ちくま学芸文庫 20050609
昭和20年正月からの記録。冒頭の元旦の日記はなんだか今の時代を言い当てているようだ。
自分の上から爆弾が降ってきてはじめて初めて「戦争」であることを知り、しかしそれでもなお、戦争に懲りないだろうという。その理由として、戦争を不可避と考えていること、英雄的であることに酔うこと、国際的知識がないことをあげる。今、「新しい歴史教科書をつくる会」の周囲の人々の論調はまさに「不可避」であることをもって当時の指導者や軍人たちを免罪しようとし、特攻隊を英雄視して「無駄死」という指摘を許さない。靖国参拝に固執する小泉や挑発的発言をくり返す安倍や町村といった二世政治家が喝采を受けてしまう。
特攻隊については、英米の報道を引用して「敵は怖がっている」といった論調ばかり垂れ流された。決して「日本人は狂信(カルト)的で野蛮だ」というような報道は紹介されない。当時の英米人の抱いた日本軍への恐怖は、現代日本人がオウムを恐れる気持ちと似たようなものだったのに。
さらに当時の新聞は「強力政治」を唱え、官僚の無責任を攻撃する。「強力政治」を主張したがゆえに軍部の台頭を許し、官僚政治をはびこらせたのに。生活不安が募る人ほど強力な「リーダー」を求め、石原のような知事を選び、ますます弱者は追い込まれるという今と似ている。
敗色が濃くなるにつれて、戦況報道のスタンスはころころと変化する。フィリピン死守を訴えていたのが、「マニラはすでに軍事的価値なし」と書く。4月19日ごろには新聞に「沖縄方面で大戦果があがった」として「絶好の機至る」といった記事が載り、株価まで上がった。「沖縄の米軍の無条件降伏」説さえも流れた。この間、何度「勝機」や「神機」があったのか。過去のスクラップを見ればわかるし、大本営発表の八百長加減は見えてくるはずなのに、残念ながら人間はちょっと前の過去さえも忘れてしまう。それは今も同じだ。
3月にはソ連がトルコとの中立条約を破棄し、4月には日ソ条約が破棄され、来るべき悲劇は着々と近づく。日常生活も逼迫し、棺桶さえもレンタルで使いまわしするようになる。そんなさなかに清沢は急死した。
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▽(元旦の日記)昨晩から今晩にかけ三回空襲警報なる。…日本国民は、今、初めて「戦争」を経験している。戦争は文化の母だとか、「百年戦争」だとかいって戦争を賛美してきたのは長いことだった。戦争は、そんなに遊山に行くようなものなのか。それを今、彼らは味わっているのだ。それでも、ほんとに戦争に懲りるかどうかは疑問だ。結果はむしろ反対なのではないか。彼らは第一、戦争は不可避なものだと考えている。第二に彼等は戦争の英雄的であることに酔う。第三に彼等に国際的知識がない。
▽(特攻についての新聞:敵は戦々恐々としている、という報道ばかり)米国では特攻隊の記事に触れていないそうだ。敵から見れば対手に打撃を与えることが目的なのだから、どちらも同じなのである。日本だけだ。抽象的精神力というものを重視するのは。物量や発明も精神力であることを気づかずに。蘇峰のごとき議論がドンキホーテの最たるもの。
▽杉原君は最後の交換船で米国から帰った人。敵国の取り扱いに、かれが、感謝しているのだ。…日本人はどうしてこういうことができないのだろうか。敵をも愛することが、やがて十数年後において、日本を世界によく紹介する所以ではないか。
▽棺桶が、返還することを条件として融通して貰ったのだそうだ。死人の棺桶は借りるので、買うのではない。これを何回も使うのである。
▽技術員総裁八木秀次博士議会で答弁「(特攻について)最近必死必中ということがいわれるけれども、必死でなくて必中であるという兵器を生み出すことが、念願なのであるが、これが十分に活躍する前に、戦局は必死必中の特攻隊の出動を待たねばならなくなったことは、技術当局として慚愧にたえず…」…これは、封建的なる愛国観(死ぬことを高調する道徳)に対するインテリの反発の発露だ。
日本人は正しい方に自然につく素質を持っているのではないだろうか。正しい方に赴くことの怖さから、官僚は耳をふさぐことばかり考えているのではなかろうか。したがって言論の自由が行われれば日本はよくなるのではないか。来るべき秩序においては、言論自由だけは確保しなくてはならぬ。
▽議会で「戦争責任」の所在を質問した。小磯の答弁は政務ならば総理が負う。作戦ならば統帥部が負う。しかし戦争そのものについてはお答えしたくなしといったという。我憲法によれば天皇その責に任じ給うの外はなきに至っている。戦争の責任もなき国である。
▽正木旻?君は「近きより」を発行している人だ。弁護士で、日本人に希に見るファイターだ。昨年、警官の拷問致死事件を起こした。すなわち警官を告発したのだ。正木君は死ぬつもりで戦っているという。正木君は、また東条前首相に対し悪口--正当な批評をしたおそらく唯一の人である。
▽科学の力、合理的心構えが必要なことを、空襲が教えるにかかわらず、新聞やラジオは、観念的日本主義者の御説教に満ちる。この国民は、ついに救済する道なきか。
▽鹿子木博士談「…国内態勢を見るとき米英を討たんとするに米英の精神がなほ奉じられている向がある。この天倫にそむいている思想、経済其他の上に幾多の米英の思想的残滓がまだ濃い。今日不利な戦局を支えつつあるは青年特別攻撃隊である。戦局をかくも不利にならしめたるは所謂老練練達の士といはれた既成の人達ではなかろうか」。鹿子木、徳富蘇峰といった連中が、この戦争を招来したもっとお大きな元凶だが、二人ながら、青年の出現を叫び、現時局について他を攻撃している。
▽3月 重光外相が石橋…を招待し、戦争を何とかしてやめたいのだが、実業家の方面から何とかできないかと相談したそうだ。新しい総称津島は、米軍が押し寄せてくれば、これを撃退する自信が軍部にあるそうだからといって…。海において撃退し得ないのを、上陸の際、どうして破ることができるのか。これを破ったとしても、米国を最後的にうち破ることがどうして可能なのか。うち破れなかったらどうして戦争を終結させうるのか。こうした理屈がインテリに分からないというのはどういう訳だろうか。第一には、突き詰めて考えることを好まないからであり、第二は、そういうことをいうと、禍の身に及ぶことを恐れるからである。我等の周囲において戦争の始末を考えているものは石橋湛山と植原悦二郎ぐらいなものだ。
空爆の被害や内容について政府は一切発表しない。ただ幾ら打ち落としたということだけだ。誰かが打ち落とした物を総計すれば、米国の造ったB29よりはるかに多くなっているといった。
▽戒厳令施行の噂も専らである。いよいよ軍政が事実的にきたのである。新聞でも、議会でも「強力政治」をいい、それは日本にては軍政をいうのである。軍的秩序と軍人政治に対する迷信を見るべきである。
▽小磯自身が「大本営、政府」と大本営を上位に置くを見よ。軍人大将の見識を知るに足る。
▽3月21日 その新聞も、流言卑語が盛んなこと、その原因が政府が事態を発表しないことからきている、と書くようになった。…朝日社説には「赤飯とらっきょうを食えば爆弾に当たらない」という迷信が流行しているとある。「ドイツが前大戦において突如内部より崩壊したのも、政治的判断と現実感との欠如のために迫り来たる危険を認めることができなかったからである」
▽B29を見ても、まだ竹槍と柔道でやれると思うところが日本精神だろうか。
▽4月 松本烝治氏と時局談あり。松本氏は戦争終結として日支事変以前の状態に復帰する程度でよからんといった。僕は、とてもそんな程度ではすむまいといった。沖縄島方面で敵に大打撃を与え、それで和平の時機を狙うのがいいといった。僕はそれは望ましいが、敵が和平を望むに至るほど打撃を与えうるかは疑問だといった。松本氏は戦争は今秋ぐらいまでで、それ以上は続くまいといった。僕はもう少し長くなるだろうといった。関東方面で上陸敵兵を迎えて激戦を交えるようなことはあるまいという点では一致した。その頃には当方に、それほどな戦力はあるまいというのである。松本氏は、日本人は優しい国民であるから、大した乱暴はしないという。僕は日本人は優しくないという。支那その他における日本人の行動がそれを示すといった。
▽4月4日読売(秋山謙蔵) 「米英と日本が最初に砲門を開いた薩英、馬関のときを緒戦とし、日本が彼らの属国化を拒否する限り、大東亜戦争は必然の運命であったのだ」。大東亜戦争に導いた民間学者で最たるものが二人ある。徳富蘇峰と秋山謙蔵(國學院大教授)だ。この二人が在野戦争責任者だ。
▽小磯から鈴木貫太郎へ 「読売」と「毎日」の社説は愚劣だ。いずれも政治と統帥の緊密化を説くのは同じ。
▽4月7日 「日ソ中立条約不延長」の記事「…同条約の効力はなほ明年四月二五日までは存続する訳であり、さしあたって日ソ関係に大なる変化あるものとは予想それない」 各紙とも悪政1つ放つものがなく極端なレザーブだ。外務省の方針によってしかるのだが、元来ならば「ロシア討つべし」といった議論が飛び出るところだ。 田村幸策君の話--日本がソ連と近づけば、米国はヤキモキして日本に手をさしのべてくる。また日本が米国と平和的工作でもやれば、ソ連は、日本のご機嫌を取ってくる。そういう考え方が、知識階級に非常に多い、と。その通りだ。日本は、国際関係を見るのにきわめて勢力均衡的で、それが特に右翼や軍人に多い。リアリスティックではなしに、かえって自己独断的である。
▽4月9日 敵の放送によれば、日本の四万五千トン級の戦艦を撃沈したとのことで、日本でも認めている。
▽荷物を三十個送ることになって二人の荷造り人夫来る。代金は二百二十円だという。材料は当方でだしてのことだ。彼等の日給は百十円である。一時間あたりの彼等の賃金は二十円だ。日本の最も傑出した学者の一日のお礼が五十円。我等インテリの労働賃金は一日、最高五十円である。これが現在の知識階級と、労働人夫との比較なのだ。
▽建物疎開 土地は陛下のものであり、国策からこわすのに何の遠慮もなくドシドシやるといった。机の上で図をひいたので、耐火建物のあるところを取り壊し、木像家屋のあるところを残している。取り壊したあとに畳などが散乱している。一方に防空壕も造る資材もないのに、他方にそういう不用なものが堆積している。なぜ隣組にでも利用させないのか。官僚と軍人の政治というものが、こうも日本を滅茶にさせてしまったのだ。
▽近頃僕は下らない本を買う。大東亜戦争下にいかに下劣な刊行物が横行していたかを考証せんがためだ。こんな書籍に書棚を貸せるのは嫌だ。乞食を奥座敷に寝せるような気がする。
▽二・二六事件をやった人によって起こされた大東亜戦争を、この人々によって狙われた人たちが収拾しようとしている。軍部大臣が頻々としてかわるところに近来の特徴がある。かつては軍部大臣に居残った。
どこに行っても戦争はいつ終わるのかという点に話題が向けられている。誰も戦争に飽いたことが推知される。日ソ条約不延長が戦争を予見せしめる類の言論が現れている。
▽(4月15日空襲)火事と闘って、僕は何か憎くて痛憤した。しかしただ「米国」という敵だけではないようだ。「こんな戦争をやるのは誰だ」と、僕はこの愚劣な政治と指導者に痛憤していたのである。
▽軍人は最後まで「東京へは絶対に敵機を入れない」とか「麹町地区には飛行機を入れない」といっていた。いま彼等は何という? しかし国民の軍人に対する反感は、嘘のように少ないと思う。軍部に関する批判は一切させないからである。いわれなければ気がつかないほど低劣だからだ。しかし永遠に気がつかないのだろうか?
▽(読売4月19日)「敵空母勢力は一両日前の十数隻より今や5隻内外に低下したものと見られ後方基地に補給、修理のため帰ったものを合計するも…勝機の捕捉は今である。今にしてわれにこれを追撃するに足るべき航空機の物量的確保だにあるならば勝つ、必ず勝つ…」。沖縄線が景気がいいというので各方面で楽観説続出。株もグッと高い。沖縄の敵が無条件降伏したという説も聞いた。中には米国が講和を申し込んだというものがある。民衆がいかに無知であるかが分かる。新聞を鵜呑みにしている証拠だ。新聞記事「『沖縄周辺で敵艦隊8割を撃沈した』『岐阜市では提灯行列用の提灯を造っている』…といったデマが根強く伝えられているが…」
▽4月30日 ラジオでドイツのヒムラー、米英に対し無条件降伏を申し出た伝う。
▽鈴木首相が決まる会議の経緯。
▽僕は兎に角、戦争を終末せしめる必要がある。それがためには、無条件降伏、ソ連を仲介にたてる、蒋介石をたてる、米国あたりにいいだす…だが、いずれの道でも、目的を達すれば、それをとるべきだといった。また、米国の無差別爆撃に対し、日本のキリスト教徒が連合して、世界の世論に訴うべしと述べた。
▽空襲による被害、4月25日に発表。12回の来襲にて英国5年8カ月の被害よりも多し。
□▽朝鮮・台湾に選挙を施行するための衆院選挙法中改正案は、3月22日、25日、それぞれ衆・貴院を通過、朝鮮・台湾人の勅撰議員を貴族院に入れる貴族院令中改正案も3月25日、貴院で可決された。
▽1922年31歳で徴兵検査乙種合格。「最初の教練のとき、号令がかかったが、僕の身体はその号令には応じません。…僕は地団駄踏んで抵抗し、遂に大の字になって仰臥したので入営の翌日から営倉に監禁されることになりました」2月もたたないうちに帰休除隊。33歳のとき関東大震災で妻と娘を失う。37歳で、朝日新聞に企画部次長として入社。39歳、エッセイで右翼を刺激し、国体冒涜者とののしられ、つづいて、責任者追及キャンペーンとなった。これを機に退社してフリーランスに。47歳、ヨーロッパを歴訪。48歳、昭和13年、第二次人民戦線の検挙「左翼派の検挙されたる人々の事を書くのに呼びすてだ。今まで、先生先生といって来ているのに、検挙される日から態度かわる。日本は何という官憲万能主義の国だ」
▽マルクス主義側からの清沢の自由主義に対する批判。当時、論壇ではマルクス主義が全盛であって、自由主義は過去の遺物と見る人が少なくなかった。軽井沢に別荘をもちゴルフをしている生き方にも批判を浴びせられた。1929年のある月には原稿料だけで700円の収入があった。大学卒業生初任給の10倍ほどであった。
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