岩波新書 20070820
ふっと思い浮かんで、おもろい! と思うのだけど、パソコンにむかうと文字にならない。ちょっと時間がたつとわすれてしまう。あれほどすばらしい着想だったのに、なぜいざ書こうとするとしおれてしまい、指のあいだから流れおちる砂のように消えて中身がなくなってしまうのだろう。
そんな思いは、文章を書こうと思った人はだれもが感じてきたのではあるまいか。
そんなとき、ふわふわっと思い浮かんだアイデアを無理矢理ふんづかまえようとしたら逃げていってしまう。あやすようにゆっくりと時間をかけて遊んでやるといい、という。なるほど、と思う。実際そうするのはむずかしいが。
おもしろいなあ、と感じた文章は口まねすること、というのは実践的なアドバイスだ。なんどもなんどもまねることで、自分自身の感受性が変化して、著者の視点で世界をみるようになる……。エクリチュール・文体をまねることで、その思想を自分のものにする。自分を変化させる。文体という外形を変化させることで、心を変化させていく。フーコーやらサイードを読んだあとだから、なるほど、と思う。
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▽人間がなにかをするとき、たいせつだ、やらなくちゃ、すべてをかけて、とやる気を見せれば見せるほど、小説も、詩も、女の子も、夢も、お金も地位も、あなたから逃げだしてしまう。
だからあなたは、まず、小説と遊んでやる覚悟を決めなければなりません。
どう遊んでやればいいかなどと考えず、自分が楽しくなるように、遊ぶのです。
▽おもしろいなあ、もっと知りたいなあと思う時、いちばんいいやりかたは、それをまねること。大事なのはなにより、上手に口まねすること。
まねてまねて書くことで、その文章に影響されて、わたしの中にわたしのものではない考えが、一度もわたしの中で働いたことのない考えが生まれてきた。
くり返し、読んで、書き写したら、その文章で、それを書いた人の視線で、世界を見てください。それを書いた人の感覚で世界を歩き、触ってください
(サイードやフーコーの考え、エクリチュール、文体が思想を形づくる、という考え方)
▽リスト
太宰治 (お伽草紙、二十世紀旗手、もの思う葦)
石川啄木「ローマ字日記」
芥川
小林秀雄
金子光晴「マレー蘭印紀行」「どくろ杯」
「現代詩文庫」一期、二期全巻 谷川俊太郎「定義」など
片岡義男 湿っぽい日本文学の伝統と完全に切れた文章
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