NHK出版生活人新書 200710
行動と哲学的思索とをむすびつけて生き抜いた人であることが、この本を読んでもよくわかる。
デモをせよ。体で表現せよと説く。住民投票の議論がでてくると議員連中はよく「議会制民主主義を軽視するのか」と批判する。おいおい、と思いつつも有効な反論はちょっとむずかしい。
小田は、議会制が先にあるのではなく、民主主義が先にあるべきだ、という原則論から出発する。選挙も議会も民主主義の手だての1つにすぎない。ストライキやデモ、ビラまきといったいろいろなことがあって民主主義というのは機能する。だから、ビラ配布で逮捕したのを正当化するため「議会を通せばよい」といった趣旨を裁判所がのべたのは民主主義への冒涜以外のなにものでもない。
直接民主主義的なものをぶつけないと、間接民主主義は腐っていく。たとえば二大政党ならばどちらも政策はにかよってくるから、議会の独裁になってしまう。事実、米国は、9.11直後は共和・民主両党の政策はまったく同じだった。
もっと長い歴史をみると、ギリシャでさかんだった「みなが語りあうデモクラシー」を堕落させたのが古代ローマだという。代弁主義になって、選挙をやりだし、イセゴリア(言論の自由)がなくなった。その後、ローマは帝政にまでたどりついてしまう。
「制度と空気」が大切なのに、日本人はとりわけ「制度」を軽視しがちだと指摘する。体制批判はするが、「法律をつくろう」と呼びかけても「そんな法律あったって意味ない」と言う。でも、ナチスドイツでさえ、助かった人たちはペーパーがあったからであり、ナチスでさえ紙を尊重した。「タテマエ」は極限状況でも大切なのだ。
もちろんタテマエだけでは絵に描いた餅になってしまうから、「空気」(世論、人々の力)が必要なのは言うまでもない。
憲法9条や教育基本法というタテマエが果たしてきた役割は、たぶんふつうに思われているよりもはるかに大きいだろう。その意味でも教育基本法というタテマエがかえられてしまったのは、痛い。今後、ボディーブローのようにきいてくるかもしれない。
-------------
▽昭和天皇の「御聖断」によって戦争が終わったとかかれているが、これは嘘。天皇はその前に我が身の安泰を知っていた。8月11日のニューヨークタイムズには「米国は天皇を残すだろう」とかかれ、12日には大見出しで「連合国はヒロヒトの存続を決定へ」と大見出しで書いてある。それらはスイスなどを通じて日本政府にも伝えられていた。
▽ベトナム脱走兵はよく「この国の憲法はすばらしい」と盛んにいっていた。この憲法は彼らにとっても大事な憲法だった。「世界平和宣言」としてあった。
憲法を守り抜く努力をすることは、世界史をかえる大きな作業。小さな人間の私たちにこそできること。……小さな人間のあり方の基本をおさえたのが24条と25条。男女平等はどこの国の憲法にも抽象的にかかれているが、具体的に生活実感、小さな人間のふつうの人生の実感に基づいてでてくるのは日本の24条だけ。1人の小さな人間、権力と関係ない人間がいかに日本国のなかで生きていくか、ということを書いている。
……そうやって努力しながら築いていかなければならない小さな1人の人間の人生を、最大に脅かすのが戦争。そこで9条が生きてくる。(〓稲葉・早川の視点。9条を基礎づける条文の大切さ)
▽宗教と関係ない市民権としての「良心的兵役拒否」はドイツが確立。ドイツ憲法にあたる基本法の4条に、個人の権利、人間の権利として、武器をもたない権利を保障するという条項を入れた。宗教的理由ではなく市民の権利として保障した。「戦争に正義はない」という認識をもっている証拠。
▽選挙も議会も民主主義の手だての1つにすぎない。ストライキやデモ、ビラまきといったいろいろなことがあって民主主義というのは機能する。「多数決が民主主義」ではない。「選挙民主主義」になってしまったら終わり。
▽NATOのユーゴ空爆が始まったとき、国をあげて「反戦」に取り組んでいたギリシャやで「平和憲法をもつ日本がどうして同じ努力をしないのか」と言われた。……イスラエル・パレスチナの双方と友好関係をもち平和憲法をもっていたのに、和平交渉に乗り出さなかった。のりだしたのはノルウェーだった。そのとき世の「革新陣営」も、市民も一向にそういう声をあげなかった。
▽丸刈り論争。丸刈りが教育効果があるかどうかなんて論争してもしょうがない。それにかかずりあっている間に、体制側は着々とほかのことをやっている。相手がしいた路線に乗せられるといつも情けないことがおきる。自分たちの政策をしっかり持てばいい。
▽直接民主主義的なものをぶつけないと、間接民主主義は腐っていく。たとえば二大政党ならばどちらも似てくる。そうなれば議会の独裁になってしまう。米国は、9.11直後は共和・民主の政策はまったく同じだった。「愛国者法」をつくったり……。
▽>>>教育問題の法律を提言
▽市民のデモ行進が「社会の原型」。職能で解決できない問題を、市民社会全体で社会全体の問題としてとらえ、その解決策をもとめていっしょに動く、というのが市民。
▽市民のデモ行進は名刺交換をしない。精神が高揚する。ぼけを解消する一番の方法は、デモ行進すること。いっしょに動くこと。運動にもなる。デモは健康法。
▽1945年のイギリスの選挙。英雄のチャーチルを引きずり降ろして労働党を勝たせた。ヒトラーがうらやむほど強圧的に指導した。しかし、小さな人間がそいつをクビにした。「戦後はおまえみたいなやつはいらない」と。無名の労働党をかたせたおかげで、イギリスの社会保障政策が世界に行き渡った。われわれの健康保険もそう。
▽日本は西洋哲学の受容において、都合のよいものだけを選んだ。修辞学はデモクラシーの学問で技術だから、いらない。哲学だけになってしまった。哲学も、分析的側面ばかりで、行動哲学の側面は入れなかった。思弁的で形而上学的なやつばかり一生懸命いれた。カントやヘーゲル、プラトンは好きだけど、ラッセルはダメ。(久野収〓も指摘)
▽公共の場で堂々としゃべる。それを実践したのがソクラテス。「言論の自由を守る」という気持ちはなかった。「言論の自由は行使するものだ」という気持ちだったから。
▽みなが語りあうデモクラシーを堕落させたのが、古代ローマ。代弁主義になって、選挙をやりだし、イセゴリア(言論の自由)はなくなった。イセゴリヤなしにやれば、選挙だけになる。だから帝政までいく。
現代の民主主義国で宣戦布告の決定に市民がどれだけ参加できるか。不可能。古代ギリシャは、成年男子がぜんぶあつまって議論した。理にかなった発言をしないといけないから、理性(ロゴス)がでてくる。ロゴスは「私が話す」があって成り立つもの。「話す」技術を支えているのが言論の自由(イセゴリア)と、修辞学(レトリケ)。
▽制度と空気。とくに制度を日本人は軽視する。体制のやっていることはけしからん、法律をつくろうと言っても「そんな法律あったって意味ないですよ」と言う。でも、ナチスドイツの場合でさえ、だいたい助かった連中はペーパーのおかげ。ナチスでさえ紙を尊重した。書いたものがあるから人命が救われた。……タテマエというものは1つの文明の基礎なんです。
そういうルールをつくることをやらないと西欧世界は成立しない。同時に、空気もないとダメ。その空気を規定するのが人びとの力であり、世論。……日本には西洋のような差別禁止法がない。だから、差別はいけないという空気があっても、野放図にやられる。禁止法ができたところで空気がなかったら「絵に描いた餅」。それは空気がないから。2つとも必要。
▽勝手にデモクラシーを狭くとって、選挙制度がすべてになっている。民主主義は選挙制度であるという誤解をしている点では、日本が一番甚だしい。
▽市民立法案をつくって議員と練り上げて国会に提出する。と、法制局の役人がウンと言わないかぎり法案はできあがらない。役人優先。自民党だけの法案をつくってもっていっても法制局の手が入ってないと拒否される。せっかく上程しても、嫌な法案は放っておく。会期がすんだら自然消滅してしまう。(地方議会は上程されたら討議する)
▽中国は社会主義なのに国民健康保険がない。
p224
▽イラクやパレスチナの文学や思想がどうなっているのか。そういうことを知る手だてが日本にはない。文学や思想を「趣味」として切り離すのは左翼の運動の人たちの一つの欠陥。加藤周一のえらいのは全体を見ようとしたところ。「日本文学史序説 補講」で論じた「日本の本質」、万葉集には勇ましい歌はほとんどない。昔の歌は恋の歌ばかり。西洋と違って血なまぐさくないことが日本文学の本質。日本人の精神は武士道というのはウソ。「もののあはれ」というように日本文化は「女々しい」。西洋人は最初から刀をもっているからルールができているが、慣れない者が刃物をもつとろくでもないことになる。
▽フィリピンの現状。そのなかで立ち上がる団体(249) 「impunity」を合衆国はフィリピンの他にもコロンビアでも行っている。
コメント