■愛と暴力の戦後とその後<赤坂真理>講談社現代新書 20141214
時代の変化の節目。終戦、空き地、80年、〓。
筆者の育った東京郊外。小川は暗渠に。火から電気、さらに原発へ。けんかからいじめへ。
危険はどんどん見えないものになっていった。同時に、一度崩壊したらば致命的な打撃を与えるようになっていった。それがあらわになったのが3.11だった。
見えなくされたもののひとつが「戦争」だった。
1964年生まれの筆者の幼い頃、傷痍軍人たちが地下道にいた。ずっと昔のことのように思っていた。僕にとってもそうだった。わずか20年前なのに。
筆者の母は東京裁判の通訳をしていた。
彼女は、真珠湾攻撃はだまし討ちだから悪いと断言し、天皇は守るべきだったと断言する。真珠湾にはじまり、広島・長崎で終わり、東京裁判があってそのあとは考えない。天皇の名の下の大惨禍だっただったが、天皇は悪くない、というのが、一般的な日本人の「あの戦争」の最大公約数ではないか。そこには中国との戦争などは語られない。
そのあとはいきなり民主主義に接続されて、それさえ覚えておけばよい。となった。
特別関心を持って勉強しないかぎり、近現代史はわからないようになっていた。
兄の生まれた1960年生まれと筆者が生まれた64年生まれのちがいは、「空き地」の有無という。兄の時代には、造成地か資材置き場で、土管が積んであった。わずか数年でなくなり、日本全土を「意味と目的のある私有地」に変えていった。ジャイアンのようなガキ大将を成り立たせていたのは空き地という物理的な場だったのではないか。
(大宮の田舎にはまだ竹やぶがあり、秘密基地をつくれた。創造性を発揮するスペースがあった)
それがなくなることで何が変わるのか。
ガキ大将がいなくなる。
小学校高学年のときファミコンが出たが、ファミコンがある家に遊びに行く必要があった。共有(空き地で遊ぶ)→私有(ファミコン)→超私有(ポータブル)。空き地が宅地になっていくのと「子どもの遊びが私有物になっていく」のはパラレルだ。
高度成長の間に徹底的になくされたものは、ある種の「階級社会」。それは、戦争と軍隊が「絶対悪」として全否定されていった過程と寄り添っている。陸軍幼年学校に入るということは階級が変わることを意味した、という。旧日本軍は武士階級そのものだった。1933年のゴーストップ事件では、信号無視をした軍人を警官が注意したら「公衆の面前で帝国軍人を侮蔑するのは許さない」と怒ってけんかになった。「世が世なら切り捨て御免」の感覚だった。
特権を取り上げて、細分して分配する。それがやりつくされてバブル景気が国土をずたずたにして、荒れ野に現れた「新階級社会」と、旧身分制度の名残である「旧階級社会」。どっちの格差がより耐えられるか? 今の格差のほうがいいとは言い切れない、という。
▽安保闘争
学生運動の世代は、ちょっとだけ上でしかない。たくさんの人が経験しているのに、その経験が語られていない。同じ国の中に、「消えた種族」がいる不思議。その分水嶺が1972年のあさま山荘事件だった。
60年安保の学生たちは「アメリカン・デモクラシー」に親近感を抱いていた。反米感情ではなく、岸信介に向けられた「国民の戦争裁判」だった。
70年安保は、最初から、ゲバ棒やヘルメットなどの「武器」を帯びていた。直接のきっかけは安保条約の内容とはあまり関係がない。しかしメンタリティが「反米」ではある。ベトナム戦争への反発が端緒だったから。
70年前後の「総決算」では、三島由紀夫と連合赤軍に見られるように、右派も左派も「内向きの暴力」でおわる。それは、大日本帝国軍のふたつの側面ではなかったか。「玉砕」と「特攻」。自暴自棄の二つの貌だったのではないか。
60年安保はあの戦争へのアンチで、70年安保闘争があの戦争との相似だったのでは。だから、忘れられたい何かがあったのでは。
大日本帝国軍は希望的観測に基づき戦略を立て、…国際法の遵守を現場に徹底させず、多くの戦線で戦死者より餓死者と病死者を多く出し、命令で自爆攻撃を行わせた、世界で唯一の正規軍なのである。
▽1980年の断絶
「やくざ映画」と「みなしごもの」は80年代までにおおむねなくなり、「恋愛至上主義」(トレンディドラマ)がテレビドラマの前面に出る。(その意味は?)
国鉄分割民営化は、社会主義運動をつぶすことが目的あった。だから今、ブラック企業や派遣社員問題などが起きても、対抗する労働者側の勢力がないのだ。
80年代。都市は大きくなりすぎ、土地は高くなりすぎ、通勤時間は大変になり、地縁も絆も断ち切られ、マネーは人も物も追い越してふくらみ、情報もまた、人の追いつけるものではなくなっていった。それ以後に育った者たちは、そうでなかった世界を想像することさえむずかしい。(80年代の異常さ)ある年代から上は、80年代の過酷さや変動の激しさがわかっているが、下の世代には通じない。
1980年にはじまったもののひとつは「漫才ブーム」。「お笑い芸人」の元祖。それは、コメディアンではなく「場の調停者」。異質なものがであう場所の調停者ではなく、同質集団内部の調停者。男の力が「内部集団」に向かうようになったはじまりとして、1980年には、現代にいたる文化的な地殻変動があったのではないか。
バブル 自分の価値づけは他人の評価。他人の評価を得るために過剰適応する。あるころから、そういう圧力が無言のうちにあって、その包囲網にあって人は自分を追い詰めてきた。
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▽35 A級戦犯は国家指導者。B級は現場、C級は人道に対する罪で日本での該当者はほとんどいなかった。
▽82 サザエさんは、兵隊が復員してくる描写からはじまり、貧しさと食糧難を耐えた時代から、中流のささやかな幸せのようなものが訪れる時代までを描き、今は「ささやかな幸せのようなもの」の部分だけを描いてつづけている。朝鮮戦争の特需のことは描かれない。アニメでは「中流になった後」だけを、終わりなき日常のように繰り返している。
▽98 団地ができると、鬼ごっこが一気に立体的になっておもしろかった。小学校高学年のときファミコンが出て、ゲーム一色に。でもファミコンがある家に遊びに行く必要があった。共有(空き地で遊ぶ)→私有(ファミコン)→超私有(ポータブル)
▽127 米ソ二大勢力の脅し合いが拮抗していたとき、日本の空は、きっこうそのままに奇跡的にないでいた。ものごとはシンプルで、世界の片方をアメリカが「一括管理」していた。もう片方と日本とは関係がなかった。
グローバリゼーションという新種の脅威を日本人が体感として持つようになるのはソ連崩壊後。「いろいろな外国と個別交渉しなければならなくなった時代の大変さ」だ。
▽138 大日本帝国軍は希望的観測に基づき戦略を立て、…国際法の遵守を現場に徹底させず、多くの戦線で戦死者より餓死者と病死者を多く出し、命令で自爆攻撃を行わせた、世界で唯一の正規軍なのである。
▽177 震災のときの、「天皇陛下のビデオメッセージ」。「落ち着いて」「希望を捨てないで」という当たり前の内容。でも、非常時にまっとうなことを言って多くの人の頭を垂れさせられる立場の人は、日本広しといえで、ただ一人しかない。
終末みたいな風景を前に人々に呼びかけ、反発が少なく、単なるきれいごとに陥らず、最大の効果をあげられる人が、天皇。ネットでは「平成の玉音放送」と呼ぶ声も多かった。
▽180 昭和の戦争の軍人たちは「受験エリート」だったのでは。「軍人」と言うには現実感覚がなさすぎ、机上の空論に基づきすぎている。
▽182 サティアン跡はきれいに消され、上九一色村という地名さえ消されている。
▽195 オウム 80年代のバブルとバブル崩壊の荒波で日本人が失ってしまったゆったりとした時間と共同体が、取り壊される前のサティアンに残っていたとでもいうように。牧歌的で脱力していて、仲良しで世間知らず…。…若さゆえの実験が失敗し、皆が散り散りになる前の、ある種の平和な時間がある。…
壊滅的な「あれ」があった後で、おおかたの人々が「何もなかった」ように暮らしている。敗戦後の日本の姿、そのものではないか。
「神を創ってそのもとにまとまり、聖戦を戦い、そして負けた」。オウムの事件をこうまとめられる。近現代の日本という国にそっくり。
▽218 中島岳志「戦後の日本社会は、政治は自民党的、教育やマスコミは左翼的であった」という。
▽258 明治の元勲と呼ばれる、近代国家の立役者たちが、超法規的存在として、国家運営をしていた。天皇を最高権力者と憲法にも記述しながら、実際には権力はわたさないような運営をする。
…元勲たちは、自らをテキスト内に立場として規定しなかったため、存命中にはうまいさじ加減の采配を発揮することができたが、死後には、テキストは、限りなく解釈の幅のあるものとして独立する。彼らが権力を発揮したり抑制したりするための空白であったところに、別の思惑や権力が入りこむ。そのうえ、その権力も、権力を一本化できない。
▽266 現行憲法 日本人自身が書いたなら、あのようなクリアで美しい言葉には、ならず、どこかで誰もが責任回避できるような曖昧な文言になっただろう。…なぜ正直に「私たちがつくったものではないが、美しく、私たちの精神的支えになってきた」となぜ言えないのだろうか。
▽271 今の日本は、アメリカとのかかわりで国の骨格ができている。民主党政権は「国体」に無防備すぎるやり方で手をつけてしまったのだ。
▽281 第二次大戦の処理が実に「物語的」だった。「戦争には善と悪の別がある」という考え方。この善悪の物語が、今度は、世界を駆動した。第二次大戦以前の戦争では、戦争の戦果も代償も、領土と賠償金だった。領土と賠償金は善悪ではない。
負けた国は、陣営の再編成に必死になって物語を更新しようとする。…再構成された勝ち組は、既得権益を守るために必死に、物語の更新をする。常に共通の新しい敵を探す。
…第二次大戦後の世界は物語を「かつてなく必要都市」「創りだし」、新しい敵を創りだす。
▽285 短時間に人をまとめあげられる話には、反作用がつきまとう。他ならぬ明治期の、天皇を使った物語。あっというまに近代国家をまとめあげた、あの神話の力。
だがそのシステムが国民を巻き込んだ戦争に使われた。最終的に責任を持つべき者が免責されているのだから、暴力の、天井も、底もない。すべては現場の裁量となり「空気」と同調圧力が支配する。
▽289 物語は、マジョリティを創りだす。だからこそマイノリティをくっきりと区別する。その意味で物語は暴力性をはらんでいる。
…物語は弱者(マイノリティ)にこそ必要。(木地師、被差別部落、落人の話〓)
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