■平凡社新書20210317
香川県の志度で平賀源内の旧宅を訪ねた。レオナルド・ダ・ビンチのようなマルチタレントな天才というイメージしかなかったが、最後は獄死していると知り、その生涯を知りたくなった。
源内はもとは本草学者(博物学者)だが、故障していたオランダ製のエレキテル(摩擦起電器)を独力で修復し、万歩計(量程器)や方位磁石、温度計も見よう見まねで制作した。羊毛の羅紗や「菅原櫛」「金唐皮紙」もつくった。秋田県仙北市の「上桧木内の紙風船上げ」は銅山の技術指導に来た際、熱気球の原理を応用した遊びとして源内が伝えたとされ、竹とんぼの発明者という説もあるという。
秩父では石綿の石を発見し、「火で洗える布」を織った。秩父では金山を開発し、たたら製鉄も手がけた。事業は失敗したが、そのインフラをつかって木炭の生産事業を起こした。
コピーライターの元祖でもあった。江戸時代には引き札(チラシ)が盛んにつくられ、人気作家によるコピーが掲載されていた。うなぎ屋の「本日丑の日」のコピーは源内が考案した。土用の丑の日に鰻を食べる習慣を根づかせたのは彼だった。
ベストセラーの人気戯作家で、最新の西洋絵画を伝える絵師でもあった。
だが晩年は、身内の職人にエレキテルを模造され、鉱山も木炭も陶器や羅紗もうまくいかず、戯作の人気は落ち……怒りっぽくなって、世間から山師とそしられるようになった。最後は殺傷事件を起こして自首し、伝馬町の牢屋で病死した。
源内の生涯を見渡し功績を知るにはよい本だが、読み物としては深みに欠けた。
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▽人を殺したと奉行所に自首して、伝馬町の牢で病死。
▽31 本草学者 田村元雄に弟子入り。田村は朝鮮人参国産化を研究していた。輸入品できわめて高価。冨の国外流出を招いていた。国産化すれば国益にかなうと吉宗は考えた。
▽57 藩主の命令で紀州の産物を調査しているとき、珍木を見てホルトノキと直観した。オリーブの木のこと。日本にはじめて持ちこんだのがポルトガル人だったからポルトの木と呼ばれ、それがホルトノキになった。オリーブ油は蘭方外科の医薬品として珍重されていた。ところが、これはオリーブではなく「ヅクノキ」だった。本来はオリーブの木につけられるはずだったホルトノキの名がヅクノキに当てられてしまった。
▽59 当時栽培されていた54品種の唐辛子を分類した。(そんな種類が入っていたのか〓)
▽68 秩父で石綿の石を発見。火かん布。「火で洗える布」
▽鉱山開発 山師
▽81 秩父で「たたら製法」
▽88 金山につづいて鉄山も失敗。そのインフラをつかって木炭の生産事業。
▽92 エレキテル 故障していた起電機を修復した。発明ではない。
▽95 集まった人にエレキテルの端末をにぎらせ、ビリッと感電させる。大人気のアトラクションになったがまもなく忘れられた。
▽102 万歩計(量程器)も。方位磁石も制作。どれもオランダ製の機械の模倣。
▽107 秋田県仙北市の「上桧木内の紙風船上げ」。平賀源内が起源と伝えられる。銅山の技術指導に来た際、熱気球の原理を応用した遊びとして伝えたという。
竹とんぼの発明者という説も。
▽117 羅紗 綿羊でつくった。が、事業化はできず。「菅原櫛」
「金唐皮紙」は明治になって復活し、輸出品に。昭和30年代後半に途絶えたが、「金唐紙研究所」がよみがえらせた〓。
▽130 源内の才能は田沼意次の時代だからこそ開花した。田沼時代は、余裕のある、開放的な時代だった。…が、将軍家治の死去とともに失脚。
▽169 最初のコピーライター。江戸時代には引き札の興隆があり、人気作家によるコピーが掲載されていた。
うなぎ屋の「本日丑の日」のコピーも源内が考案した。
土用の丑の日にウナギを食べるという風習自体、源内が発祥という説もあるが、これには異説もある。大伴家持にさかのぼるという。
…土用の丑の日に鰻を食べる習慣を根づかせ、うなぎ屋さんの商売がたち行くようにさせたのは源内だと言ってまちがいない。
▽183 切れ者の本草学者、ベストセラーの人気戯作家、最新の西洋絵画を伝える絵師、産業技術家……
▽185 生涯妻を娶らなかった。男色家だったという説も。
…天才には独身者が多かった。レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ニュートン、フンボルト、スタンダール、ブラームス、ニーチェ、カフカ…。
▽195 エレキテル模造事件 身内の職人が模造した。怒って奉行所に訴え出た。
▽198 鉱山事業、木炭製造事業、陶器製造、羅紗製造もうまくいかず、戯作は当たらず、エレキテルは盗まれ……一時はあれほどもてはやしていた世間も、大風呂敷、山師とそしる始末。金銭的な苦労も。
▽202 殺傷事件を起こして…自首した。
…晩年、怒りっぽくなっていたのは、国益にかけるという高い志を理解しようとせず、山師とそしる世間に対するものだったのではないか。
…自首から1カ月後、天満町の牢内で病死した。環境は劣悪で、病を得て獄死する者が後を絶たなかったという。
▽209 本草学 西洋の博物学や自然誌も。近代の植物学や鉱物学にまでひきつがれるものだった。
火かん布(石綿)、タルモメイトル、歩数計、エレキテルなど。
むしろ彼の真骨頂は、本草学を産業と結びつけ、意次の重商主義制作を具現化しようとしたこと、科学と国益を結びつけて考えたこと、科学・技術と産業を結びつけようとしたことにあるだろう。19世紀の産業技術社会を先取りした。
国産に情熱を注ぐ産業人。
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