中公新書 20070818
60年安保は戦後最大ともいえる運動だった。今では考えられないほど野党が強く、革命前夜的な雰囲気だった……と思っていたが、実際の支持率などをみると、わずか数カ月後には自民党が盤石の支持をとりもどしていた。今よりよっぽど自民党の底力が強かったことがわかる。
なのになぜあれほど運動が盛り上がったのか、今は盛り上がらないのか、と考えると、保守も革新も「中間団体」の力が強かった、と結論せざるをえないだろう。保守の側は農協などの地盤があり、革新の側は労働組合が強力だった。
今はそのどちらもが崩壊し、個々人が原子化し……無気力化し……まさに丸山がなげいた非政治化が進んでしまったといえよう。
この本は上記のようなデータがおもしろい。戦前の国家主義団体の数の推移、学生の思想的な傾向など、知っているようで知らない。データがあることで、左翼=モダンとされたインテリ学生の風潮があっという間に国家主義に転じていく過程がよくわかる。
丸山がどんな時代に苦しみ、活躍し、さらには学生運動のなかで唾棄されるようになるかも、きちんと描かれている。
ただ、丸山の生き方や思想よりも、その背景を描く論文的な部分が多すぎてじゃっかん興醒めする部分もなきにしもあらず。丸山の思想を知るためならば、ほかの本のほうがいいだろう。
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▽赤穂浪士を顕彰すべきという儒学者と、処罰すべきとする儒学者にわかれた。荻生徂徠は処罰派だった。顕彰派は幕藩体制を封建的主従関係(封建主義)とみているし、処罰派は統一政権(絶対主義)と見ている。幕藩体制の二重構造。
▽蓑田胸喜 の生い立ち。今や忘れられたが60年代まではファナティックで攻撃的な人物の代表格とされていた。
▽大学が国体論の体裁をととのえると、排除する側だった蓑田は排除されるだけの存在になる。大政翼賛会からもはずされる。「過激分子が必死となって道を『清め』たあとをしずしずと車に乗って進んで来るのは、大礼服に身をかためた紳士高官たちであった」……清めに加わったのは過激分子だけでなく、国体明徴運動は、政友会が倒閣運動の道具にした。
▽ファシズムの担い手 第1類型は、小工場主、小売店主、学校教員、役場の吏員、僧侶……。第2類型は、サラリーマン階級や文化人やジャーナリスト、学生。第2は本来のインテリゲンチャ。第1は疑似インテリゲンチャ。ファシズムを煽ったのは第1類型の層。
▽1955年ごろから、丸山は日本共産党からスタンスをとりはじめる。……消費の増大。54年までのメーデーのスローガンは、「労働者を奴隷化する職階制度反対」「組合の御用化反対」だったのが、55年ごろから「賃金引き上げ」「労働時間短縮」となる。理念より欲望(花より団子)の時代となる。貧困と結びついた理想主義=政治主義の衰退。
▽警職法改正反対運動。安保反対は警職法ほどは盛り上がらなかった。改訂賛成が反対を上回ってさえいた。・・・安保闘争を一大国民運動にしたのは、全学連の「跳ね上がり」行動であったことは否めない。もりあがったのは国会乱入事件がテレビで放映されてから。……安保闘争の盛り上がりは、その内容よりも、岸首相の強権的手法への反発だった。内容に対する論理的反発よりもやりくちへの感情的反発。
▽安保条約批准書交換のあと、池田勇人政権が誕生。直後の世論調査では支持51で支持しない17を大きく上回っている。安保改定強行採決直後は保守と革新が拮抗していたが、自民党が盛り返す。
▽安保 在京7つの新聞社は、国会内の流血事件をへて「暴力を排し、議会主義を守れ」の共同宣言を発表する。丸山の議会主義擁護論は、同じ流れにみられるだけでなく、その筋道をつけたかの印象さえ与える。全学連にとって、丸山は、獅子身中の虫となる。
▽吉本の丸山批判。戦前を幼年期として送った大江健三郎や江藤淳、石原慎太郎などの戦後派を統一戦線にくりこみ、丸山を外にはじきだす。戦前派知識人の大衆戦略は、大衆の進歩的知識人化にすぎない啓蒙であることを容赦なく炙りだした。
▽戦前 社会主義はモダニズムの一種として流行した……地方対中央やムラ対都市という近代日本の枠組みの終焉とともに、反体制運動の輝きが霧散しはじめる。だから60年代後半から70年代初期の全共闘運動は、反体制であるだけではモダン・ファッションたりえない時代に、独自にファッション性をつくりあげたことによってもりあがりをみせた。ゲバ棒、覆面、ヘルメット。教授をひきこんでの大衆団交、街頭でもやバリケードによる祝祭的空間。徹底的に楽しかったから、学生たちは賛歌した。
▽全共闘による糾弾。むきだしの憎悪。戦前の蓑田などの右翼活動家を彷彿とさせたはずである。
▽高度成長を境に日本人論の論調は大きく転換する。それ以前は欧米を理想化し、日本は劣っているという欠如論が風靡した。ところが高度成長後は、マイナス評価だった伝統的制度や意識が、近代化に大きな貢献をなしたとして評価されるようになる。終身雇用、年功序列企業内組合などの評価は180度かわった。日本人が勤勉だからとか、稟議制のような下からの意思決定が日本的経営のよさとか……丸山が病理として摘出した日本文化のあれこれが肯定的に評価されだした。
……全共闘学生も、母探しの日本論の潮流には棹さしていた。左翼的言説の背後に、日本浪漫派など日本への回帰衝動ももっていた。色川大吉は、自由民権運動などを生んだ日本の部落共同体の土着的エネルギーへの着目をうながした。吉本も……
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