講談社 20070827
新宿駅を発着した客車の鈍行列車の独特の魅力、「この電車は冷房車です」というステッカー、休日にはデパート屋上の遊具が一番の楽しみで、遠足やサイクリングはなによりの冒険だった。全共闘が投石し、ストがあれば電車やバスがとまった。そうなれば先生がでてこられないから「ラッキー」と思った。
……そうだ、そうだったなあという甘酸っぱい描写がなつかしい。
ましてや舞台は(私の育った場とおなじ)公団の団地である。子供だから政治的なことはわからなかったが、車の入れない「ノーカー団地」を標榜し、私の記憶でも、独特の雰囲気があった。
1974年はまさに団地の最盛期であり、筆者のそだった団地は、革新的なパワーの原動力となっていた。学校も必然的にその影響がおよび、PTAが力をもち、日教組の先生と連携し、オルタナティブな教育が論じられ、「集団づくり」が重視されていた。「民主的な教育」という理想をかかげて邁進していた。
だが、「滝山コミューン」の先生が抱いていたモデルはソ連の教育だった。「みんな」「班競争」、ついには「追求」という名の糾弾までもが教育に包含された。民主集中制を子供のなかにつくっていく過程でもあった。
そんな雰囲気に居づらさを感じていた筆者は、当時の記憶を丹念にほりおこす。掲示板の内容、どこに張り出されていたか、級友がどんな発言をしたか……。よくここまで覚えているなあ、というほど、くわしく当時の様子を描写していく。同時に、国鉄や日教組のスト、その指導者の逮捕……といった社会の情勢も描いていく。
「民主主義」を標榜し、理想社会をおいもとめながらも、なぜか、全体主義的になっていく。そんなアンビバレントな展開をつづっている。
筆者がすごしたエネルギーに満ちた団地を中心とした社会は、80年代後半からくずれていく。不登校が問題になり、校長の権力が強まり……、90年代までは「君が代・日の丸」反対などの基盤になったが、21世紀になって石原が知事になるころになると学校は、「安心・安全」のために壁に囲まれ、地域の人たちの出入りを許さぬ要塞になってしまった。団地は高齢化し、子供の姿はほとんど見られなくなってしまった。
社会学者、倫理学者らの思想が随所にちりばめられ、団地を舞台にした小説も紹介され、なるほど、そうやって理論的枠組みを現実社会に適用すればよいのか、と関心させられた。
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▽国家主義的な道徳教育の押しつけではなく、1人1人の子供たちをカシコク幸せにするための科学教育を……といったスローガンのなかには、真理の教授と民主的社会の形成とか予定調和するという美しい夢が託されていた。……上からの押しつけに抵抗した民主教師たちの中には、自らの教育行為そのものが別の形での権威主義をはらむことになるなどという自覚はなかった。……(倫理学者・古茂田宏)
▽70年代までを「団地化の時代」、それ以降を「ニュータウン化の時代」と呼んだのは宮台。前者の時代には、旧住民と新住民が入りまじるマダラ模様。後者は「閉じた均質空間」が現れる。滝山の場合は後者に近い。
▽PTA改革 日の丸・君が代71年3月の卒業式ではとりやめ。
▽学級集団づくり 全国生活指導研究協議会 「子どもたちの中に生まれてきている個人主義、自由主義意識を集団主義的なものへ変革する」まだ理想の輝きを失っていなかった社会主義、旧ソ連の教育学者マカレンコの影響。旧ソ連の集団主義教育は、団地を中心とするソビエト社会の中で発展した。〓〓(郊外に畑をもつ発想は?)
▽「班」は軍隊で使われた用語だった。全生研は、軍解体以来死語となっていた「班」を60年代になって学校教育の現場に持ち込んだ。
▽四谷大塚 隠れてテストを受けに行った。戦後教育を批判する滔々とした流れに逆らうことは、許されなかったのかもしれない。
▽西武と滝山 「民主主義」を掲げ、官からの独立を志向しながらも、結果的にそれとは相反する独裁国家のようなものを内部に築いてしまうところに、西武と「滝山コミューン」の共通点を読みとろうとするのはうがちすぎだろうか。
▽減点法の班競争 ボロ班をつくる
▽塾の存在が本来すべき学習の障害になっているという認識は広く共有されていた。
▽和歌森太郎「ジュニア版 日本歴史シリーズ」 「子供の科学」の「よく飛ぶ紙飛行機集」
▽一戸建てに対する憧れを全くといっていいほど持たなかった。むしろ団地こそが現代を象徴する新しい住宅であり……(〓はじめて見たときの風呂の扉がロケットのよう)
▽「鬼のパンツ」 全生研の機関誌が推奨していた集団遊びの一つ。
▽信長について知ってる人? 教科書通りに答えると、「それでは説明になってない。教科書を見れば全部書いてある」。朝倉が手をあげた。「……僕はそんな信長を殺した明智光秀のことがとても憎らしいと思います」 片山は朝倉のこうした答え方を絶賛した。それにひきかえ、原の答えには自分の考えというものがまるで入っていない・・・。
(〓M先生 水は熱したら何度まで上がるか 100度です なぜ 教科書に載ってたから ダメだ……アルコールランプの炎の温度は? 500度だ。 じゃあ500度まで上がります よし・・・姑息で小器用なガキ)
▽林間学校 みんなが「楽しい」と書く、が。
▽立候補した班のなかから、どの班を落とすか挙手で決める。ボロ班が白日のもとにさらされる。
▽「民主主義」の名のもとに、「異質的なものの排除ないし絶滅」がなぜ行われたか。
▽林間学校 規則違反の状況を示す棒グラフ(〓規則違反こそ楽しかった)
▽キャンドルサービス 炎や松明が合唱と同様にナチス・ドイツで重視された。日本でも提灯行列で一体感を高めた。(たき火効果〓)
▽6年5組の団結力は依然として固い。いまでも片山が上京するときにあわせてクラスメートが集まる。
▽「民主的集団」を攪乱してきた私の「罪状」を読み上げ、自己批判すべきであると主張した……。「追求」
▽慶応普通部へ。自分よりも狭い家に住んでいた同級生は1人もいなかった。小学校時代の一戸建てに対する優越感はもろくも崩れ去った。慶応の生徒の遊び場は、渋谷や自由が丘などだった。
▽90年代、滝山団地の人口や七小の児童数が減りつづけても、国家権力とは一線を画したコミューンを築こうとした精神はまだ残っていた(君が代日の丸反対)。が、今世紀になり、「日の丸」「君が代」が強制され、滝山に残っていた最後の遺産を一掃することを意味した。
「不審者に注意」「パトロール中東村山警察署パトねっと」。隣接する滝山団地との間に高い「壁」を築く。団地に住む母親たちが普段着のまま校内に立ち入ることができた時代は遠い過去のものになっていた。
△ 「つづりかた」の自己批判 高槻のケースを紹介した〓シンポ
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