■いのちの場所<内山節>岩波書店 20160403
いのち、は、個人のものなのか。命が個人のなかにとどまり、自分の命だけが至上のものとしたら、その喪失は世界のすべてを失うことを意味する。だから、死がとてもなくおそろしいものとなる。
だが、そうした個人としての死、という考え方が出てきたのはそう古いことではない。近代とともに生まれた考えだという。西欧では神と個人が結びついていた。神との関係が切れることでバラバラの個人となった。筆者のコミュニティの本からのつながりだ。
日本では、自然や風土との関係のなかにいのちがあると考えた。大きないのちの一部がぽっかり顔を出したのが自分であり、それが死んでも大きないのちの一部となるだけ。
ご先祖になるという考え方も日本の里に根付いていた。上野村の古老は、「そろそろお迎えやな」と言って、自分の墓をつくらせ、「この風邪が治らんままにわしは死ぬ」と淡々と死を迎える。死はとてつもなくおそろしい崖ではなく、ちょっと勇気をもってジャンプするぐらいのイメージなのだ。
人間は関係のなかに生きている。集落、大字、村……。重層的な関係とコミュニティのなかに生きている。あるがままに生き、あるがままに普通に暮らすことが評価される。いい人だったと思われる。そういう命のあり方があった。
死は個人のもの、という考えは、近代以降のある種の信仰にすぎないのだということが見えてくる。
世界農業遺産的な世界、複雑系、南方熊楠。そういった世界とのつながりを感じる。
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▽まえがき 「いのち」を成立させる場があって、はじめて「いのち」は存在することができる。そしてこの場をつくりだしているものが関係である。他者との関係のなかに、自分の生きる場を、「いのち」が存在する場を成立させている。
▽4 人間は知覚を通して認識されたものしか知ることができない。ゆえにカントが「物自体」という言葉で呼んだ本物の姿はとらえられないのである。だとすると、人間は、生とは何か、死とは何かという問いに答えられるのだろうか。…本質はつかみえない…そうだとしたら、私たちは知覚によってとらえられた生を知っているだけで、本質を知らずに生きているという不条理をかかえていることになる。
▽15 大乗仏教では仏陀は人格をもたない。釈迦が見つけだした真理が仏陀なのである。真理は個体性をもつ人間のものではなく、それを超越した普遍の真理。真理はすべてが結び合う世界の方にあり、個々の人間という存在を超越している。
…「行」こそが人間の奥底にある個体性を超えた本質を感じさせる方法なのだといってよい。「行」にすべてをゆだねるのが仏教であり、「行」と「信」は一体であり、真理を見いだすこととも一体である。教えに真理があると考える宗教とはその点が根本的に異なっている。ショーペンハウエルは、「行」と「信」を外したことによって、結び合う普遍の世界にこそ本質が現れている、という視点をもつ人間の論理を超える視点をもつことはなかった。それが彼個人としての解決のつかない苦悩を生むことになった。
…現代人のように「いのち」が個々人のなかにあると考えたら、個人の終了、すなわち死は「いのち」の終了であるばかりでなく、「いのち」があるゆえに成立する自分の生きる世界の終焉であり、自分にとっては世界の終わりを意味する。それが人間たちに深い喪失感や苦悩をもたらす。
…ショーペンハウエル。意味のない人生を送っているという点ですべての人は平等。意味のない人生を送らなければならない苦悩と退屈とだけが、すべての人を襲う。「いのち」を個人のものとした哲学が、「いのち」の平等性を発見するひとつの道筋であった。
▽29 (上野村のばあさんが子どもに墓をつくらせる)「ばあさんには困ったもんだよ。もうじき死ぬから墓をつくれというのに、調子がいいとみにきて、「おまえの墓の作り方が悪いから、わたしの頭の痛いのが治らない」とか言うんだから」
▽31 戦後の上野村。黒澤丈夫村長。91才になるまで40年間村長をつとめた。高度成長期の日本を、日本が崩壊していく過程と見ていた。「現在の日本の動きに惑わされるな」「この自然を守っていけば必ず日本のトップランナーになる日がくる」。地理的な不便さとこうした路線が、共同体的な雰囲気を残させた。
▽36 普通に生きるということをやり遂げた人たちを尊敬するという雰囲気が残されている。「あの人はやるべきことをすべてやった人だから」。共同体を守った人に対する尊敬。
…人が亡くなったとき、葬儀は遺族が出すものではなく、共同体が出すものだった。
…村人は歳をとっても死を恐れることもない。死もまた、ありふれた終焉であり、ありふれた一生を受けついできた先祖たちのなかに加わるだけである。だから「そろそろだよ」なのである。
…おばあさんは言った。「わたしはこの村から一歩も出たことがない。一歩も出たことのない人間が言うんだから間違いない、この村が日本で一番いい村だ」
▽44 キリスト教は個人を基盤にするという性格。それは前身にあるユダヤ教が、流浪の民であったユダヤ民族として生きる個人の救済を目的にした宗教だったことからきている。キリストがおこなった改革は、ユダヤ人ではなくてもユダヤ教を信じれば天国にいけるとしたことで、民族・人種を越えた普遍的な宗教に変えたことにあった。
ところがキリスト教がヨーロッパ社会に浸透すると、…当時圧倒的多数を占める農民の間で、共同体の信仰として成立していくことになった。こうして教会とともにある村の共同体ができあがっていった。…個人救済という面と教会とともにある村の共同体というふたつの性格が重なりながら展開したのが、農村における中世キリスト教だった。
このキリスト教を個人の救済に再び純化させたのがプロテスタンティズム。(〓グアテマラでもプロを信じる人は個人化していく。共同体から離れる傾向)
▽48 個人として人間や霊をとらえるかぎり、自己中心主義に陥らざるをえない。
▽62 山の神、の信仰。12月12日、もしくは1月12日が多くの地域で山の神の大祭で、酒と肴を供えるのがならわし。
▽66 幕府は絶対王政をめざしていが、その動きを拒んでいたのが、村々の共同体だった。
明治維新は、江戸期の社会構造に対する挑戦だった。明治元年に神仏分離令、廃仏毀釈や神社の整理が強行され、残った神社では、土着の神から天皇家の神にご神体を変えていく動きが強行された。
…明治5年には、民衆的世界で大きな力を持っていた修験道が禁止され、学校制度とともに、国民教育が開始される。それまでの共同体の自治にかわって市町村制がひかれ、国からの任命官による地域管理や統一税制がつくられていく(「共同体」を対置することで市町村制度の意味がよくわかる。単なる中央集権化だけではない。世界観の強引な転換)〓
…共同体もまた国家の下にあるという意識が民衆のなかに芽生えるのは日清戦争のとき。日露戦争でそれが大きなうねりとなる。
日露戦争の2年前には、「忠勇征露丸」が大阪の業者から発売された。1910年に帝国在郷軍人会が組織され、軍から銃弾の支給を受けて狩猟の全国組織化がおこなわれるようになった。それを母体に昭和に入ると大日本猟友会が生まれる。狩猟の目的は、寒冷地で戦う兵士のための毛皮確保。(「うさぎおいし」も)
▽69 フロムの「自由からの逃走」的に述べれば、伝統的な共同体が壊されていったにもかかわらず新しい社会的結びつきも成立していない不完全な社会のなかで、浮遊する民衆が大量に生みだされはじめた。(〓高度成長後のほうがもっとひどい)
この不安定な社会基盤のなかで1923年の関東大震災が発生。読売新聞が報じたデマをきっかけとして朝鮮人狩りが発生した〓。
▽75 深く自然を知れば、江戸期の旧村ぐらいでひとつの風土があらわれ、さらに集落ごとに異なる風土や、畑1枚ごとに異なる風土…が成立しうる。このような風土論を私は多層的風土論と呼んでいる。
▽79 新太郎さんにとっての風土は、自分との関わりのなかに成立している。自己との関係がつくりだしている風土である。そしてこの関係のなかに、新太郎さんの「いのち」の存在があった。だとすれば、存在する「いのち」はひとつではない。深い関係のなかに存在している「いのち」も、浅い関係のなかに存在している「いのち」もある。「いのち」もまた多層的な存在ということにならないか。家族との関係のなかにも、友人との関係のなかにも、職場関係のなかでも、自然との関係のなかでも、「いのち」が存在している。
▽82 集落の阿弥陀堂は囲炉裏が切ってある。誰が泊まってもよいとされていた。食事は自分でつくることにはなっていたが、実際は、集落の人たちが家に呼んで振る舞うのが普通だった。自分たちは雑穀を食べても、旅人のためには白米を炊く。そういう結びあいを大事にしてきたのは、上野村では一般的だった。(穴水の四村〓他者を受け入れる窓口、アジール的な空間)。
▽87 柳田国男 現代人にとっては生と死は取り返しがつかないほどに隔絶している。伝統社会に生きた人びとにとっては、生と死はもっと親しい関係にあったのだ、と。
▽89 私たちには現在という刹那があるだけで、過去も未来も現在という刹那のなかにある。この視点に立つならば、過去もまた、現在との関係のなかで変容するし、未来もまた現在との関係によって異なったものになっていく。
…「いのち」はつねに現在という刹那のなかにしかないことになる。
…今日へとつながる共同体の形がつくられたのは、ほとんどの地域おいて江戸中期といってよいく、それ以前の共同体とは断絶性のほうが大きい。にもかかわらず共同体は永遠だと感じられたのは、共同体が「いのち」の存在に関するすべてのことを内包していたから。
…永遠性とは、共同体に対する永遠の信頼があるとき感じられるもの。
…日本の社会観では、共同体に永遠性が感じられていた。なぜそれが可能なのかといえば、伝統的社会観では、社会とは自然と生者と死者とによってつくられたものだったからである。死者もまたこの社会のなかで暮らしている。生者と死者の関係は親しいのである。
…社会を生者だけの社会としてとらえたヨーロッパでは「神の国」が永遠の世界としてとらえられ、日本の伝統社会では現にいまある社会のなかに永遠性があるととらえられていた。
▽95 上野村の高齢者たちは、v死期が近づいたと感じると、実にさわやかな顔をしている。やるべきことはすべてやったという満足感があり、あとは先輩たちと同じように死後の世界に往くだけなのである。それが自然=「おのずから」の人間のありかたのように感じられる。
▽106 近代以降の人間。共同体や風土に包まれている「いのち」のありかを失ったとき、人間は個人として生きるしかなくなった。「生きる」ことは個人の営みに変わった。生きる目的は自己実現などという薄っぺらなことをいうしかないような時代が発生した。死があきらめとしてしか諒解できない時代が生まれ、あきらめられないのなら死はストレスでしかない。生と死を包み込む風土を失ったとき、人間は苦悩を背負うことになった。
▽111 日本の神仏の本体は、人格神ではなく「おのずから」。
▽120 近代以前の個人は個の確立と共同体に包まれた個であることとが矛盾なく成立していた。
…近代になって個が確立されたわけではない。人間が「裸の個人」になったのである。
▽123 レヴィ=ストロースは「人間を世界の他のものから切り離したことで、西洋の人間主義はそれを保護すべき緩衝地域を奪ってしまったのです。自分の力の限界を認識しなくなったときから、人間は自分自身を破壊するようになるのです」
…個の自由を求めて、近代社会は個の自立に価値をおいた。だれもが尊重される個の社会をつくろうとした。だが、それは個が尊重されない社会をつくったばかりでなく、「裸の個人」、フロム的にいえば「浮き草のような大衆」「根無し草の大衆」をつくっただけだった。「いのち」の居場所のない人間の誕生。
▽127 共同体という、さまざまな生きる世界が展開している時代の信仰、宗教。村の宗教、信仰なのである。
▽128 近代的個人は、自分が死ねばこの世界が終わる。根源的には、この世界には自分しか存在しない。家族も友人も自然も、そこに自己がいるから意味をもち、歴史も文化も自己にとっての意味にすぎない。だからそのことに関心がなければ、それらは存在しないに等しい。「裸の個人」とはそういう存在としての人間。
▽132 新太郎さん 自然や村人との関係のなかに自己があり、文化や歴史、先祖や死者との関係のなかに自己がある。新太郎さんの他者は、それらの他者がいなければ自己が成立しない、そういう他者である。(網の目のなかの一部が自分 沖縄)
…他者は自然でもよい。農業をはじめると…農業は自然と人間の共同作業である以上、自然と人間が深く結び合うことになる。自然の営みと自分の営みがたえず結び合う。自然があってこそ自己が存在するという関係。
▽138 戦争をするため、自分たちを国民として意識する人間たちを形成しなければならなくなった。国民国家とは、それまで共同体とともに生きていた人びとを国民という個人に分解し、その個人を国家が一元管理するかたちである。
…絶対王政の時代、中央集権国家と国民の形成を求めたが、それを阻んだのが領地制度や貴族制度。近代革命はこの壁を取り払うという面があった。近代革命が成立しても、国府の増大を目指す国家、それを基盤にして戦争に勝利できる国家を形成するという方向は、いささかも変わることなく、受けつがれた。近代革命は、それまでの国家が目指していた方向性を完成させる役割も果たしてしまった。(〓トクビル?)
近代的個人を成立させる出発点は、国民の形成にあった。それをうながしたのが欧州の戦争だった。
…国民という個人を基調にした体制に移行した以上、経済もまた、個人を基盤にした経済に。農村共同体を基盤にした経済や同業者団体の経済ではなく、そういうものに縛られない個人としての経営者、個人としての労働者によって成り立つ経済が力をつけていった。
資本主義とは、個人としての資本家、個人としての労働者が誕生したことによって発生した。資本家は旧時代のように農村共同体や同業者の共同体に縛られることなく、自由に経営し、富の増大をはかれるようになった。労働者も自由に自分の労働力を売買できるようになった。
近代的個人は、何ものにも包まれない個人、自己完結する個人になった。自分が死ねばこの世界も終わる、そういう個人になった。
▽148 私の存在は、私とともにある関係の総和である。
▽150 フロムは、より完成された個人の誕生がファシズムを否定する力になると考えていたが、この結論は「根無し草の大衆」たちの存在をつくりだしている関係のありようを見損なっていた。より完成された個人とは、より完成された形でシステムに飲み込まれている個人なのである。自分を包んでいる国家システムと自己との関係性に絶対的なものがあるととらえられれば政治的ファシズムに向かうし、経済システムと自己との関係が絶対視されれば経済的ファシズムになる。そのような動きをたえず醸成しつづけるのが個人の時代としての現代社会である。
▽154 「いのち」の問題も、生死の問題も、文化的文脈のなかでとらえられなければいけない。普遍的な理論として明らかにしようとするかぎりとらえられない。関係性がつくりだした自分たちの生きる世界の文化的文脈のなかでのみ、諒解されるのである。
それは知性によって理解できるものではなく、関係が諒解させるもの。
▽159 人間に特別の地位があると考えたときから、人間はふたつの理由で「いのち」のありかを見失ったのかも。ひとつは「いのち」の格差が生まれた。高級な「いのち」と低級な「いのち」。もっとも高級な「いのち」は、自分の「いのち」だということになっていった。自分の「いのち」だけが何物にも代えがたいものととらえられ、直接的に関わりのない多くの人々の「いのち」は、集団としての「いのち」でしかなくなった。誰もが自己を頂点とするプラミッド構造のなかに生命をとらえるようになったのである。
…ついには自分でその価値をみだすしかない孤独な「いのち」の時代が生まれた。
人間の「いのち」に特別な地位があると考えたことで、「いのち」がつながりのなかに存在しているということを否定することになった。「いのち」を結び合うなかにとらえる思想の否定。
▽162 すべての「いのち」は一番奥では結び合っている。つながりながら存在しているという発想が、伝統思想にはあった。一番奥の結び合って成立している「いのち」の世界から伸びた突起のようなものが、それぞれの「いのち」では。そしてこの結び合う世界を守っているのが神仏、あるいは結び合う世界が神仏そのものだととらえるのが、日本の思想でもあった。
それぞれの独立した「いのち」が平等だということではない。奥に共有されている「いのち」の世界があるから、元々すべての「いのち」は平等性をもっているということである。
…生から死への飛躍は、結び合う「いのち」の世界への回帰。その世界が神仏の世界であるなら、そこへの回帰は成仏である。
▽169 いのちが個別にとらえられる時代には、平等とか連帯といった言葉が力を失っていく。近代社会の精神が、建前としては自由、平等、友愛であったとしても、この社会が個を基盤にしているかぎり、実際にはそれは実現しないのである。
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