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戦雲-いくさふむ<三上智恵監督>

 ぼくは石垣島には5回、宮古島も1度旅行した。最後は2015年だった。迷彩服の米軍人が闊歩する沖縄本島とちがって、平和で明るい島だった。
 ところが2016年ごろから、自衛隊の進出がはじまった。
 石垣島の聖地である於茂登岳のふもとにミサイル基地計画がもちあがり、若者たちが住民投票をもとめて人口の4割の署名をあつめたが、市議会が否決し、2023年に完成してしまう。
 宮古島は2019年に完成した駐屯地に加え、射撃訓練場を供えた弾薬庫もつくられ、銃声が集落にまでこだまするようになった。
 日本の南西の端の与那国島は、「沿岸監視隊」ということで自衛隊をうけいれたのに、町議会にも知らされないままミサイル配備が決まり、戦車やPAC3積載車が公道を走る島になってしまう。
 さらに「武力攻撃予測事態」になると全島民が避難を余儀なくされることになった。軍隊が存在しない平和だった南西諸島は10年もたたずに、どす黒い「戦雲」におおわれていった。
 辺野古や高江の米軍基地問題は全国メディアにもでてくるが、南西諸島の話は沖縄以外ではほとんど報道されないまま「軍事化」が進んでしまった。
 それは、本土の右傾化と平行している。「北朝鮮のミサイル」や「中国」の脅威をあおり、軍事力強化を正当化してきたことが南西諸島の軍事化をうながしている。
 「国を守るためには多少の犠牲はしかたない」という言説がじわじわ広まっている。沖縄は第二次大戦でも「多少の犠牲」にされてきた。中国と有事がおきたとき、まっさきに攻撃されるのはミサイル基地や弾薬庫、レーダー基地だ。自衛隊の配備がすすむほど、戦争の犠牲、つまり「多少の犠牲」になる可能性が高まる。戦時中と同様、沖縄は本土を守るための「捨て石」にされてしまう。
 石垣島には2023年に基地がつくられた。
 絶望的ともいえる現実だが、「おばあの会」の山里節子さんは「祈るだけでは平和はこないけど、祈りなしに平和はこないのよ」「泣いても笑ってもしかたないことになったら、最後はうたうしかないよ」と言って笑う。
 いろいろなものが奪われていっても、「うたうこと」「祈ること」は奪われない。どれだけ絶望しても「歌」はのこる。
 ナチスの強制収容所を生きぬいた「夜と霧」のフランクルは「どんな運命に見舞われたとしても、その運命に対してどんな態度をとるかという人間の最後の自由を奪うことはできない」「人生からわれわれが何を期待するかではなく、人生が何をわれわれに期待しているかが問題であり、人生に突きつけられる問いに対して、行為によって応じなければならない」と説いた。チリのビクトル・ハラは、1973年の軍のクーデターでとらえられて死を目前にして、歌いつづけた。
 石垣のおばあたちはそれと同様の危機感のなかで、うたっている。おぞましい軍事要塞化に抗して、人間の尊厳の崇高さをしめしている。
 絶望的な状況を描いているけど、それが救いであり、その人たちとの連帯なしには日本の平和は守れないのだと訴えている。

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・沖縄が戦前なら日本全体が戦前になっている。
・今回の映画は去年1年かけてつくった。とりあえず去年スピンオフをつくった。スピンオフは、5−10人でいいから見てほしいと思った。みんなが走ってもらう素材になればと。
・現場にも行ってない人がYahoo!などで発信している。
・宮古島や石垣島ではなにも止められなかった。与那国に行くのもつらかっ
ここにきたみなさんは目撃者になった。当事者になってしまったんです。
・精華町の祝園の分屯地に弾薬庫がつくられる。精華町の基地は戦時中、東洋最大の弾薬庫だった。そこにまもなく新たに8棟できてしまう。米軍が助けてくれるまで半年か1年、たたかいつづける能力を担保するためだ。すごい勢いで弾薬庫が全国にできている。レーダーと弾薬庫は真っ先にやられる。
・「特定重要拠点」最近になって「特定利用空港」「特定利用港湾」と名称が変更された。権力が「名称」を変更するときはかなりあぶないなにかを隠そうとするときだ。
・「武力攻撃予測事態」になると島民は出ていかないといけない。映画に登場する隊長?は「与那国の住民を守ります」と言っているが、そうはならない。米軍のためにミサイルを運用している。
・1500時間の映像を2時間12分にした。

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