■満洲暴走 隠された構造<安冨歩>角川新書 2015 20151226
「東大話法」などユニークな著作を次々に出している筆者は、経済学者でありながら、民俗や自然環境、歴史など、幅広い分野を調べ、大きな物語をつくりだす。経済学者の森嶋通夫に似ているなあと思ったら、師弟関係にあったという。
「満洲」はかつて虎や豹があらわれる密林だった。そこに鉄道を通して木を切ると、材質が堅い広葉樹が生える。それが鉄道によって運ばれて馬車の材料になった。馬車で輸送量が増えると鉄道の輸送量も増えていく。鉄道と馬車の相乗効果によって森は次々に切り開かれていった。
中国歴代の皇帝がつくった大運河によって南方から北京に米が運ばれ、北京付近の大豆が南方に運ばれた。上海付近で木綿生産が増えると、大豆粕は肥料として重要視されるようになる。さらに日清戦争後は日本でも大豆かすが肥料に使われるようになった。日露戦争後は、ドイツに輸出されしぼった脂がマーガリンになり、かすは家畜のえさになった。日本とドイツの需要によって「大豆バブル」となった。ちなみに戦後は、南米が大産地となり、アマゾンの森が切り開かれている。大豆が森林を食いつぶすという現象は今もつづいているのだ。
中国の華北は、いくつかの村ごとに市があり、徒歩や一輪車で村から産物を持ち寄っていた。網の目のように市のネットワークができていた。一方の満洲は馬車による輸送が発達したから、県城と呼ばれる中心都市にある市に村の産品が集まった。中央集権的な構造になっていた。だから日本軍は、大動脈である鉄道と県城を押さえれば、地域全体を比較的簡単に統治することができた。
満洲事変が軍事的にも政治的にもうまくいきすぎたため、日本軍は華北に侵攻していく。
網の目のような農民ネットワークがある華北では、都市と鉄道網をおさえても意味がない。泥沼にはまっていくことになった。満洲での成功が、中国侵略という泥沼を生みだし、対米英開戦へと結びついていった。
日本の破滅の原因のひとつに、「総力戦」の読み違えもあるという。
日露戦争までは、事前に準備した武器や資源、兵員がなくなると停戦となった。第一次大戦になると、戦争をしながら武器を生産し、資源を開発し、徴兵をすすめ、国のシステム全体が破滅するまでたたかうことになった。(核兵器出現によって「総力戦」は消滅した)
石原莞爾らの天才軍人は、「総力戦 (total war=すべてを包括する戦争)」になれば負けるとわかっていた。石原は「総力戦」をできる国にするために中国を取り込もうと考えた。別の天才軍人は総力戦では負けるとわかっていたから、短期決戦をめざした。ところが、総力戦にならない、という前提だから兵站を軽視することになり、インパールやガダルカナルなどの悲劇が生まれた。
日本人の特質も、泥沼の原因になったという。若槻内閣は本来、華北に侵攻した関東軍や越境した朝鮮軍の林銑十郎らを軍規違反で処刑しなければならなかった。なのに「出てしまったものはしかたない」と追認して予算をつけた。原則に固執せず既成事実に弱い、というのは日本人の特徴だという。
戦後のバブル経済もそうだった。銀行マン個人は、不動産への異常な投資に疑問を抱いていたが、上からの命令には「立場上』従わざるをえなかった。がんばって融資先を開拓すればするほど、巨額の赤字を会社にもたらした。がんばるほど泥沼にはまった先の大戦とそっくりだった。バブル崩壊後、「立場だったからしかたない」と責任を逃れたのも戦後の経緯と似ている。
「立場主義」についての文章は、半分わかるけど、ちょっと飛ばしすぎ、と思える部分もあったが、「満洲」をめぐる論考は説得力があった。ちなみに「満州」ではなく「満洲」と筆者はあえて書く。もともとは「満洲」だったのに、当用漢字の問題で「満州」となり、一般の「州」と同じレベルだと誤解されてしまうからだという。
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▽45 第一次大戦がはじまったときは、花形は騎兵隊だった。それが4年後には戦車同士、飛行機同士が戦うようになった。馬が軍隊から完全に姿を消すのは20世紀後半。
▽55 中国では「知り合いの知り合い」というだけで、日本人では考えられないほど新設にしてもらえる。
▽79 日本の「初詣」という習慣は、近代に入ってから鉄道会社が創りだした。
▽83 鉄道が敷かれ馬車が活躍し、その結果、県城経済というシンプルな経済形態が発達した。…
▽147 中国や東南アジアに設立した傀儡発券銀行は、壮絶に通貨発行をおこない、ハイパーインフレをじゃっきんした。広大な戦線で4年近く戦えたのは、こういう技によって「(価値のない札を刷ってそれを押しつけることで)現地経済から収奪する」「(最後の担保はだいたい国債になるので)将来につけをまわす」ことを巧妙にやったからだと思います。
…原発廃炉費用を電気料金に転嫁すると決定した。「もうけは電力会社、コストとリスクは国民持ち」となった。あからさまな特定の事業者や自分自身への利益誘導を、そもそも「資本主義」の原理からも外れるようなメチャクチャを、「経済」産業省が独断で、国会の論議を経る法律の改正すらなく、省令改正一発でサラッと、こそっとやってしまう。これが満州国のころから変わらない、日本の官僚の恐ろしさ。
▽166 天皇を守るために軍隊がある。軍隊を守るために国民がいる。
これが昭和期のイメージだった。
▽171 家制度の時代は、「家のために死ぬ」というイデオロギーが成立する。戦って死んだら、子孫が優遇される。
琵琶湖の北の「管浦文書」。隣の大浦という村と田んぼをめぐって血みどろの死闘を2,300年繰り広げていた。…緻密に記録され、その戦いで貢献した人の子孫が優遇された。だから皆が必死でたたかった。
…ところが、徴兵制ではこれは機能しない。死んでも子孫が優遇されない。だから別のイデオロギー装置が必要になる。そこで大村益次郎は東京招魂社をつくったのでは。
…「家」が解体されたのに、個人が単位になったわけではない。…「家」のかわりに「立場」というものが析出されてきたのではないか。「立場」が日本の近代を生みだした。…近代的な「立場」の抑圧。
▽182 日本軍は、自分自身の「立場」の暴走を止められなかった。「止められない」と言えないから、だれかが何か無茶をすると、それをあとから正当化するということをくり返した。正当化しないとその人を死刑にしなければならない。それはいかん、かれも立場上やむをえずやったことなんだから、と。彼を死刑にすると、その上官にまで責任論が上がっていく…(〓朝鮮軍の越境)
▽188 総力戦なんてぜったいできない、と思いながら、立場上「できない」とは言えない。不安を抱えていたから、満洲事変が起きたときに飛びついてしまった。不安なときは、それを一発で解消してくれそうなイベントや人物にすがりつきたくなるものです。
▽194 平頂山事件。女も子どもも老人も広場に集め、皆殺しにした。遺体をまるごと瓦礫に埋めるというすさまじい証拠隠滅。犠牲者は約3000.3か村の数百戸の集落が一瞬にして消滅させられた。(グアテマラの虐殺〓)
襲撃を受けて被害を出し、「立場を失った」軍人が暴発した例。
▽197 平頂山。日本軍の卑怯者による念入りな隠蔽工作のおかげで、現場は虐殺当時のままの状態で完全に保存されており、インターネットで画像を見ることもできる。〓
▽201 原発は「原発などあきらめる」か「事故が起きたときには納得のいく補償などがなされるよう前もって決めておく」という二択しかなかったのに、「現実主義者」たちはどちらも「非現実的」とし、「事故は起きないはず」というファンタジーに逃げこんだ。「立場上」原発をあきらめることなどできないし、事故は起きないという「立場上」、補償や避難の計画は想定外というわけ。
…総力戦という現実を前には、「できるようにする」か「戦争をやめる」の二択しかないのに、陸軍の立場に立てば、現役軍人たちをお払い箱にする湛山案にも乗れなければ、石原莞爾案のようなビジョンにも興味がない。身内でぐちゃぐちゃと意味のないことをしているうちに、国を滅ぼすことになった。
…立場主義者たちの「現実的」な無理・無茶・無謀のとばっちりを受けるのは、いつも弱い者。満洲で犠牲になったのが開拓団。
▽210 泰阜村。帰国子女特別学級や成人に対しての社会学級など、大変な努力をして帰国援助をつづけた。70人以上が帰国した(〓そこから生まれる豊かなもの。保見団地〓とともに)
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