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青春の門第7部挑戦編 五木寛之

■青春の門 第7部 挑戦編 五木寛之 講談社文庫 20120415
第6部の再起編から13年後の1993年に発表された作品がようやく文庫化された。偶然書店で見つけた。2002年に第6部まで読んだから、私にとっても10年ぶりの続編だ。
興奮しながら読んだ5部までの記憶があるから、あの緊張感がつづいているのかどうか心配したが、冬の江差を舞台にした、サスペンスのような緊張感ある冒頭から引き込まれた。
第6部では、何度も出逢いと別れを繰り返した幼なじみの織江のマネジャーとなったが、7部では、知人の遺骨をまくために江差を訪れてまた1人になる。
イギリスの情報機関につとめていたオーストラリア人ジョンと出会い、海外への夢をふくらませる。自分の知らないこと、見たこともない世界に闇雲に飛び汲んで行く信介。「ぼくには<何をなすべきかが、まだ全然つかめていないんです。でもぼくはこれまで、なりゆきにまかせて試行錯誤を繰り返して生きていれば、いつか自分のなすべき事が目の前に現れてくるだろうと漠然と考えていました……まず具体的な目標を立てて一歩ずつでもそれに近づいてゆくことが人間には必要なんですね」。この言葉が生きるのは、成り行きにまかせて振幅の広い生き方をしてきたからこそだ。
青春が終わるというのは、そういう試行錯誤を終えるということなのかもしれない。信介の振幅の激しい生き方を、たぶん20代の自分は、同じことをやってるなぁと共感こそすれ、それほどうらやましいとは思わなかったろう。知らぬうちに小さくまとまってきたことを思い知らされる。
今回、信介は襟子という高校生と恋をする。
−−「もし、ここでわたしが信介さんに期待したら、どうなるの? どうにもならないでしょう?」 光る目で信介の顔をのぞきこんだ。「ね、どうにかなると思う?」−−という描写。多くの男が「こんなことあったなぁ」とほろ苦い記憶を思いだすだろう。こういう描写の若さが五木寛之の魅力のひとつだ。
物語はソ連へ旅立つ直前で終わる。それから20年、続編は途中までしか発表されていないという。
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▽「ぼくには<何をなすべきか>が、まだ全然つかめていないんです。でもぼくはこれまで、なりゆきにまかせて試行錯誤を繰り返して生きていれば、いつか自分のなすべき事が目の前に現れてくるだろうと漠然と考えていました。……まず具体的な目標を立てて一歩ずつでもそれに近づいてゆくことが人間には必要なんですね」
▽「吹っ切れた人間にならにゃいかんばい」「理屈じゃなか」何か迷いそうになると、目をつぶつって火中に飛び込んでゆくことしか考えなかった。
20代後半にさしかかり……「ふっきれた生き方」だけではどうにも割り切ることのできない世界が、少しずつ見え始めて来ていた。
▽インスタント食品は、1960年代にはいると急激に当時の日本人の生活のなかにひろがりはじめていた。ラーメンを皮切りに、スープ、ミルク、カレーなど。
▽308 エスペレント ザメンホフ。イナロードツィ(権利のない連中)と呼ばれたユダヤ人。……あらゆる悲惨と抑圧と矛盾の渦の中に投げ出された若者の苦い理想であることに、信介は体の底まで感動したのである。
▽ソ連へ。西沢やジョンたちと。襟子もともに
▽693〓解説
信介は、自分とは異なる者、違和感を感じるものとの縁に踏み込んで行っている。自分にないもの、自分が知らないもの、「異世界」の縁にひたすら飛び込み続ける。
しかし彼の内面では繰り返し「故郷」が再現する。父重蔵の姿を半ば理想化された男の生き様として思い返す。義母タエの存在は永遠の女性像であり……
通過儀礼の3つのプロセス 子どもがそれまでの日常から非日常的異界へと移動する「分離」のプロセス。非日常的世界で子どもから大人に変容する「移行」のプロセス。大人となって日常に復帰する「統合」のプロセス。子どもはいちど死に、大人って生まれ変わるという、死と再生の儀式が通過儀礼だ。
無謀とも思えるやり方で異世界の縁に飛び込んで行く信介の行動は、まさに通過儀礼の途上の若者。……それがソ連横断となるはずだった。
「親鸞」が「青春の門」の続編ではないか。

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