輸入も増えるという構造的特徴があり、経済が成長するほど、経常収支赤字が拡大する。
外国からの多額の資本流入が、景気過熱を通じて、結果的に大幅な経常収支赤字を生んでしまった。
▽138 ドル売り介入によってバーツの対ドル為替レートを維持しつづけたが、97年、保有するドルを使い果たしてしまった。
…アジア通貨危機に陥った国々は、経常収支赤字が大きく、為替レートが本来あるべき値より高く設定されるなどの問題があったが、90年代のメキシコなどの国々に比べてファンダメンタルズがさほど悪化しているとはいえない。危機の原因はパニック。
…アジア通期危機は、資本収支における急激な黒字拡大と、その赤字への転落によって引き起こされたともいえる。
…中国は、外国投資のほとんどが直接投資だったから、アジア通貨危機による直接的な被害を受けなかった。(なるほど)
▽144 インドネシアでは98年、IMF指示による公共料金の値上げが実施され、暴動が起き…
▽153 サブプライムローン 借金をして資産運用をするレバレッジ。投資を行う社員は、あえてその運用益に応じて報酬を得るので、高いレバレッジをかけることであえてリスクの高い投資を行った(〓社員の意識の背景)
▽157 世界大恐慌 ブロック経済。互いに輸入を制限した結果、各国の所得はそれ以前よりも低下した。ドイツ経済の疲弊はひどく、それがヒトラーの台頭を生んだ。
そうした反省がGATTを生みだす原動力に。
・関税以外の方法で国家が貿易に影響を与えるのを原則として禁止
・最恵国待遇(すべての加盟国に対して同じ条件を与える)
・内国民待遇
最恵国待遇によって、ひとつの国に対して関税を下げたとき、他の国にも下げないといけない。他の国はただ乗りすることに。
▽162 ホルモン牛肉事件。ECは、成長ホルモンを使用した牛肉輸入を禁止。米国とカナダはこの問題を提訴…
遺伝子組み換え作物に関する事件。ECは、98年以降新規承認を凍結。アメリカ・カナダ・アルゼンチンはWTOに対してECを提訴。
…コーデックス食品規格委員会。各国の基準を国際的に統一することを目的とする。各国の利害対立の結果が、加盟国すべてに押しつけられる。
▽167 地域貿易協定 アメリカがNAFTAに賛成した大きな理由の一つは、NAFTAによってメキシコ経済が発展し、不法移民の流入が減るだろうと期待したから。
…NAFTAやEUメキシコ自由貿易協定によって、メキシコの日本車のシェアは、6%強から3%台に落ち込んだ。こうして日本はメキシコとEPAを結んだ。
EPAのメリットは例外規定を設けやすいこと。EPAは我が国の貿易拡大に寄与している。
▽184 中国の国内格差。内陸部の成長が進み、格差は縮小。都市と農村の差も2010年頃から改善が見られる。
…中国共産党は、国内政治を安定させるために、経済成長を持続しなければならないと考えている。08年のリーマンショック後に54兆円という大規模な景気対策を実施した。
▽195 中国での日系企業の戦略。合弁企業の製品は、価格なら中国企業に勝てず、品質なら輸入品に勝てない。だから、子会社である合弁企業に対する技術移転で、高品質・低価格の製品をつくらないと競争に勝てない。その技術が横流しされる。
▽インテグラル型とモジュラー型
日本はクローズ・インテグラル型の製品が得意。日本の自動車。
アメリカや中国企業はモジュラー型の製品が得意。モジュラー型生産方式の採用が、中国企業の急速な成長が実現した理由のひとつ。
電気製品は、モジュール化が進むにつれて、日本企業が優位性を発揮できなくなった。
▽203 欧州債務危機
ギリシャでデフォルトが起きれば、ギリシャ国債を購入していた民間銀行が大きな損失を受ける。これらの銀行が融資額を減少させるので、各国の経済への打撃となる。
▽212 ユーロ導入で為替変動リスクが小さくなることは、貿易・対外投資だけでなく経済活動全般が安定して行われる基盤となる。…一方で、通貨統合により各国は、自律的金融政策や為替レート変動という政策手段を喪失する。主要な景気対策の手段は財政政策となる。
統一通貨に加盟した結果、財政支出に頼らざるをえなくなることは、債務問題の発生過程を理解するうえで重要。
▽216 日本の公的債務残高は、GDP比227.2%。ギリシャは179.9%。
日本で債務危機が起きない理由の一つは、消費税率が8%であるため、まだ増税の余地があること。もう一つは、日本の国際がおもに日本の企業や個人によって保有されているため、短期間に大量に国債が売却される可能性が小さいと思われていること。
…日本の年金支給年齢の70歳程度への引き上げと、一人あたりの支給額の削減を、早急に検討すべき。
▽241 アウトソーシング
(大きな枠のなかでとらえ直すとおもしろい。ソフトのアウトソーシングだけではちまちました話だが)
日本からのBPOが大連でさかんなのは、日本語ができてかつ優秀な人材を多数雇うことができるから。
…日本の消費者金融会社は、融資の審査を中国でおこなっている。サービスの多くは非貿易財だが、一部のサービスは貿易財となった。
…ITの発展とそれにともなうグローバル化の進展は、国内の所得格差を拡大させる。
…日本のホワイトカラーの一人あたりの生産性は、先進国のなかで最低と言われる。
▽251 オフショア開発によって、社内の開発の機会が減少し、日本のIT技術者の技術力が低下。長時間労働。
▽TPP
韓米FTA 米以外の関税率を撤廃。牛肉も40%から引き下げられ15年後にゼロに。
ISD条項(外国投資家と国家との紛争の解決についての規定)
「国家主権の侵害」という批判。メキシコとカナダのケースが例に出されるが、…仲裁裁判所がアメリカ寄りという主張は必ずしも説得力があるとはいえない。
…アメリカの対日要求。牛肉輸入における20カ月以下という月齢制限の廃止、日本が認可していない食品添加物の認可、ポスト・ハーベスト防かび剤・殺虫剤の使用の認可、遺伝子組み換え食品の表示義務づけの撤廃。
「米国が科学的に安全と認めたものを表示することは、消費者を惑わすことで許されない」というのがアメリカの主張。
…TPP参加のメリット・デメリットの整理。わかりやすいが。「めざすべき日本のあり方を実現させる方向にTPPの交渉内容を近づけることができるならTPPに参加すべきであり、できないのであれば参加すべきではない」(というのは机上の空論??)
経済成長率が上昇しなければ、多くの若者が失業者や非正規労働者となる可能性がある。(〓成長は至上命題なのか)
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