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新復興論<小松理虔>

■ゲンロン叢書20210320
 いわきという地域での震災後の実践活動から哲学を深めた筆者の力量に舌を巻いた。
 いわき市の小名浜に住む筆者は、東電や国はもちろん、福島県産品を危険物扱いする反原発派の言論に怒りを覚えてきた。
 原発事故によって福島は左傾化すると予想したが、「福島では数万人が死ぬ」「福島の食品は放射性廃棄物と同じだ」……と山本太郎らが発信するのを聴き、リベラルへの失望と反感が高まり右傾化していった。筆者自身も「反原発勢力を無知だとたたきまくった」という。
 県民の多くが脱原発を望んでいるが、脱原発を掲げる政党はむしろ福島の人たちをおとしめる。脱原発をめざしながら、健康被害が最小限であったことを喜び、差別にも加担しない、科学的な思考をベースに原発に依存しない社会を設計できる勢力がない、という。
 一方で右派からの行き過ぎた反発にも疑問を抱く。悪いのは東電や国なのに、なぜ住民が分断されなければならないのか。対立をどうほぐせばよいのか。
 この本はまず地区の特性に注目する。
 親潮と黒潮の潮目で豊かな漁場がある。黒潮の北端であり、ヤマトの最北端であり、アイヌの地の最南端という説もある。関東と東北の境界だった。
 京都の文化は日本海沿岸を経由して、三陸の宮古あたりまで伝わり、逆回りは銚子あたりまで伝播したが、それ以北は難所の鹿島灘があり伝わりにくかった。「いわきはシルクロード最果ての地」と位置づける民俗学者もいる。
 関ヶ原でも戊辰戦争でも敗れ、そのたびに中央の論理で地域を分断された。だから地域の文化の自己決定能力を育めなかった。
 小田原のかまぼこの一部は、いわきのメーカーがOEMで生産している。安価なコモディティ商品として出荷されるから特産品であることを地元民も知らない。いわきの工業生産高は震災前まで東北1だったが、「安価な大量生産品を供給する」バックヤードだから世間には知られない。
 常磐炭鉱が石炭を供給し、閉山になると原発が林立した。首都圏をバックヤードとして支えることが誇りになり、本来の文化や歴史に目を向けなくなり、地域の自立心が失われた。
 原発は「とりあえず」豊かになるために受け入れたが、そのうちにそれなしには生きられなくなり、依存してしまった。震災復興の助成金にも依存して、いつの間にか助成金を得ることが目的化してしまう。
 震災後の復興は、課題が大きいほど、過去や未来を遠くまで参照しなければならないはずなのに、いたずらに決断を急がされ、現場のリアリティに引きずられてしまった。
 いわきに足りないのは、文化の自己決定能力だという。
 内側に向けて「まじめに」復興を試みるだけではその能力は育めない。外に向かって開き、外の人に興味をもたれる必要がある。「外」とは外部という意味だけでなく、すでにこの世にいない「死者」や未来の人も含む。
 具体的には、芸術祭や回廊美術館、伝統的な盆踊りの復活の動きに希望を見出す。現実のリアリティの引力が強い福島だからこそ、現実の問題からいったん離れて、死者の声や外部の声に耳を傾け、思想やアート、文化の力を取り込み、観光で外とつながる。それができて筆者自身も楽になったという。
 福島で一番力のある場所である福島第一原発を観光地化し、原子力災害の被災地としてのマイノリティの立場から、震災や原子力災害の悲惨さを後世に伝え、文化的なアプローチによって対話や想像力を育む土地にしていくことが復興に欠かせないと説く。
 さらに、一定の条件を満たせば、最終処分場をつくってもよいと考える。
 条件とは、処理場そのものを学習施設とし、あらゆるデータを公開し、厳然たる事実として突きつけることで原発事故を語りつづけ、人間の叡智と愚かさを考える場にすることだ。それによって広島・長崎・水俣などと連帯することができる。
 軸となる歴史や文化をとりもどすことができず、地域作りに失敗し、その結果、中央への依存を余儀なくされ、その依存構造すらも忘れ、自らを周縁化させ、ついには中央に裏切られる歴史だった。それをくり返さないためには、文化や歴史、芸術といった領域の活動を再起動する必要があると結論づける。

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▽22 小名浜のアクアマリンふくしま「潮目の大水槽」。
▽浜通りは温暖。いわき市の日照時間は東北で1位。高気密高断熱のパッシブハウスを志向する工務店も多い。冬暖かく夏でも涼しい家。
 14市町村合併でいわき市に。新しい市の故障の候補のなかには「北関東市」もあった。
 ヒノキの北限。クスノキの北限。
 熊野神社がいくつか。稚児田楽は、那智大社の田楽と類似。
 黒潮の北端である浜通りはヤマトの最北端。アイヌの地の最南端だった、という説。
▽40 宮城県女川町では、一定年齢以上の人たちはまちづくりに口を出さないという決まりを作った。
 …復興さえ掲げれば金銭的、人的な支援が受けられてしまう。それが地域の自立を妨げる面がある。
▽65 いわき海洋調べ隊うみラボ 原発沖の海洋調査。釣りボランティアやメディア、一般参加者も。
 2015年からは放射線量の測定と福島県産の魚の試食を楽しむ「調(た)べラボ」
 広野火力発電所。5,6号機は石炭。小名浜港に石炭を備蓄し、運んでくる。
 小名浜港は、常磐炭鉱からの石炭の積み上げ港として誕生。福島第2原発、福島第1原発の1.5キロ沖まで。一般社団法人AFWの吉川彰浩のレクチャー。
 自分の身体で、福島の海の真実を体験することが大事。
▽92 いわきの工業製品生産高は仙台市と同規模で、震災前まで長く東北1だった。
 首都圏のバックヤードで、表からは見えない。あの事故でバックヤードはむきだしになった。
 地元発の「到着地からのツアー」。バックヤードの現実を発信し、原発事故の痕跡にふれる。…友人が来ると、小名浜の広大な工場地帯、さびれたソープ街や歓楽街、常磐炭鉱の遺構、人手あふれるロードサイドのSC…を案内する。
▽う100 日本一の福島の酒。「全国新酒鑑評会」で金賞を受賞した蔵元数が、6年連続で日本一。
 …日本酒の歴史。80年代は新潟の酒が「淡麗辛口」と人気を博し、90年代吟醸酒ブームが起きる。フルーティーな酒が好まれるようになる。モダンブームを牽引しているのが「獺祭」。そのブームの影響で純米大吟醸に偏った消費行動が発生。大吟醸は捨てる米の量が増える。「山田錦」の枯渇まで引き起こしている。一方、福島には「大七」をはじめ、生酛や山廃といった製法を守りつづける蔵元の酒や、落ち着いた香りの純米酒など、「クラシック」とカテゴライズされる酒も多い。実にバラエディー豊か。…会津モダンの源流をつくった廣木酒造の「飛露喜」。普通酒の「泉川」。
▽128 内郷地区 常磐炭鉱の選炭場などの遺構が残る。
 …国策としてエネルギー産業を受け入れた地域が、その後、どのような未来を迎えたのか。それを語れるのは、北海道、常磐、筑豊くらい。しかも常磐は、原子力産業の結末も見ている。…炭住(長屋住宅)に今も人が住んでいる。
▽132 小名浜には15軒近くのソープランドが営業。北洋漁業が盛んだったころ、開店したようだ。ソープ街と住宅街が渾然一体。
▽震災前まで「日本化成小名浜工場(三菱ケミカルに統合)」の廃熱を利用した湯が、各世帯に供給されていた。配湯事業は1970年にはじまる。当時日本初の「地域熱供給事業」だったとされる。
▽148 イオンモール2018年6月開業。地元の商店会や団体が協力して、イオンの給料を地元の平均水準に抑えることを要望。(〓情けない)
▽174 ロッコク〔国道6号〕を走る。2011年4月から2014年9月まで、富岡町夜ノ森から浪江長高瀬まで通行できなかった。…隠しきれないリアルが漏出する。
▽184 広野町は温州みかん栽培の北限。
▽190 最終処分場をつくってもいいのではないかと考えている。ただ、引き受けるには、処理場そのものを学習施設としてしまうこと。数値は安全か、どの程度で半減期を迎えるかといったデータをすべて公開しつつ、原子力そのものを考え、原発事故を振り返り、人間の叡智と愚かさを考えるための場にしてしまうのだ。…最終処分場の存在を逆に利用して、処理を社会から漂白するのではなく、むしろ厳然たる事実として突きつける。それによって原発事故を語りつづけるという方法があるのではないか。
▽194 富岡町の商業施設の柱になるのが「さくらモールとみおか」
 藤田大がかかわる飲食ブース「浜鶏(はまどーり)」がある。富岡町にあった食品会社、鳥藤本店。原発作業員の給食事業などを手がけた。
▽200 浪江町 DASH村のある津島地区住民は「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」
▽216 楢葉町の木戸駅そばに2017年にオープンした「結のはじまり」という小料理店。震災後に移住した古谷かおりによるプロジェクト。作業員と機関住民の交流の場がコンセプト。
▽222 東電福島担当特別顧問の石崎芳行が復興活動にあたっていた女性と不倫関係と報道。この女性に対し、電機業界の団体や東電幹部から個人的に100万単位の大金が支払われていた。女性は「福島差別論」を展開していた。彼女を支えたのが開沼博や東大教授の早野龍五ら。
▽229 今まで福島に関心がなかった人が思わず行きたくなってしまうアートや観光。思わず食べてしまいたくなる農産物や海産物。哲学や思想にふれられる場。必要なのはそれだ。
…いま、福島で一番地からのある場所はどこか。それこそが福島第一原発である。
▽260 福島県は左傾化するというのが当初の見立てだったが、逆だった。震災後福島県は右傾化した。「反左翼」「リベラルへの失望」。山本太郎に代表されるような過激派の言説が目立ち…福島では数万人が死ぬ、福島の食品は放射性廃棄物と同じだ…そんな方々と同じ未来を描けるはずはない。
…県民の多くが脱原発を望んでいる。しかし同じ脱原発を掲げる政党と行動は共にできない。福島に暮らす人たちの声を聴こうとせず、むしろ福島の人たちを貶めるような政党ばかりだからだ。
…脱原発をめざしながら、健康被害が最小限で食い止められたことを喜び、差別にも加担しない。福島の復興や収穫をわかちあい、科学的な思考をベースに原発に依存しない社会を設計できる勢力がない。
▽272 湯本地区「やっぺ踊り」という合併前の踊りを50年ぶりに復活。四倉地区では若手が中心になって「四倉音頭」の再生プロジェクト、内郷地区の奇祭「回転櫓盆踊り」。小名浜では毎年「小名浜本町通り芸術祭」。〓〓
 そこに暮らす人たちが「自分たちとは何者か」を考えたときにたぐり寄せたのは、文化や歴史、芸術の力だった。
▽276 現実のリアリティの引力が強い福島だからこそ、現実の問題からいったん離れて、死者の声や外部の声に耳を傾け、思想やアート、文化の力を自分のなかに取り込む。それができて私はずいぶん楽になった。…職業としての食、住民としての原発問題で感じてきた痛みは、仕事にも暮らしにも属さない、ふわっとした「文化」というアプローチを通過することで寛解されてきた。福島の現場で編み出された私の処方箋は、全国のどこかで「現実のリアリティ」に葛藤する皆さんの心に、何らかの効能があると思いたい。
▽277 いわき回廊美術館 「いわき万本桜プロジェクト」が管理する美術館〓。いわきと縁が深い蔡国強が婚宣布とデザインを手がけた。代表の志賀忠重が30年前に蔡の絵を購入したことがきっかけ。志賀は北極までいってしまった。助成金ありきの地域アート業界に強烈なカウンターパンチをお見舞いしている。
有志が勝手に作り、運営している。
▽283 私と友人が小名浜で運営しているオルタナティブスペースUDOK.
▽288 2013年から「小名浜本町通り芸術祭」…アーティストや表現者が訪れるようになったから、現実のリアリティから距離を置くことができ、以前よりも射程の長い視点で、地域を見つめられるようになった。…リアリティから解放されるためふまじめさをもつことが、かえって持続性と当事者性を高めてくれる。
▽300 常磐ツアーは日立駅から。いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」を運営する常磐興産という会社は常磐炭鉱から生まれた。日立製作所も、常磐炭田の南端にある日立鉱山で使用する機械の修理部門から誕生した。双葉郡内の原発もポスト石炭を担うエネルギー生産拠点として生まれている。茨木北部、いわき、双葉郡、いずれも常磐炭田からその近代化の歴史がはじまっている。
▽308 「アーティストは事実を伝えるのではなく、真実を翻訳するのだ」
 被災地で、幽霊の姿が目撃されたという数々のニュース。心に深い傷を受けた人たちが求めたのは、数値やデータではなく死者の声であった。…死者の声を翻訳することこそがアーティストの役割。
▽312 戦災や公害という厳然たる負の歴史を持ってしまった…被害を受けてしまった私たちだからこそ語れる言葉があるという意味で、私たちは水俣や広島、長崎と連帯できるはずだ。
…原発事故という生涯を、むしろ価値と考え、多くの人たちが学びを得られるような地域になってほしい。…方法的差別の道を探るべき。
▽322 いわき市の民俗学者・夏井芳德「いわきはシルクロード最果ての地」と位置づける。…大陸の文化は海路で東北に伝わった。京都から日本海沿岸を経由して、三陸北部、宮古あたりまで。宮古の地名が「京(みやこ)」から取られている。逆回りは調子あたりまでは文化が伝播する。しかしそれ以北は難所の鹿島灘があり、伝わりにくかったという。…いわきを中心としたエリアには大陸系の文化が伝わらず、風流の獅子舞が残り、地域内で独自の発達をしたのではないか。
▽326 「課題先進地区」という概念を大切にしたい。
▽332 助成金の新生や行政との協働ばかりをつづけていると、いつの間にか行政のニーズを先取りしてしまうようになる。助成金を取るための企画をつくりたがる「助成金錬金術師」。
▽352 数カ所にある八大龍王碑。龍燈伝説。津波は正に龍であり鯨だった。恵みを与えてくれるものでもあれば、禍を起こすものでもあった。だからこそ八大龍王碑をつくり、神々を祀った。いわきは龍の国。
▽354 いわき市南部にある勿来の関。鹿島神宮の威光が通じない異国の地として「なこそ」が定着。…しかしその実際の場所はわかっていない。現在の関は江戸時代につくられた。…はじまりはにせものだとしても、300年通用するものをつくれば、それは文化になり、地域の資産になることを内藤忠興は証明した。私たちは、この300年のあいだ、勿来の関を越えるような文化事業を行えていない。
 忠興の先代は、四倉町から平沼ノ内までの新舞子浜に10キロつづく黒松の林がある。潮害から田畑を守るため植えさせた。この林のおかげで津波被害が最小限に食い止められたとも言われる。
 …私たちは、300年後に地域の誇りになるようなものをなにひとつ残せていない。残ったのは防潮堤だけ。
 …震災後「どのような地域を未来に残したいか」ばかりを考えてきた。しかし、それだけでは文化や歴史は断絶してしまう。浜通りは、次は石炭だ、次は原子力だ、次は再生エネルギーだ、そんなことばかりくり返し、自分自身で過去の文化を投げ捨ててしまった。そうではない。死者の声を聞くことの先に地域の未来があるべきだ。
 芸術家たちは「震災復興で防潮堤しかつくれなかったではないか」という批評を遺しながらも、「いわきにはこれほど豊かな文化や歴史、風景があるではないか」という希望に満ちた問いも遺した。地域アートとは、地域の課題と魅力の両方を提示する。
▽362 原発事故に関心を持ってもらいたいと思うなら、ふまじめに徹し、遠くの誰かに、面白さや楽しさを伝えて行かなければならないはずだ。私たちが楽しむのは、風化や風評に抗い、原発事故への怒りを忘れないためでもある。
▽364 現実のリアリティに束縛される地域の担い手こそ、率先してアートや文学、音楽や演劇、批評と言った外部性に身をさらし、そこから得られる知見やビジョンを、地域のなかに提示しなければならない。事故以後の地域づくりは外部を取り戻すべきだ。
「福島を伝えることは障害福祉を伝えることに似ている」
「障害福祉をやっている人だけでは課題は解決しない」「障害福祉にかかわらない人がかかわることにヒントがある」
▽382 復興には誤配がない。わかりきった人たちに、わかりきった答えしかもたらさない。そこには未来がない。外部がない。つまり、どこにも行けないのだ。「皆さんも、この福島を軽薄なまでに遊び尽くしてほしい。そこにはきっと誤配の種が生まれるはずだ」
▽390 絵本、絵画、踊り…みな阿東的に「外部」に伝わる力を備えていた。そのいずれもが「死者の声をより遠くに伝えるもの」
…課題が大きいほど、人は過去や未来を遠くまで参照しなければならないはずなのに…いたずらに決断を急がされ、現場のリアリティに引きずられてしまった。

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