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暗黒日記2 <清沢洌>

 ちくま学芸文庫 20050525

昭和19年の日記。前年はまだ、外地でやっている戦争は「よそごと」という雰囲気で、東京は比較的のんびりしていたが、昭和19年に入ると、戦時体制がいよいよ身近に迫ってくる。
酒場やカフェーは閉鎖される。食糧が不足してお嬢様学校でも盗みが横行するため、弁当を暖めるのを禁止する。物価は急騰し、砂糖は公定価格の40倍だ。
100キロ以上汽車に乗るには警察の証明が必要となり、何をやるにも役所の印が必要となる。国民を総動員するため日曜日も廃止される。統制を強めるなかで官僚の力ばかりが強まり、精神主義が横行する。
言論弾圧は相変わらず。公開の席では時局の話は一切できない。「2、3人の会でも正直はいえぬ。常にスパイがいるからである」と記す。政治家や元閣僚らが集まるトップエリートの会合でさえも本音は言えない。清沢自身は自他共に認める愛国者であり、国家に役立ちたいと願うが、排斥されている。日本全体が上から下までバカになっていく。
新聞では、「強気」を訴える徳富蘇峰が活躍している。
だが戦局悪化が明らかになるに従って、3月には、米国が「日本抹殺」を狙っているといった記事が公然と現れる。根拠のない自信と確信と強気が相次ぐ敗北にによって崩れると、今度は敵に対する恐怖を植え付けるのだ。
--サイパン島について「この1島は全力固守に値するものと認めて差し支えない」と書いたら、警視庁で「注意」してきたそうだ。仮にサイパンを、とられない前に「全力固守に値せず」と書いたら、発行禁止ものであろう--。
言論は当局者の意のまま。都合が悪くなると事実もかわる。まさにオーウェルの「一九八四年」の世界だったのだ。 
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▽岩波氏は「至誠」を何よりも高く評価する人だ。僕はその「結果」を評価する。僕は大久保、木戸を好み、かれは西郷を好む。
▽(読売抜粋) 国際的には大東亜宣言、国内的には食糧問題の行き詰まり、武器の近代化の必要に面している時に、言論界は依然、神がかり的なものである。
▽満州事変以来、外交は全く軍部に移った。それはまた、一般民衆の好むところの傾向でもあった。
▽ユダヤ人の謀略を喧伝する新聞。戦争カゼもユダヤ人の謀略である旨、ユダヤ研究家が発表している。これが日本の知識水準だ。(ユダヤ人謀略説は最近も流れている。危ない時代には似たような言説が流れる。)
▽今回の戦争で明らかにされたことは「侵略」「他民族隷属」ということが悪事だということである。不思議なことは両方ともそういうのである。東条の言い分は…
▽毎日2月6日「…何が何でも勝ち抜くという尽忠の大精神で戦ふ勇士の心を心とし飛行機でも艦でも断じて敵の生産量に負けぬといふ必勝精神で戦力増強になほ…」、朝日「物は少なくともその足らぬを補って余りある力を日本はもっとる。魂の力ぢゃ、物より大事なのはこれぢや」
▽青山女学院では弁当をストーブであたためることを中止した。ドシドシ盗まれるからだ。
▽かのごとき幼稚愚昧な指導者が国家の重大時機に、率い足ることありや。帝大の某教授曰く「東条首相というのは中学生ぐらいの頭脳ですね」
▽3月5日から日曜を全廃した。学校でも日曜を授業し得るよう法令を改正する。余計時間をかけることが、能率をあげることだと考える時代精神の現れだ。「大西洋憲章は…日本人を皆殺しにすると決議した。。男も女も殺してしまうのだと声明した。きゃつ等に殺されてなるものか」、これが汽車中の演説である。
▽(毎日)「本土沿岸に敵が侵攻して来るにおいては最早万事休すである。ラバウルにせよ、ニューギニアにせよ、わが本土防衛の重要なる特火点たる意義がここにある」。この記事を東条首相が読んで怒った。…東京が焦土に帰しても日本国民は飽くまで敵を滅すために戦うのだと。情報局はあわてて毎日新聞の発表を禁止。…2,3日してその筆者に突然徴兵命令の赤紙が来た。海軍省出入り記者で41,2歳の男、兵役と関係ない国民兵である。これを聞いた海軍省は怒った。丸亀師団部に交渉して除隊させた。しかるにその翌日また徴兵された。東条の性格、陸軍のやり方、陸海軍の関係をいみじくも描き出している。
▽最高勤労能率を発揮するため軍隊的規律による職階制を確立するというのだ。観念いじりに終始している。能率的には軍隊ほど非能率的なところはなかろうではないか。彼らには競争主義の味がわからない。
▽4月 享楽追放で休業を命じられた酒場やカフェーは次々に軍需会社の事務所とかわり…(毎日)。 食事も減りこのころすっかり戦時色に。
▽(インパール)「敵の対日侵攻戦略はわが印度進攻作戦によって重大なる影響を蒙りつつあることは明かである。他方印度に対するわが至妙の作戦が成功するにつれ…」(読売)これが代表的な書き方だ。一貫して「至妙なる作戦」といったことを書かないと承知しない。朝から晩までほめられていないと、1日が過ごせないのである。印度作戦は、大きな政策から観ると、悲しむべき結果を生ずるは明瞭だ。仮にインパールをとっても、それ以上進めず、さればとて退けぬ。戦線の釘づけ。犠牲は非常に多かろう。
▽明治時代には重臣は、真の発言権を有していた。明治天皇の御信任を拝して、首相をも監督する地位にあった。それがチェックス・エンド・バランセスの役目をつとめた。然るに今は…
▽(検閲は)2,3の文字を引き抜いて、問題にする。同志社大学の湯浅総長の辞職は勅語の読み違えといったことであり、立教大学の木村校長も、勅語を読む時に、壇の中段でしたとか何とかいったようなことであり…。
▽日本はこの戦争を始めるのに幾人が知り、指導し、考え、交渉に当たったのだろう。おそらく数十人を出まい。秘密主義、官僚主義、指導者原理というようなものがいかに危険かこれでわかる。来るべき組織においては言論の自由は絶対に確保しなくてはならぬ。議員選挙の無干渉も主義として明定しなくてはならぬ。
この時代の特徴は精神主義の魔力だ。米国の物質力について知らぬ者はなかった。しかし「自由主義」「個人主義」で直ちに内部から崩壊すべく、その反対に日本は日本精神があって、数字では現し得ない奇跡をなし得ると考えた。
▽(7月)(中央公論の嶋中社長辞任問題) 嶋中君は自分が辞めて代理社長をあげるつもりだったが、政府は承知しないのだ。官選社長を出したいのである。…こうした出版界に干渉することになったのは、内務省官吏が呑む機会をつくる目的にあるらしい。彼らは直接に干渉しうるところに利権を持って割りこむのである。問題を起こしては人間をかえ、自分の都合のいいような人物をあげて、…内務省の特高課あたりがそういうことをやり始めると、これを是正する方法がない。中央公論社をもってしても、下級刑事の獣のごとき訊問、呼出し、圧迫をどうすることもできないのである。
▽僕は蝋山君に、他日、新たに作られるであろう日本憲法に2つの明文を挿入してくれといった。言論の自由(個人攻撃には厳罰を課することとし)と、それから暗殺に対する厳罰主義である。
▽雨宮君は「婦人公論」を初号から持って行ったことを伝う。若い頃からのものを集めて、罪に落とそうというのだ。憲法の存在せざる現在、警察に睨められたら最後、逃れる道なし。
▽「東洋経済」が「7月1日号」にサイパン島について「この1島は全力固守に値するものと認めて差し支えない」と書いたら、警視庁で「注意」してきたそうだ。仮にサイパンを、とられない前に「全力固守に値せず」と書いたら、発行禁止ものであろう。言論は当局者のご都合主義である
▽(東条内閣退陣、小磯内閣へ)緒方君が国務大臣になり情報局総裁を兼務した。…この内閣ならば、「休戦」「講和」といったことを冷静に研究しうる。言論の自由についても、内閣のおよぶ限りにおいて伸長し得るのであり…。
▽東条をほめたのは、太鼓持ちの徳富蘇峰だけだる。この戦争放火者はいう。「当局者が強気一点張りをもって、我国民に臨まんことを希望する。東条首相の労に至っては何人もこれを認めざるを得ない。最後まで闘志満々、勝ち抜くだけの気迫を持っていたといふことだけは…」
▽(8月)笹川良一とかいう国粋同盟の親分は何千万円の財産家だという。右翼で金のうならぬ男なし。これだから戦争はやめられぬ。
▽サイパンの最後について、各新聞共に、外国がこれに非常に感心しているように書いている。幕末の武士が、あの服装をして海外に赴き、外人が感心したと書いているのと同じ真理だ。
▽8月30日 いよいよパリ陥落。…各方面に戦勝祈祷会開かる。その知的程度が元寇の乱当時と大差なきことがわかる。
▽(10月)小村寿太郎は好戦的である。これが伊藤博文などと意見を異にした点ではなかったか。要するに加藤高明、小村というように強硬外交の本尊が珍重されたので、「軟弱外交」は幣原だけだ。(安倍や町村が珍重される今との相似〓)
▽台湾沖海戦勝利でワッと沸きたってきた。「菊地 昔は立身出世といふことはなくても巧妙手柄を望まないものはなかったからね。今は巧妙手柄といふ観念はなくなっている。大東亜戦争以来の青少年といへば強いね。全然頭が別になっている」(木村義雄名人と菊池寛の対談)(そういう青少年を育ててしまった教育〓)
▽町に「殺せ、米鬼」という立て看板がある。落下傘で下りたものを殺せというのだろう。日露戦争の頃の武士道はもうない。国民が、何等近代的な考え方も教わらず、旧い伝統も持っていないのを示すこと、近頃の街頭にしくものはない。
▽(11月)神風特攻隊 人生20何年を「体当たり」するために生きて来たわけだ。人命の粗末な使用振りも極まれり。しかも、こうして死んで行くのは立派な青年だけなのだ。
▽(12月、読売の満鉄理事の記事)「新米英的人物乃至は過去においてそういう傾向のあった人間は、政府の要路にあろうと、軍人であろうと、ことごとく危険人物とみなして差し支えない」
▽若い人は「俺らが死ななければ国家がつぶれるんだ」と、進んで平気で死に赴いている。黒木君の次男坊も、後方勤務なんかつまらんと飛行士方面に志願しようとしているそうだし…青年の意気想うべし。喫茶店に行っていた時代とは確かに異なったものがある。(だれきった自由な時代があった。若者が遊びふける現代もいつそうなる怖れがあるのではないか)
▽生方敏郎の「古人今人」、桐生悠々の「他山の石」、正木杲(?)の「近きより」、矢内原忠雄の「嘉信」は、戦争期にだされた反戦的個人誌。

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