岩波現代文庫 20050112
異色商社マン鈴木朗夫を描く。
若いころから上司を肩書きではなく「○○さん」と呼ぶ。ずけずけと物を言う。社長の伊藤に「あなたの服装はひどい。上から下までコーディネートしますからまかせてください」などと直言する。
エリート商社マンでありながら、日本人の会社への奴隷根性を「家畜ヤプー」と評し、「日本人はどうしようもない」とバカにしつづけた。深紅の裏地の上着を着て、スペインやフランスをこよなく愛した。女性遍歴も華やかだった。
当たり前のように遅刻する問題社員だが、仕事が抜群にできる。それを認めた伊藤がいた。
仕事のしかたもこだわった。英文の手紙徹底して直す。事実だけでなく格調の高さを求めた。フェアプレーであり正々堂々とすることを徹底した。
だが30代前半までは、「もうやめたい」「奴隷労働だ」と悩みつづけ、30歳代半ばで、会社をさぼって何日もぶらぶらしていたこともあるという。
独特の「ポーズ」を維持しつつ猛烈な仕事をこなし、時間を惜しむように人生を走り続け、50歳代でガンで死んだ。会社社会と闘いつづけ、壮絶な死をとげた、と著者は言う。
「自分」がないサラリーマンならば会社社会のあり方を疑問にさえ思わずに社畜化していくだろう。鈴木は大学時代に「自分」を確立していたからこそ、「会社」との軋轢に悩みつづけ、体や心に負荷をかけつづけ、早くに逝ったという。
俺ってなぜ仕事に邁進できないのか、としょっちゅう考えてしまうから、著者の言葉はうれしかった。「自分」をもちつづける努力。豊かな感性と語るべき言葉をもちつづけることの大切さと難しさよ。
心を打たれるのは、彼の妻へのラブレターであり、愛犬をなくしたときのレクイエムとも言える長文だ。うるおいに満ちていて、愛情と哀しみと悲しみが切々と伝わってくる。猛烈な仕事をしながらこれだけの感性をもちつづけた。
もう1本の足を持たないといけない。持つよう努力しなければいけない。
新聞記者は仕事だけしていれば世界が広がる、という思いこみがある。これはまちがっている。最近そう思う。ことに、最近手がけた企画を考えたとき、某有名ジャーナリストの言葉がなければ企画がすんなり実現できたかどうか。
自分たちの仕事を会社以外の周囲に知らせる。それを評価してもらって、仕事で自己実現をはかりやすい環境をつくる。そういう「外」への指向を持たなければいけないのではないか。そんなことを考えた。
---------要約と抜粋-----------
▽伊丹万作のエッセー「騙された、という一語の持つ便利な効果におぼれて、責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見る時、日本国民の将来に対して暗たんたる不安を感じざるを得ない」
▽とりわけ肝要なのは「自己主張をするに当たって、相手の言葉と論理を用いること」。日本人の自己主張は、拙劣で、しばしば「言ってみても仕様がない よ、どうせ理解するような相手じゃないよ、式」の逃げ口上を使う。「相手が賢者ならば理解する筈である。相手が愚者ならば説得は更に容易な筈である」 「承った、検討する、善処する、式に対応する日本人がいるが、これは自己主張の放棄を意味し、次はこちらから相応の妥協を申し出るという意思表示にほかな らない」
▽鈴木が「接客態度」を教えたメモ ズボンには常にプレスをかける。靴下は靴と色をあわせ、たるみのないよう。夕方以降ひとと会う時は、ひげをそり直す。相手のロジック、言葉で説得すれ ば、相手は、自分でそう決めた、という気分になる。「要するにこういうことですね」とまとめてみることで誤解は避けられる。
▽鈴木は12時ごろ風呂に入り、ガウン姿でパイプをくわえ、ブランデーを飲みながら本を読むのが常だった。…10人前後の集まりの時は、よく飲み、よくしゃべったが、50人ぐらいになると、中心の輪を離れて、ひとりグラスを傾けていた。
▽結婚に際して夫人に「子どもを作らない」という条件をのませている。「自分の影を見たくない」と。 ▽鈴木は伊藤にいろいろ注文を出した。「今日の会議で、苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたでしょう。ああいうことをやられると、みんな、ものを言え なくなります」
▽「人間はみんな外見で判断するんだよ。だって、あんたが誰であるかをわかったのは、外見でそう思ったんじゃないか」
▽鈴木は、仕事人間を排しながら、家に持って帰ってまで書類を読んでいた。自分でそれに反発するがゆえに、週末の山中湖の別荘でも精一杯、体を動かしてオフビジネスを楽しもうとした。
▽入社1年後の日記 朝早く人々は、朝の気を味わう暇もなく、怒鳴りつけられた囚人のように起き上がる。自分が何のために白いシャツを着、ネクタイを締 めるかを知っている人が幾人いるだろうか。…会社の仕事は本当に愚劣で、誰に対しても、おはようとも言う気がおこらない」
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