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東井義雄「いのち」の教え

■東井義雄「いのち」の教え 東井義雄 佼成出版社 20120508

 筆者は生活綴り方を実践した小学校教師。子供との対話や経験をつづったエッセーだ。なぜこんなに心動かす言葉が次々に紡ぎ出されるのか。
 鶴見俊輔は、生活綴り方のプラグマティズムとしての側面を指摘するとともに、無着成恭にしても東井にしても寺の出身であるという共通点を指摘していた。
 どんな子のよさをも見つけるやさしさと包容力は、たしかに宗教的な背景がいるような気がする。カネや効率とは異なる軸の価値観や感受性をもつには、合理主義だけではない価値の体系を血肉化していなければならないのだろう。宗教以外にそうした価値観を教えてくれるのはいったいなんだろう?
 子どもの言葉、母と子の会話の豊かさに比べて、なぜ大人の、とくに男の、さらに都会の大人の言葉はつまらないのか。都会では子どもの言葉もやせ細っているのではないか。
 30年前までは、田舎は保守的で封建的であり、都市は革新的で刺激にあふれていた。田舎という根っこをもつ人が、都会という自由な空間に出たときのエネルギーの発散だったのかもしれない。
 今は都会こそが逼塞し、可能性が失われ、鬱々としている。いや、そういう状態にあることさえ多くの人は気づいていない。元気な都会人、たとえば青年海外協力隊経験者らは、むしろ田舎に出ようとしている。これは「回帰」ではなく、自由を求める新たな挑戦なのだろう。生きた言葉が生まれる可能性のある場所は田舎なのだと感じているのではないか。
 紹介された子どもや親の言葉をみると、私自身の小学校時代を思い出す。
 私が小学校3年ぐらいのときの理科の授業で、宮本先生という年配の先生が「アルコールランプで熱したら水の温度は何度まで上がるか」と質問した。「100度」と答えたら理由を問われ、「教科書に書いてあるから」と言ったら「自分の頭で考えろ」と、こっぴどく怒られた。そして「アルコールランプの火と同じ温度まで上がる」と答えたらほめられた。
 この本には、「ばんがたみたら しろいお月さんやった しょうべんしにおきたときみたら ものすごう ひかっとった それで ふたつかいたんや」と2つの月を描いた子が紹介されていた。「偉い人」や「本」による知識ではなく、自らの実感に全幅の信頼を置くたくましさ。こんな子がいたら、宮本先生はきっとほめたことだろう。
 5年生の子に夏休みの旅行の計画をたてさせるお父さんも紹介されていた。僕も、小5か小6のとき、同級生と「旅行会」を結成し、寝台特急みずほで九州に行こうと計画した。一度乗ったことがある私が朝焼けの瀬戸内海の風景について語ると、みんなが大いに乗り気になった。だが小学生にそんな小遣いがあるわけがない。次に伊豆下田1泊旅行を計画し電車の時刻を調べ「さくらや」という民宿に泊まるプランをつくった。これも当然計画に終わった。次には日帰りで行ける小山遊園地訪問を計画したが、だれかの親が反対してだめになった。最後は自転車で30分で行ける大宮公園になり、なんだかつまらなくなって旅行会は解散した。
 けっきょくなにも実現できなかったが、休み時間や昼休みに、時刻表を手にみんなで語り合った熱気はすごかった。何か未知のものに挑むとき、子どもは(いや大人も)能力以上の力を発揮し、多くのものを学ぶのだ。
 本の著者の東井先生は、子どもたち1人1人を、学級をつくっていく者、学校をつくっていく者、家庭や地域までもつくっていく主人公として位置づけ、「させられる立場」ではなく「する立場」に立たせることによって、一人ひとりのエネルギーに点火し、人間のほんとうの生きがいは何かを子ども自身が実感的につかみとるような実践に取り組んだという。まさにパウロ・フレイレである。
 そして「する立場」に立たせてくれた学校での経験は、私自身のなかにも生きていることがわかった。

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▽17 生い立ちの記を小学生に書かせる。母のありがたさに気づく子。
▽25 大学入試に失敗した娘に「恵、おめでとう」「尊い勉強をさせていただいたね。いくらお金を積んでも得られない、この度の失敗、どうか、一生涯、大切にするんだよ。それといっしょに、自分が得意の絶頂に立ったとき、どこかに泣いている人があるということの考えられる人間になっておくれ」
▽46 どんな人間もお見捨てにならない「仏様」は、子どものほんとうの成長のために、「仏さま」の名代として、どの子にも「親」をお差し向けになっているのんです。
▽55 「お前の意思通り、A高校を受けなさい。しかし、一つだけ約束しろ。発表は、必ず一人で見に行くこと。そして、自分の受験番号がなかったら、1時間、その発表板とにらめっこして考えてくること」・・・「だめだった。こめんな」と頭を下げたとき、お父さんは「よし、これだ」と言って、金包みを渡されました。包みには「祝出発」と書いてありました。
▽60 お月さんを2つ描いたはまだくん。「ばんがたみたら しろいお月さんやった しょうべんしにおきたときみたら ものすごう ひかっとった それで ふたつかいたんや」
はまだ君は、誰か偉い人がこのように言っているとか、この本にこう書いてあるとかいうくらいのことでは、なかなか納得してくれないたくましさをもっています。自分の目で確かめないと、納得してくれません。(宮本先生。水は何度まで温度があがるか)
▽63 5歳の子「「ぼくの舌、動け」というたときは、もう動いた後や。ぼくより先にぼくの舌動かすのは何や」
▽70
▽79 5年生の子んい夏休みの旅行の計画をたてさせるお父さん。(「旅行会」寝台特急の車窓、下田の「さくらや」。小山動物園、山中湖・・・)
▽107 漏らした子のパンツをかえてあげながら女の先生。「あなたのお腹の中にあっては体のために悪いものが、みんな出てくれたんだから、先生、うれしいの。泣かんでもいいの」と、自分も泣きながら、子供を励まし、始末をしてやってくれているのでした。(そういう言葉が出て来る)子供の悲しみが、そのまま自分の悲しみになる人でないと、こんなあたたかい知恵に輝いたことばは、生まれてくるものではありません。
▽112 母の日にはじめて板チョコをプレゼントした女の子。翌朝、母からの手紙。「お母さんはね、いままで、あんなおいしいチョコレートをたべたことはなかったよ。こんなにおいしいんだもの、お母さん一人でたべるのはもったいなくて、お母さんの大好きなルリ子にも半分食べてほしくなりました」
ルリ子さんにこの感動を味わわせたのは、50円の板チョコの中に、どんな高価なチョコのなかにもない味を感じとられた、お母さんのあり方。
▽128 水泳大会の学級対抗リレー いじめグループの番長が中心になって、小児麻痺の女生徒を出させた。必死で泳ぐ女生徒。そのとき背広のままプールに飛び込んだ人がありました。「つらいだろうが、がんばっておくれ。つらいだろうが、がんばっておくれ」と、泣きながらいっしょに進みはじめました。校長先生でした。
▽153 なくなる直前の日記。教師をしていた息子が意識不明に。
癌によってさえ気づかせていただけなかった大切なことを 義臣の突然の意識不明は 気づかせ、目覚めさせてくださった たいへんな たいへんな 今年であったが たいへんな たいへんな 大切なお育てを いただくことのできた 今年であった
▽171 亡くなる8日前の4月11日の日記。
▽177 子どもたち1人1人を、学級をつくっていく者、学校をつくっていく者、家庭や地域までもつくっていく主人公として位置づけた教育実践を強力に推進されていました。子どもたち一人ひとりを主人公の立場、「させられる立場」ではなく「する立場」に立たせることによって、それまでよそごとであり他人ごとであったことがらが、はじめて「自分のこと」「自分のもの」としてたぐりよせられ、主人公の中でのっぴきならない自分のこととして燃えはじめる。
「させられる立場」でなく「する立場」に立たせ、一人ひとりのあり方・生き方を底の底からゆりうごかして、そのエネルギーに点火すると共に、人間のほんとうの生まれがいや生きがいは何かを子ども自身が本気で求め実感的につかみとり、一人ひとりが光輝くような実践・・・(フレイレ)

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