■脱グローバル論<内田樹、中島岳志、平松邦夫、小田嶋隆、平川克美> 講談社 20130907
平松・前大阪市長が中心になって呼びかけた4回のシンポジウムのまとめ。
グローバリズム経済とは要するにこういうこと、という姿をわかりやすく示してくれる。
たとえば、グローバル企業は、雇用創出とか地域のためという形で利益を国内に環流させる「故郷に錦を飾る」という行動が許されない。
福島原発事故後、「電力料金が高いなら日本を出て行く」と公言するグローバル企業の経済人は、今後原発が事故を起こしたら「こんな汚染されたところでは製造できないので日本を出て行く」と言うに決まっている。それが「グローバル企業」なのだ−−と喝破する。
TPPでは、農業だけでなく保険事業の自由化などのアメリカの要求にも注意しなければならない。簡保や郵貯が強いのは、おじいちゃんおばあちゃんが郵便局の窓口で職員に声をかけられ、立ち話をする場になっているから。TPPはそうした場や社会構造そのものを壊そうとしている。JAを前面に出すことで問題を矮小化して,別の方を通そうという戦略にみえると中島は説く。
一方で「グローバル化」の限界も見えてきたという。
投資先の国の人件費が上がれば次にうつる。移動を繰り返すうちにフロンティアがなくなる。そのとき、資本主義じたいが危機を迎える可能性がある。だから、息の長い、持続可能なビジネスを国内を拠点にやっていこうという経営者が増えている。
では、グローバル経済が行き詰まった後にどんな社会になるのか。
いま、ネットなどを通じて非市場的な流通が拡大し、米の40%は市場を経由していない。そして、これからの社会は、手持ち資源を「どんどん使ってください」という「いい人」のところに財貨も情報も集積していく、と岡田斗司夫は論じている。
今の若い人のなかには、「カネがなくても、質の高い生活ができるためにはどうすればいいか」と考え、固有名をもった個人が、社会的弱者を支援する相互扶助システムをめざす動きがでている。「コミュニティ」とか「地元」というものに関心をしめす「新しいジモト主義」も芽生えているという。
そうした潮流を広めるには、共同体の中心にパブリックなスペースが必要だ。学生時代のボヘハウスの重要性が今になってよくわかる。社会人にとってのパブリックスペースを私たちはどうやってつくっていったらよいのだろう。
また、民主主義が機能するには健全な「中間領域(団体)」が必要だ。町内会は悪くないが、「排除」が起きる面は好ましくない。趣味のサークルやNPO などいろんなグループにはしごをかけるような状況をつくらないといけない。
個人レベルでは、自分を強く見せて「助けなんかいりません」とするのでは人とつながることができず、生きていくための社会的能力を衰弱させてしまう。「弱さ」こそが人と人をつなげる契機になる。金子郁容氏らの「ボランタリー経済の誕生」にも同様な指摘があったことを思い出した。
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▽35 小田嶋 今の日本が置かれている状況は、「すごく頑張ってきたけど、医者にアル中って言われちゃったよ、どうしよう!」みたいな状態じゃなかろうか。……私は結局2,3年は仕事ができなかった。……
(自分のアル中と日本の状態を重ねて)文楽。古い文化の中にあるものを、われわれは全然汲み取って来なかった。前ばっかり見て、一生懸命頑張ってきた。そのあげくの今の滑落状態ですからね。こんな時は足元を見るとか、掘り下げるとか、そういうことをすべきなんじゃなかろうか。
▽40 内田 雇用の創出のためとか地域のためとかで国内にとどまることは不可能になった。会社の利益を減らしても、日本国内に利益を環流させることを外国人株主が許さない。企業がグローバル化するというのは、「故郷に錦を飾る」というタイプの利益の還元が許されない。
「電力料金が高いなら日本を出て行く」と公言する人は、このあと原発が事故を起こしたら「こんな汚染されたところでは製造できないので日本を出て行く」と言い出すに決まっている。
▽50 平川 海外は出たはいいけど、人件費があがる。するとまた次にうつる。フロンティアがなくなってくる。だから、息の長い、持続可能なビジネスを、もう一度国内に拠点をもどしてやっていきたいと考えるセンスのよい経営者が実はかなりの数いる。
▽54 中島 「グローバル経済対国民国家」という対決は、国民国家が勝つ。グローバル経済はフロンティアがなくなればマーケット拡大はない。フロンティアがなくなったとき、資本主義というものが、ほんとうのデッドロックにさしかかる可能性がある。
▽59 内田 韓国 世界でトップシェアをねらえる企業には国家的な支援がおこなわれる。一方で、競争力のない分野は放置される。米韓FTAで韓国の農業は崩壊しつつある。階層分化が加速している。
▽65 小田嶋 橋下批判を書くと新聞に文句ががんがんくる。苦情が来たといっても、どうせ100や200。紙や電波のメディアで仕事してる人たちは、これまで読者や視聴者の声が、そんなに届いてなかったのかとびっくりした。……打たれ強さみたいなものは、ソーシャルメディアの人間の方が絶対強い。
▽115 内田 非市場的な交換は市場を通過しないなら、GDPにはカウントされない。市場は縮み始めているが、非市場的な流通や交換は拡大している。できあいの経済指標を使えば米の流通量は減っている。実際は、マーケットに出ないお米が増えている。岡田斗司夫さんによると〓、米の40%は市場を経由していない。
▽119 岡田さんによると、これからの社会は、人間の価値を測る基準が変わってくる。「いい人」であることが価値になる。手持ち資源を「みなさん、どんどん使ってください」という人であればネットワークが広がる。手持ち資源をつねにフローの状態に置いて、ストックしないというタイプの人が「いい人」ですよね。そういうところに財貨も情報も集積していく。
▽122 イケダハヤト 「コラボル」オンラインだけでもできるボランティアの案件を掲載。もうちょっとお金が絡むものでは「ココナラ」。「500円であなたの似顔絵を描きます」とか。
▽129 小田嶋 「共生する作法」 われわれの時代は、貧困アパートの貧困な人たち、いしいひさいちの漫画みたいな形で共生しているような連中が存在していて、そこをくぐり抜けていった人と、そうじゃない人との間でちょっと対人感覚が違ったりする。私はそういう貧乏をしなかったもんで、いまだにコミュ障みたいな感じの大人になっちゃった。でも、不況の成果なのか、ちゃんとした身体感覚として他人とつきあえる若い人たちが現れたのはすばらしい。(30代と20代ではぜんぜんちがう=三井にくる20代)
▽131 パブリックなスペースは共同体の中心には絶対に必要。(ボヘハウス)
▽142 内田 ロスジェネ論者たちは、「老人たちが独占している資源をもっちょこせ」という奪還論を掲げていた。今の若い人たちは「カネがなくても、質の高い生活ができるためにはどうすればいいか」という方向に思考をシフトしている。固有名をもった個人たちが、社会的弱者を支援するための相互支援・相互扶助の社会システムを設計しようとしている。
▽150 中島 政党が乱立し混沌とするなかで、選挙区においては「人で選ぶ」ことを重要視するべきだろうと思う。「男前」を選ぶ。(中間団体の必要性)
▽154 平川 1991年、牛肉・オレンジの輸入枠撤廃があって、その時期を境に、平均3.4~4%あった経済成長率が1パーセント台に落ちる。それ以降は揚がっていない。3%をめざすというが、そんなことはあり得ない。
▽162 中島 小泉・安倍の時代、いざなぎ景気を超える好景気といわれた。その実感をもっているのは金持ち。あの時代、格差社会がどんどん進行し、貧困問題が噴出し、大企業の内部留保が増えていった。「経済成長すれば日本は浮上し、それによって底上げもされる」なんて噓。
▽172 内田 維新の会の選挙公約に「最低賃金制の廃止」があった。メディアは第一報では全く扱わなかった。
▽183 内田 「強大な父」がいて、一方に「子ども」たちがいる。子どものうちの「悪い兄たち」が父の独占している資源を奪還しようとする。この物語で日本は明治150年引っ張ってきた。中央集権の打破とか、官僚支配を壊すとか、既得権益者から引っぱがすとか。すべて奪還論。アンチ・パターナリズム。……もう標的になるような「敵」は存在しないのだけど、政治的な気分を盛り上げようとしたら、結局「父を倒せ」というスローガンしか思いつかない。
維新の会って「悪い兄」のイデオロギー。父が独占しているものを「オレにもよこせ」って権利請求している。実際には父なんかいないのに。
▽188 平松 大阪市の教育行政基本条例ができたことで、教員試験に応募する人の倍率が下がった。2005年のOECD各国の調査では、もっとも貧困率が高いのがアメリカ、2位が日本。政府の財政出動や生活保護政策がない段階ではヨーロッパの方が貧困率は高かったりする。それが国の政策によって調整した後では日本はワースト2になる。
▽195 中島 高度成長期の若者は、自分は幸福じゃないと言っていた。未来は今より輝いているから。今の若者はあらかじめ未来が失われている。自分の生活がグレードアップしていくイメージが描けない。それゆえに現状を抱きしめようとする。だから多くが「幸福」と答える。
今の若者たちは、昔は目も向けなかったような「コミュニティ」とか「地元」というものに高い関心をしめす。……インドには興味をもってくれないけど、「地元の商店街を一緒になんとかしよう」と言えば、パーッと手があがる。「新しいジモト主義」みたいなものが若者の側から生まれている。〓(意外な指摘)
▽200 小田嶋 石原みたいな人がピンポンダッシュみたいなことをやって……中国の政治家は「なんてことするんだ」と日本の悪口を言う。日本の政治家も「中国になめられたらダメだ」と威勢よくふるまう。それによって人気は一瞬上がるかもしれないけど、平和は毀損されていく。それで困るのはビジネスマンですよ。
▽内田 今の最大の対立点って、「一気にグレートリセット」という立場と「ぼちぼちマイナーチェンジ」という立場の違い。前者を唱える人たちは、システムに大きな問題があることを前提にして人間の出来は論じないが、僕はシステムの問題じゃなくて、管理運営している人間の出来の問題だと思う。「全部変えなきゃ」という幼児的な発想が、ポピュラリティを得ているという事実そのものが日本社会の幼児化の徴候。でもそれは戦後日本人がこれだけ安全で、豊かな社会を建設してきたことの代償なわけ。市民の幼児化は平和と繁栄のコスト。だから受け入れるけど、せめて少数でも大人がいないとまずい。だから気づいた人たちが集まって、子どもたちがネグレクトしている仕事をこつこつとやる、と。
▽208 中島 TPP アメリカが一貫して日本に迫ってきたことの一つは保険事業の自由化。とくに簡保を切り崩し、参入したい。簡保の事業を制限しろ、という条件をつきつけてきた。TPPというのは、自由貿易の理念のためなどではなく、アメリカの国内産業の保護政策。
簡保や郵貯がこれだけ強いのは、郵便局がコミュニティと密接に関わっているから。顔見知りの職員がいて、地域にとって重要な場所になっている。……TPPはこれまでの良きあり方自体を崩し、市場化し、社会構造そのものを壊そうとしている。
▽217 内田 TPPが目の敵にしている非関税障壁で最大のものはこの「身内意識」。目先の損得よりもとりあえず身内を守ることを優先するという発想。
ISD条項(企業が外国から不平等な扱いを受けた場合にその国を訴えることができる制度)は、「個人資産を増やすために商売しているビジネスマン」と「貧しい身内を食わすために税金を使っている国家」をイーブンなプレイヤーだと見なすということ。グローバル企業と国民国家は寿命がちがう生物なのに。
▽230 内田 藩閥政治は打破すべき悪政だと言われたが、実は、軍国主義に突っ走るのは藩閥政治がなくなった後。1922年に山県有朋、29年に田中義一が死んで長州の陸軍軍閥は終わる。真空状態ができたところに、東北諸藩の人たちがでてきた。新木、真崎、会沢、長田、東条……1930年代の陸軍を率いたのは戊辰の負け組の連中。2世代にわたって冷や飯を食わされてきた人たちが、大日本帝国の戦争指導部で一気に功績をあげようとした。抑圧されてきたものの噴出。
▽233 ナショナリズムも新自由主義もマルクス主義も宗教も、生身という限界を持つことで過激な思想は抑制されているが、彼らのはく「正論」には抑制がない。それは生身から出た言葉じゃないから。今一番大事なのは、「思想を個人の身体で担保する」ということなんじゃないか。
匿名で発言する人たちは名前を隠しているんじゃなくて、身体を隠している。生身の人間としてのリアルな生活が背景にあると、それほど過激なことは語れない。
▽236 中島 「昭和維新」と「平成維新」 第一次大戦の好景気は一方で格差社会を生み出す。民衆を置き去りにしたバブル。戦争が終わると、不況に陥り、労働運動が盛んになる。これが大正デモクラシー。……「とにかく景気を回復させろ」という声によって誕生したのが犬養内閣。安倍内閣と同じ金融緩和。国民の支持を受けたが、格差社会をさらに拡大させた。現在と似ている。
▽245 中島 秋葉原事件 ネットのなかの脱身体的な存在であった自己が奪われたときに暴力衝動に突き動かされた。脱身体的であるがゆえに、身体を強烈に求めるようなことが起こってきている。在特会も。ネットだけで匿名で発言していた者が過激化していくと、突然、身体的なリアリズムに何らかのものを求め始める。この一線を飛び越えた接続がこわい。
▽247 彼の住んでいた裾野の町。どの店にも特定の御得意さんばかりが集まっていて、外の人間は入りにくい。あれでは加藤は入っていけなかった。……いろいろな人が立ち寄れるような場所を無数に作っていかないといけない。
▽248 ロバート・パットナム ソーシャル・キャピタルという言葉を定義した。……トクビルは、アメリカの社会は行政と個人の間の中間領域が分厚い。これがデモクラシーがうまくいく最大の要因であると指摘した。教会の洋なパブリックな場がいろいろなレベルで存在している。中間アソシエーションが無数にある社会的特質がデモクラシーをうまく機能させている、ということ。
ところが、アメリカは変質してしまい、ブッシュのような新自由主義政権が支持されている。なぜか、とパットナムが調べると、アメリカのデモクラシーを支えていた中間領域がどんどんやせ細っていた。ボウリングは仲間と楽しむゲームだったはずなのに、昼間から一人で黙々とやっている。アメリカに中間領域を復活させないといけないという強い使命感で、パットナムはこの本を書いた。
町内会は悪くないが、(排除が起きる)町内会しかない社会は悪い。スポーツとか趣味のサークルやNPO などいろんな所にはしごをかけているような状況をつくらないといけない。そういうものをつくらないとデモクラシーは死ぬ、と彼は言う。
19世紀にトクヴィルは「アメリカのデモクラシーは長く続かないだろう」と書いている。メディアが発展し、中間領域がすっ飛ばされて権力者と個人が直接向き合う状態になる。こうなると多数者の熱狂を代弁する人間が政治権力を握るようになる。
▽252 平松 大阪市には地域振興会、つまり町内会が大きな存在として残っている。だがそれだけでは、排除の論理も働く。だから、NPOとかグループとかを包摂しながら地域社会を構築していこうとした。区ごとの「地域活動協議会」はそうした発想から始まった。
▽255 自分を強く見せて「助けなんかいりません」とするのでは、結果的に、生きていくための社会的能力が衰弱していく。
▽256 中島 中崎町。「天人」というカフェが中崎がかわるきっかけに。「これからカフェを造ります……みなさん手伝ってください」と張り紙を表にはった。それで手伝う人が出てきて、地元の祭りにもかかわるようになる。(〓弱さが人を結びつける) アーティストが集まり、あれこれいいあい……インディペンデントな店が次々にできてきた。全国展開の店は入れないという方向。
……札幌市西区の発寒商店街に「カフェ・ハチャム」をつくった。「ふれあいカフェ」という名はだめ。それでは、「ふれあいに行くんだ」という思いでないといけない。知らない人が入ってきたときに、いきなりいっぱいしゃべりかけすぎるのも良くない。4、5回ぐらい来て、むこうからささいなことを聞いてきたらそれがチャンス。……カフェだけでなく小売業もなんとかしようとしていて、ほとんどシャッターがなくなった
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