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借家と持ち家の文学史 <西川祐子>

三省堂 20050124

 「江戸川乱歩シリーズ」と吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を読んだとき、まったくジャンルの異なる作品なのに、どこか似ているなあと思った。太宰治と島崎藤村、あるいは志賀直哉の描く「家」にも同じにおいがした。この本を読んでその理由がわかったような気がした。
明治から現代までの膨大な量の小説をみずみずしい感性で解釈し、無数の小説を住まいと家族をめぐる大河ドラマのように構成しなおしている。それによって、時代時代の「家」のあり方が、文学・小説のありかたを規定してきたことを明らかにしていく。
戦前の「私小説」は封建的大家族「家」からの離脱をはかり、都会にでて新しい形の「家族」をつくっていく物語だという。
「家庭」と「家」の二重構造は、封建的な「家」の没落とともに、しだいに「家庭」に比重がかたむく。都市の家庭家族は、大きな「家」家族とのつながりを失っていく。「火垂るの墓」は、空襲で両親を失った兄妹が、「家」の庇護を求めることもできないままに死んでいくストーリーだと分析し、「『家庭』家族の住んでいた家が焼けてみれば、信じられないほど狭い敷地しか残らないように、一代で築く家庭の基盤は小さくて弱い。壊れたときに真っ先に死ぬのは子どもたちである」と筆者は記す。
藤村の故郷の家は囲炉裏をもつ家だった。生産活動をする土間をもち、大家族が暮らした。食事は囲炉裏を囲んで足つきの膳で食べた。
関東大震災を境にして都会では台所と居間が同じ高さの「土間のない家」「茶の間のある家」が生まれる。家族はちゃぶ台を囲んだ。その多くは借家だったから、家をうつるごとに新たな物語がはじまる。だから比較的短編の、あるいはオムニバス形式の文学が生まれたという。
ここまでの家は、家長の目が家の隅々まで届いていた。筆者はこれを「家族の家の時代」と呼ぶ。
次に訪れるのは「部屋の時代」である。
戦後、公団住宅が生まれ「持ち家」を求めるようになる。75年にはnLDKという間取りが生まれ、翌年にはワンルームも登場する。
nLDKの家は壁によって仕切られ、「家長」の目は全体にとどかない。nLDKのnは、家族の数マイナス1だという。「マイナス1」とは仕事にでて家に存在感のない「父」である。
家から家族が析出される「家族の家の時代」が近代であり、家族のなかから個人が析出される「部屋の時代」が現代だという。明治以来暗いイメージをもっていた「部屋」という言葉が、「明るい部屋」などと形容されるようになるのも、「部屋の時代」の特徴だという。
ちなみに「部屋の時代」につづくのは「離合集散の時代」だと筆者は予想している。



▽戦前の農村の、大きな家ではなく、小さな家とその住民をさがすのは難しい。作家の大部分は大きな家の出身だ。小さな家の出身者が対等な言葉でみずからを語るにいたるのは、戦後教育以後である。(格差社会〓) 宮本百合子は、東京から遊びに来た地主の孫娘の視点から、貧しい農家の生活を描く。
▽樋口一葉「大つごもり」横山源之助は一葉を訪ねる。〓「下層社会探訪集」(現代教養文庫)「明治富豪史」。横山は樋口の死後、彼女の「大つごもり」を何度も読み返したにちがいない。「日本の下層社会」には都市極貧者の住居と家族構成が分析されている。@「大つごもり」の裏長屋……の様子に通ずる。
▽農村から都市へ出た人々は、最初は同郷のよしみを頼って、大きな家に下男下女として住み込んだ。だがしだいに、口入れ屋を頼って職業につくようになる。もっとも多いのは人力車の車夫であった。(ベトナムの光景、アジアの光景〓)
明治の東京の人口と人力車の台数の割合を算出して比較したところ、ダッカの人口とリキシャ台数の割合に一致する。ダッカにはまた学生が多い。卒業しても学歴をいかせる仕事がないのが社会問題という。明治の東京に出てきた6万の車夫と6万の学生もまた、当時の社会問題だったにちがいない。だからこそ、樋口一葉はたびたび小説に車夫を登場させ、坪内逍遙は学生すなわち書生風俗を描いたのだった。
▽「いろり端の家」では、1人1人が足つきの膳で食事をしていた。啄木の東京の借家は「お茶の間のある家」になっており、食事は丸いちゃぶ台であったろう。
▽土間に下りるのではなく、茶の間、座敷と同じ高さの板敷きになった台所は関東大震災の後に普及し地方に及んだ。
▽太宰治「東京八景」〓 東京生活10年を書こうとしたが、書けない。書けないということを書いた、小説とも随筆ともつかない文章が残った。
▽「家」をでて「家族」を築く男の物語である私小説では、家族あわせのカードがそろえばもう書くべきことがなくなる。志賀直哉の後半生がその例である。
▽(火垂るの墓)「家庭」が集まってできる社会では、その子の親だけが子どもに責任をもつ原則だから、他の親は他の子に手をさしのべない。戦時中の隣組は、焼け出されたときには残された子どもを助ける相互扶助組織とはならなかった。「家庭」と「家」の二重構造はこのころすでに「家庭」のほうに比重がかたむいており、都市や植民の家庭家族のなかには、大きな「家」家族とのつながりを失い、家制度に保護をもとめることができない場合があった。「家庭」家族の住んでいた家が焼けてみれば、信じられないほど狭い敷地しか残らないように、一代で築く家庭の基盤は小さくて弱い。壊れたときに真っ先に死ぬのは子どもたちである。
▽1975年には公団住宅にたいして、遠い、高い、狭いという声があがり、はじめて空き家現象が生じた。この年、3dkのつぎに3LDK設計が売り出された。翌年、ワンルームマンションが出現。完成したnLDK設計から子ども部屋や書斎が遊離する現象がはじまる。
▽初期のリカちゃんハウスが、くみ取り式便所のある家が大部分であった現実とはかけ離れた、様式の夢の家であったのにたいし、高度成長以後、夢がげんじつに追いついてハングリー時代が終わると、リカちゃんハウスはしだいにリアリズムになるという説明にはびっくり。
▽テレビドラマが夢ではなく細かな現実を描く方向に転換する時期はおそらく、リカちゃんハウスが本物そっくりのレアリスムにかわる時期に一致する。
▽「サイゴンから来た妻と娘」「バンコクの妻と娘」「パリへ行った妻と娘」〓 ベトナム人の妻は、サイゴン文化を東京のマンションにもちこみ、部屋でウサギを飼い、お風呂にライギョをおよがせる。近藤は67から69年まで先妻とパリに留学。結婚したばかりの女性はパリで鬱病を発して帰国、亡くなった。……妻の連れ子だった娘はパリの学校へ行く。パリでアパルトマンを買ってしまった妻は、金送れと東京へ電報をうち、夫は借金をして送る。近藤紘一はまもなく死ぬ。
▽荒井まり子「未決囚11年の青春」 逮捕のとき24歳の東北医療技術短大生だった荒井は、刑期を終え、36歳になって出獄した。その間、獄中結婚した相手に書き送った手紙が、この本のもとになっている。(〓重信はどうしてる?)
▽多くのワンルームはまだnLDKのリビングがある実家と仕送りや電話でつながっており、かつて「家」「家庭」の二重家族制度が成立していたころと同じく、現在では「家庭」「部屋」の新二重家族制度が維持されている。しかし、空中遊泳中の子ども部屋が、本当に親から自分を切り離したとき、部屋はどこへ行くのだろう。……結合して「家庭」制度を再生産するのだろうか。……「部屋の時代」から、「離合集散」の時代へ。
▽宇野千代 生涯に何軒もの家をたて、何度もでていく。住み捨てた家がつぎつぎと残る。
▽野間宏「真空地帯」〓 兵舎。細分化された序列が抑圧を上から下へ順送りし、嫉妬深い相互監視が左右にはりめぐらされる組織を内部から描く。
▽上野英信「出ニッポン記」〓 ブラジル移民。渡航後十数年をへた人たちがいまだに流浪生活を送っている。「追われゆく坑夫たち」のヤマを追われ、移民になった労働者家族の十数年後の生活に取材したもの。ルポの仕事では、対象となった人々の「その後」の追跡が大切である。……「サンパウロ新聞」は、日本政府の政策を非難し、生活苦に追われる移民の苦難を報道しつづけたという。「頼む家長に死なれ」「路頭に迷う妻と6人の子ら」……上野もサンパウロ新聞も「家族構成」「家長」という言葉を繰り返しつかう。上野の同志は、倒れて死ぬまで雄々しく働いた家長たちであって、後にけなげな妻や子どもたちがつづく。……森崎和江が書いた「まっくら」など、炭鉱の女達の記録の意味が重要に思える。〓「ぶらじる丸」はしばらくは観光用に鳥羽港につながれていたが、いよいよ解体されるため、中国へ「最後の航海」に出発したという(96年)。
▽池澤夏樹「夏の朝の成層圏」〓 マグロ漁船取材中の新聞記者が、漂流し、小さな無人島で75日をすごす。
▽借家小説は、生活の拠点が転々とかわるたびにその生活を描く短編が生まれた。「いろり端のある家」は、座敷の建具をはずすとひとつづきの空間になった。「茶の間のある家」は、夫婦と子どもの3人が茶の間と居間を使用した。どちらも、家長の視線は家の隅々にまでいきとどく。住まいの内部空間と家族を統括し、絶えず目配りする家長の視点から描かれた小説群があった。
▽「書いたことが書いたように想起され、書かなかったことはすっかり失われた」
▽私小説は、基本的に男性作家によって書かれた家つくり小説であった。「家」制度の父と対抗して近代家族を率いる新しいタイプの家長が、父と和解し、新しい家長となる長い物語である。〓
▽ワンルームという新しい空間モデルの誕生は1976年であるが、「私の部屋」「美しい部屋」などという名前の室内装飾の雑誌が売り出されるのは1980年代だ。このころになると、「部屋」という語にあった暗いイメージは一掃される。小説のなかで「にぎやかな部屋」といった「部屋」に肯定的な形容詞のつく題名の小説が増えていく。

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