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町づくろいの思想 <森まゆみ>

■町づくろいの思想<森まゆみ>みすず書房 201209
東京の下町はきらいじゃないけど、東京じたいが素晴らしい町だと思ったことはない。でもこの本を見ると、もしかしたらおもしろい街なのかもしれないし、新しい共同体の可能性を秘めているのではないか、と思えてくる。
フランスの雑誌編集者は、理髪店や書店、事務所が隣り合わせる東京を「人間の感情を具体的に見せてくれる街」と評価したという。
26年間つづけた雑誌「谷根千」は聞き書きから始まったが、建物の保存運動や環境保護、子育てネット、介護と健康の拠点づくり、若者の借りられる共同住宅づくり……と、コミュニティ再構築のたたかいでもあった。そのなかで人々が出会い、人と人をつなげる「のりしろ」である「町の縁側」ができてきた。土地の歴史や古いものを大切にし、サンダル履きで飲める「幻の共同体」が生まれた。無名だったこのエリアは町歩きの人気スポットとなった。
筆者は、全国各地の町おこしの現場も訪ねている。
石川県七尾市の一本杉通では、能登の風習である花嫁のれんがタンスや蔵にしまわれているのを、5月の連休に店先に飾ることにした。「語り部どころ」の標識を出す店は24軒に増えた。ここではコンサルを入れずに、自前のアイデアで町が元気になった。
竹富島には年間22回という行事があり、お盆に帰った先祖のために踊り、先祖とともに踊る。死者とともに生きるという感覚が息づいている。能登にもそれに近い心性が残っている。
越後・粟島の、人口350人ほどの粟島浦村は合併しなかった。
一方、心痛む風景も目の当たりにしてきたという。久しぶりに訪ねた輪島では、目の前にあったきらきら輝く海が巨大な埋め立て地になっていた。奄美大島でも浜をつぶして港を造り、嵐よけと称して堤防を造っていた。福島県の只見では、河井継之助の終焉の家を壊して、コンクリートの河井記念館ができていた。
足元の東京・業平橋駅が「東京スカイツリー駅」に改名されたことも、「自分たちのアイデアや努力で町をよくしようというのではなく、活性化の起爆剤を期待するのは原子力発電所に似ている」と批判している。
==============抜粋・メモ================
▽14 「フランスの雑誌編集者は「東京はなんと人間サイズの街なのか」と感嘆。事務所の隣に理髪店、さらに書店と飽きさせない。人間の感情を具体的に見せてくれる街だというんです」
▽18 父祖の地、宮城県丸森町のクラインガルテンを月3万円で借りて2年になる。150平方メートルの畑に40平方メートルほどの木造の作業小屋。月に1回1週間ほど滞在し・・・
▽36 鳥取県岩美町のかんぽの宿を1万円の評価額で東京の不動産会社に売却し、その会社は6000万円で地元の社会福祉法人に転売した。
▽67 輪島市を久しぶりに訪れたら、近かったきらきら輝く海はなくなって、巨大な埋め立て工事をしているところだった。海の景観を阻むホテルもできている。
奄美大島も……浜をつぶして港を造り、嵐よけと称して堤防を造り、テトラポッドを積み……福島県の只見に行ったら、河井継之助の終焉の家を壊して、コンクリートの河井記念館ができていた。
▽98 「谷根千」終刊。……無名だったこのエリアは町歩きの人気スポットとなってゆく。あのへんに店を出したい、一杯やりたい、というあこがれのエリアにもなった。……この雑誌がきっかけで、土地の歴史や古いものを大切にし、サンダル履きで飲みあえる「幻の共同体」が生まれたことは確かだ。
▽104 「谷根千」の26年はまさにコミュニティ再構築の戦いだった。建物の保存運動、環境保護運動、子育てネット、介護と健康の拠点づくり、若者の借りられる共同住宅づくり、映画界、展覧会……そんなことの積み重ねで出会った人々は信頼できる活動仲間、飲み仲間になっていった。
こういう場を「町の縁側」とよぶ。縁側は人と人をつなげる「のりしろ」
▽118 「地方の時代」映画祭に応募してくる番組。ある年は過疎地の老夫婦ものが多数を占め……イントロに美しい風景、絵になる老人の暮らし、そこにタイトルと音楽がかぶさり、ナレーションも「~の暮らしを見つめます」。しかし、なぜ他の人は山を下りたのか、一極集中と補助金漬けの政府の地方切り捨て政策にメスが入れられることはない。
▽124 七尾市一本杉通。……能登の風習である花嫁のれんがタンスや蔵にしまわれているのを出して、5月の連休に店先に飾ることに。……一本杉通りに「語り部どころ」の標識を出した店は24軒にふえた。町の人に頼まれ、5回通って24軒の話を丁寧に聞き……「出会いの一本杉」という冊子にまとめた。コンサルを入れずに、自前のアイデアで町はずいぶん元気になった。
▽130 個人情報保護法 1984年ころは、あけすけな家の歴史を載せても文句を言う人はいなかったし、建築の調査で取った家の間取りを載せても許された。それが……。表現者はじわじわ息苦しくなっている。
▽136 木造の路地の多い町では防災に対する意識は高い。「火事を出したらこの町には住めないから」と親からは徹底した「火の始末」教育を受けた。(〓間垣の集落も)
▽160 相撲 ▽170
▽197 肉声を取り戻そう。人の話を静かに聞こう。鷲田清一の卒業式式辞。リーダーになることよりも、時にフォロアーに徹することが大事だとよびかけている。そして「ここにいるよ」と控えていることが、どれだけ第一線で被災地支援や医療活動に参加している人たちを支えるか。そしていざというときは替わって「差し舞える」力をつけておく重要性を伝えていた。
▽206 政府は「外あそびがしたい」「友だちがだんだん避難して少なくなっていく」「私は結婚して子どもが生めるのでしょうか」という疑問に答えることができなかった。私見では、妊婦や細胞が活発に分裂する時期の子どもたちは公的責任でいったん安全なところに避難させたほうがよいと思う。しかし福島県も年間100ミリシーベルトまでは安全という山下俊一氏を軒のアドバイザーにすえて、避難より除染を優先させてきた。
▽213 竹富島には年間22回という行事がある。……あの世からきた芸能集団に扮しお盆の夜に各家の前庭に現れ、クバの笠をかぶり……お盆に帰った先祖のために踊り、先祖とともに踊る(死者とともに生きる=能登〓)
▽216 農村漁村を歩くと、なんのお金でできたのかわからない謎の公共建築がたくさんあった。謎の農道も。政府は農業にまともに向き合わないのに、票田へ補助金だけは手厚かった。
▽224 越後・粟島。人口350人ほどの粟島浦村は合併しなかった〓。
▽228 (老人の聞き書き)「ごちそうなんておれ作れねえけどな。やっぱり苦労したもんだすけの、年いっててもかわいいよ」。何もわからなくなった女房を世話しつづけるおじいさん、八十八の妻を「かわいい」という……。
▽231 業平橋駅は「東京スカイツリー駅」に改名。……自分たちのアイデアや努力で町をよくしようというのではなく、活性化の起爆剤を期待する他力本願性で原子力発電所に似ている。そして地元では反対できない雰囲気に。

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