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創造的福祉社会<広井良典>

■創造的福祉社会 「成長」後の社会構想と人間・地域・価値<広井良典>ちくま新書20121103
社会のセーフティーネットのあり方は、エリザベス救貧法などの生活保護から、ビスマルクの社会保険、ケインズの雇用創出というように、事後的・救済的から事前的・予防的へと発展してきた。今後は、市場経済から落伍した者への事後的な救済という対応だけでなく、その人を初めから「コミュニティそのものにつないでいく」ような対応が重要になるという。

社会保障の財源である税制のあり方も、時代とともに変化している。
農業中心の時代は「地租」(土地課税)。生産活動が富の源泉である工業化社会では所得税と法人税。生産よりも消費が経済を駆動するようになり消費税が浮上した。経済が飽和し、環境・資源の有限性が認識される今、相続税などのストックに関する課税や環境税が重要になる。今後の社会保障財源として重要なのは、消費税・相続税・環境税(土地課税)の三者だ。ドイツ、オランダ、デンマークなどは環境税を社会保障にあてている。その根本的なねらいは「労働生産性から環境効率性へのシフト」にあるという。

世界の精神史を見ると、狩猟採集社会の発展が頭打ちになって定常状態になった5万年前に「心のビッグバン」が起きた。これによってシンボルや言語を用いる行動が生まれ、家族の内と外を意識し、家族を「超えた」集団形成を可能にした。
森林の破壊などによって農耕の生産が頭打ちになった紀元前5世紀前後には「枢軸時代・精神革命」が起き、インドの仏教、ギリシャ哲学、中国の儒教や老荘思想、中東の旧約思想といった普遍的原理を志向する思想が同時多発的に生まれた。これらは特定のコミュニティを超えた「人間」という観念をもつと同時に、「欲望の内的な規制」を説いた。農耕民の母権的文化と騎馬民族特有の因習打破的な父権的文化の接触がこの革命の契機になった。農耕社会となった地域ではこれらの思想が広がり、日本でも世界でも、自然信仰の上に仏教や儒教が乗るような形で融合がなされた。
では、昔ながらの狩猟民の流れにある漁師は農民に比べて、普遍宗教である仏教よりもアニミズム的宗教を強く信仰する傾向があるのだろうか。もしかしたら、海への「恐れ」が自然信仰を強めた面があるのかもしれない。
今、人類史上で3番目の「定常期」に移行しようとしている。だからこそ、新しい思想が生まれる必然性があるという。

新たな価値観にもとづく町づくりも始まっている。
「豊かさ」や「幸福」の尺度をつくる試みとしてはブータンの「国民総幸福」が有名だが、荒川区でもGAH(荒川区民の幸福の総量)を評価する方法を、荒川区自治総合研究所という財団が調査研究している。
ヨーロッパの街は、中心部に「歩いて楽しめる」エリアをつくり、街のなかに「座れる場所」を設けている。「通過するだけの空間」ではなく、ゆっくり過ごせる「コミュニティ空間」を目指している。中国の都市も「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」が比較的重なっている。日本でそれに近い街は、静岡の中心部だ。歩行者がゆっくり過ごせる商店街が碁盤の目のように広がり、日本では珍しく、中心部の事業所数が増えている。
長野県飯田市は、地域産業からの波及所得総額を、地域全体の必要所得額(1人当たり実収入額の全国平均×南信州地域の総人口)で割って算出する「経済自立度」7割を目標に掲げ、「経済の地域内循環」に関するビジョンづくりをしている。

近年の諸科学は、幸福感など「主観的」要素に注目したり、人間個人を切り離してとらえるのではなく、「関係性」や相互作用に注目する研究が増えてきている。
人間の特徴のひとつとして、家族の上に村をつくるように「重層社会」をもつことがあげられる。個人と全体の間の中間的な集団が存在する構造はヒトにおいてはじめて成立するという。労組などの中間団体の意義もそこから演繹できないだろうか。
さらに、「分配(贈与)」は、何らかのプラスの感情を伴うものとして、生物としての人間に組み込まれており、それが人間社会の成立を可能にしたという。分配・贈与が人間の本質であるとすれば、ケアや平等・不平等といったテーマを考える際のひとつの出発点になりうる。

近代以前、倫理や規範は「内的に個人の行動を律するもの」として存在した。
近代社会では、「共同体における個人の倫理」だけでは不十分で、外部化された装置(政府による再分配など)なしには解決できないほど貧困や格差が大規模になった。「倫理の外部化」がおこり、私利の追求が全面的に肯定された。
しかし、人々の需要が飽和し、「過剰による貧困」が生まれ、資源・環境制約に直面して「第3の定常化」の時代を迎えるなか、新たな価値原理が求められ、「倫理の再・内部化」という課題に直面しているという。

今後の新しい思想は、地球の各地域の全体を一歩外から眺める視点に立つことができる、という意味での「地球化」が求められる。枢軸時代の諸思想が、それ以前に存在していたコミュニティや文化の枠を超えて、それらをより普遍的な視点に立って「つないで」いったことと似ている。
そこでは、個人を起点としつつ、その根底にあるコミュニティや自然を回復するという方向に向けて、「自然−コミュニティ−個人」をめぐる価値の重層的な統合がなされる。
定常化時代に人間の「創造性」が発揮されるのは、経済成長といった一義的なベクトルから解放されるからだという。
==========抜粋メモ============
▽19 生産性があがり、少人数の労働で多くの生産があげられることになる。生産過剰によって失業が生じ、そこに貧困や格差が生じている。
▽21 セーフティーネットの構造と進化 生活保護(エリザベス救貧法)→社会保険(ビスマルク)→雇用(ケインズ)→今後は? 事後的・救済的から事前的・予防的への流れ
▽26 日本の社会保障費は米国と並んで低いが、高齢者以外の社会保障でみるとその低さがより顕著になる。……教育への公的支出(GDP比)は、OECD28カ国で最下位。
全住宅にしめる公的住宅の割合も、きわめて低い。
公的制度としては「人生前半の社会保障」や「ストックに関する社会保障」の強化が不可欠だが、それは従来の市場経済の枠を超えた性格を含むものになる。
▽32 ドイツ、オランダ、デンマークなどは、環境税の税収を社会保障にあてている。その根本的なねらいは「労働生産性から環境効率性へのシフト」の促進という点にある。
農業中心の時代は税収の最大の部分は「地租」(土地課税)。工業化社会となり生産活動が富の源泉になると、所得税・法人税が中心を占める。モノ不足の時代が終わり、生産よりも消費が経済を駆動する主要因となると消費税が浮上する。
さらにその後は、経済が飽和するなかで「ストック」の重要性が再び大きくなるとともに、環境・資源制約やその有限性が顕在化し、環境・自然といった究極の「富の源泉」が認識される。ここで、ストックに関する課税(相続税など)や、環境税が重要になる。
……今後の社会保障財源として重要なのは、消費税・相続税・環境税(土地課税)の三者。
▽37 フィンランド 大学学費は無料。学生に対して月額最大811ユーロの「勉学手当」を支給。GDPの2%に相当する。20代などにおいて、仕事・社会と大学等での学びの往復が可能な社会づくり。
▽39 「労働生産性」よりも、「人」を多く活用し、自然資源を節約することが重要となり、「環境効率性(資源生産性)」へ転換することが本質的な課題。
▽43 5万年前の「心のビッグバン」 紀元前5世紀前後の「枢軸時代・精神革命」
後者では、普遍的な原理を志向する思想が各地で同時多発的に生成した。インドでの仏教、ギリシャ哲学、中国での儒教や老荘思想、中東での旧約思想。これらは共通して、特定のコミュニティを超えた「人間」という観念をもつと同時に、何らかの意味での「欲望の内的な規制」を説いた点に特徴をもつ。
狩猟採集時代が成長の時代をへて成熟・定常期に移行する際に「心のビッグバン」が起きたのでは。農耕時代が成長の限界にきて定常期に移行する際に「枢軸時代・精神革命」が起きた。そして今は、人類史上でいわば「第3の定常期」への移行という大きな構造変化の時代。
▽52 医療 「混合医療の禁止」の例外が「差額ベッド」。高額療養費制度の枠外で医療費の上限が存在しない。(〓おそろしい)
□第2章
▽56 荒川区のGAH(荒川区民の幸福の総量)。荒川区自治総合研究所という財団を設立し研究。
地域の「豊かさ」を何で評価するか、地域再生という時の目標は何なのかということを根本から検討していく……新たな動きが始まりつつある。
▽60 自動車中心のアメリカと異なる街や地域をつくるヨーロッパ。中心部に「歩いて楽しめる」エリアが広がり……。街のなかに「座れる場所」が多くある。「通過するだけの空間」ではなく、何をするともなくゆっくり過ごせるような場所。「コミュニティ空間」。「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」が比較的重なるかたちで存続する中国の都市。
▽74 比較的望ましい静岡の中心部。歩行者がゆっくり過ごせる商店街が碁盤の目のように広がる。中心部の事業所数が増えている。国鉄の駅が城跡近くにつくられたことがプラスに。
▽89 農地改革の影響や、強い「開発」志向の中での急激な都市化を背景として、「公共性」を欠落する形で土地所有の私的性格が強まっていった。
▽92 「学校」がコミュニティの中心として想定され、高齢者福祉施設などは都市計画の運用レベルで意識的に位置づけられてこなかった。
小中学校などが公立中心で「公有地」にたっているのに対し、福祉施設は、土地は設置者が自ら自前で準備することになっている。この結果、地価の高い場所での設置が困難という問題が存在してきた(〓公的施設の大切さ)。「都市政策と福祉政策の統合」が重要。
▽107 長野県飯田市 「経済自立度70%」を目標に掲げる。「地域に必要な所得を地域産業からの波及効果でどのくらい充足しているか」。産業からの波及所得総額を、地域全体の必要所得額(1人当たり実収入額の全国平均×南信州地域の総人口)で割って算出。「経済の地域内循環」に関するビジョンの共有や指標づくり。」
▽110 エネルギー自給率ベスト5は、大分、富山、秋田、長野、青森。
▽118 農村−都市 の関係は 途上国−先進国 の関係に似ている。途上国の方が先進国の援助を必要としているように見えるが、実際は逆で、「先進国」の側こそが「途上国」を必要としてきた。自然資源の調達先、商品の販売先、資本の投資先として。
▽121 新古典派経済学にとっては、農業の価格維持政策よりは直接支払いのほうが相対的に好ましいと考える。市場以前の「プレ市場」、農業がひとつの典型。市場経済飽和後の「ポスト市場」は、介護や「ケア」、環境関連などが典型例。これらの領域は、市場経済に還元できない性格をもつが故に、市場においては「低く」評価される。
▽132 増税などの議論をはじめから避けて、既存の税収の枠内で物事を進める発想が強く、結果的に福祉や医療などの公的サービス削減の方向に単純に向かう傾向が見られるこわさ。……公的サービス削減が先行してしまう現状。
□3章
▽144 「人間についての探求」と「社会に対する構想」を交差させる考察を。
近年の諸科学は、「幸福」感など「主観的」な要素の重要性に注目したり、人間個人を切り離してとらえるのではなく、「関係性」や社会的文脈のなかでその動的な相互作用に注目する研究が浮上。
▽148 サルからヒト 人間という生物における個体と個体の関係性や行動の特質は。「サル社会には父親は存在しない。父親は家族という社会的単位ができる、ヒトが誕生したと同時に生成した社会的存在である」(河合雅雄)。人間の特徴は「重層社会」をつくること。家族組織の上に村をつくるように。個人がダイレクトに集団全体につながるのではなく、その間に何らかの中間的な集団が存在するという構造は、ヒトにおいてはじめて成立する。(人間が孤立化した今、中間団体〓の大事さの議論につながるか)
「家族同士が互いの独立性を守りながら、協力して地域社会を運営するようになったとき、排他的な家族生活を共同的な群れ生活に組み込むという、サル時代からの課題を乗り越えることができた」と……。人間を特徴づけるのは「関係の二重性」。集団の「内部的な関係」と「ソトとの関係」、あるいは「ウチ」に向かうベクトルと「ソト」に向かうベクトルという異質な二者の共存、にほかならない。
▽154 「遊びを成人間の社会交渉に持ち込むことで、固定的な人間関係に縛られない可塑性に富む社会関係を可能にした」「分配」は何らかのプラスの感情をプラスなものとして、生物としての人間に組み込まれている行動。それは人間社会の成立を可能にし、環境への適応性を高めるメカニズムとして生まれたことになる(贈与論〓?、遊び:贈与=創造性)
分配の起源は、「人間の本来的欲求に対立する規範的な行為」ではなく、一定の積極的な感情を伴うものとして、類人猿から進化した生物としての人間に当初から組み込まれているという理解は、ケアや平等・不平等といったテーマを考える際のひとつの出発点として重要な意味をもつ。
▽158 もっとも原初的な感情は「恐れ」。
▽163
▽167 フランスの哲学者アラン「悲観主義は感情に属するが、楽観主義は意志である」。人間にとってもっとも古い感情は(恐れのように)ネガティブなので、それにとらわれすぎてはいけない。「感情」の領域に閉塞してしまうと、様々な弊害が生まれるから、下方と上方、つまり「感覚」の領域と「意志」の領域に「開く」ことが大切。感覚への着地、と、意志への離陸。(あきらめにひたる過疎地の現状と打開策〓、野菜を育てる快の感覚、前向きな意志)
▽174 狩猟採集では、労働の報酬をすぐ受け取る。農耕は遅延リターンシステムだから、貯蔵している食糧や耕作地といった資源を私的に所有する機会を生み出す。しかい不平等の最も根本的な理由は食糧不足。資源への優先権を争うことの唯一のポイントは、食糧不足に陥ることへの恐怖から逃れること。
▽185 「心のビッグバン」においてシンボルを用いる行動が生成したという議論。それは、家族を「超えた」集団形成という意味で、家族という集団を外に「開く」機能をもつ。逆にその集団の「ウチ」と「ソト」の境界を画し、他のコミュニティから自らのコミュニティを「閉ざす」機能をももっている。 シンボルや言語は、「開く」ベクトルと「閉ざす」ベクトルの両方をもつ。
▽194 狩猟採集から農耕社会への移行は、狩猟採集民が従来の技法で生計を営めなくなり農耕への転向を余儀なくされた。耕作という行為は、集団的な統制、規制、管理を必要とする。
▽197 都市−農村 狩猟採集社会−農耕社会 個人の自律性という点から見ると、都市と狩猟採集社会は近似している。農耕社会の抑圧制が強まる中で、人間社会がある種の突破口ないしは緩衝装置のようなものを求めてつくりだしたのが「都市」だったという理解が浮かび上がる。都市は、共同体と共同体の間の「市場」をベースに生成した。市場とはまさに(農村)共同体にとっての「外部に開かれた窓」ともいうべき存在だった。
……農耕社会における身分の階層化とその固定から「逃れる」ために人々が求めた場所が都市だったはずが、狩猟採集社会と異なり、農耕社会は富の「蓄積」や「所有」が組み込まれた社会になっている以上、そこでは新たな階層化や格差、貧困が生成していく。
▽199 枢軸時代(ヤスパース)/精神革命 個々の民族や共同体を超えた「普遍的」な人間という発想が生じた。ヤスパースも伊東俊太郎も、定住農耕民と騎馬民族との接触が枢軸時代/精神革命の契機である可能性があるとする。農耕民俗の母権的文化 と 騎馬民族特有の因習打破的な合理主義の父権的文化。
この時期に生成した思想の特質の一つは、普遍的な原理への志向をもち、それが複数の異質なコミュニティをつなぎ、橋渡しするという実質的な方向づけに支えられているということは確かと思われる。
……ギリシャ文明衰微の最大の背景は、森林の伐採と破壊にあった。インドも、木を切り倒してしまい、猛烈な天候不順による飢餓がおき、「これではいかん」と、ジャイナ教や仏教が生まれて肉食を止めようということになる……中国も……
農耕社会が最初の成熟化そして定常化の時代を迎えつつあった時代に、それを背景として起こったのではないか。
▽213「心のビッグバン」と「枢軸時代/精神革命」の共通点 「物質的・量的な拡大から内的・質的な深化・発展へ」という転回。それまでの集団・コミュニティを一歩さらに「開く」という志向性ないし思想が生まれたこと。
▽218 農耕社会となった地域においては、何らかの形でこれら枢軸時代/精神革命期の思想群が広がり浸透していった。
日本において、自然信仰の上に仏教や儒教が乗るような形で融合がなされたように、基盤的な自然信仰に、これらの枢軸時代/精神革命期の思想群が混合・融合を見せるという現象が、世界の各地で生じていった。……本格的なグローバリゼーションが展開していなかったために、各思想が、結果的に「リージョナルな住み分け」をある程度実現できていたのが近代までの時代だった。
(漁師は昔ながらの狩猟採集民のようなものだが、その場合は、普遍宗教である仏教よりもアニミズム的な宗教を強く信仰するという傾向があるのだろうか〓。海への「恐れ」が自然信仰を強めた面が海士などを見るとあるのかも。当時の革新運動だった一向一揆の基盤は農耕社会だったのか? あるいは4割を占めたとされる非農耕民だったのか。)
▽226 近代社会の「倫理の外部化」。近代以前は、倫理や規範は、なんらかの意味で「内的に個人の行動を律するもの」として存在した。ギリシアや中国の「徳」、旧約や仏教も……。しかし近代社会では、貧困救済は政府の役割とされ、経済領域では私利の追求が積極的に工程された。価値原理は「自由」が基軸となる。「自由」を制約するものは原理的に存在しないが、それが他者の「自由」と接触する限りにおいて、個人の自由は制約を受ける。「自由」より上位の価値は存在しない、ということ。
▽229 外部化された装置(政府による再分配など)による対応がなければ解決できないほど、貧困や格差が大規模になった。個人の徳や内面的な倫理……を説くだけでは追いつかないような状況がそこに生まれた。「共同体における個人の倫理」だけでは不十分で、(無数の独立した個人からなる)「社会」というものが現出していったのがこの時代の特質。(大量生産時代までは労組のような中間団体を介した倫理があったのでは?〓)
▽235 「倫理の外部化」が起こった背景には、「経済の拡大・成長」という社会的な条件があった。パイの拡大=社会全体の利益、という構造。その構造が、需要の飽和を背景とする経済の定常化のなかで根底から変わりつつある。「定常型社会」では、「倫理の再・内部化」という課題に直面している。 新たな倫理とは?
▽241 「心のビッグバン」の時期、コミュニティが明確に成立し、「内/外」が明確に区分されるようになる。言語や装飾品などのシンボル的な事物が生まれる。シンボリックなコミュニティが外部との明確な境界をもって成立するのがこの段階。「規範」とその内面化。
▽245 農耕社会が資源制約や環境破壊に直面して定常期を迎えた際、新たに生成したのが「枢軸時代/精神革命」の諸思想。「普遍的」価値原理を志向。
「遅延リターンシステム」。「格差」が広がるポテンシャルが大きいため、この時期の思想群は、格差是正や貧困救済ないし平等を説くという性格をもっていた。
18世紀前後以降の近代社会の資本主義の展開において「倫理の外部化」がおこなわれ、私利の追求が全面的に肯定される。産業化社会において適応的な「倫理」だった。ウェーバーの「プロ倫」。プロテスタンティズムは、枢軸時代の思想が産業化の時代状況に適合すべく変容した姿と撮られることができるだろう。
しかし、人々の需要が飽和し、「過剰による貧困」が生まれ、資源・環境制約に直面するなかで「第3の定常化」の時代を迎えるなか、新たな価値原理が求められている。
▽250
▽252「世界の均質化」といった意味での地球化ではなく、地球の各地域の全体を一歩外から眺める視点に立つことができる、という意味での「地球化」。世界の各地域の風土や文化、宗教や思想などなどの「多様性」を、それが生じる背景までを含めて理解することがでいるという視座に他ならない。(〓構造主義的な相対主義? 現象学?)
これは、枢軸時代の諸思想が、それ以前に存在していた個別コミュニティや文化の枠を超え出て、それらをより普遍的な視点に立ちつつ「つないで」いったこととパラレルである。
▽259 個人を起点としつつ、その根底にあるコミュニティや自然の次元を回復していくという方向。「自然−コミュニティ−個人」をめぐる価値の重層的な統合。
▽261 「自然の次元に関する価値」物質的な次元を超えた、生と死を超えた何かを見出すような感覚ないし世界観「自然のスピリチュアリティ」
「コミュニティの次元に関する価値」「徳」という概念に表されるような、人間社会における普遍的かつ内的な倫理。
近代以降の「個人の自由」を中心とした価値体系。
→ 「個人」を起点としつつ「徳」や「自然のスピリチュアリティ」という各次元での価値を重層的に統合したものになる。
▽265 個人がそれぞれ固有の価値をもっており、それを引き出していくこと、それが実現されるべく支援や働きかけをおこなっていくことが「福祉」であるという理解は、「規範的価値と存在の価値の融合」という発想と通底する。落伍したヒトを「事後的」に救済するという対応のみならず、個人を最初からコミュニティや自然につないでいくといった「事前的」な対応を重視するという方向ともつながるだろう。
定常化時代における人間の「創造性」というテーマとも重なる。経済成長といった一義的なベクトルから解放された状況においてこそ人々の創造性は多様な形で開化していくという理解は、人間が潜在的にもっている可能性や創発性が実現されていくことが「福祉」であるという把握とあいまって、「規範的価値と存在の価値の融合」という発想と呼応するのではないか。
▽276 (あとがき)哲学を考えることと、原風景である商店街や店で働く人たちのリアリティとが、どこでつながるのかという問いをずっともっていた。最近になってようやく、その両者が自分のなかで結びつくようになり……商店街やローカルな地域について考えることが、そのまま哲学あるいは普遍的、グローバルなテーマにつながるという、そうした時代になっているのではないか。

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