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「気づき」の力、生き方を変え国を変える 柳田邦男

■「気づき」の力 生き方を変え、国を変える 柳田邦男 新潮文庫 20120318
患者に寄り添い、患者の心の一端でも支えるたいと謙虚な気持ちで向き合うなかで生まれた看護学生のエッセーはみずみずしい感性にあふれている。そんな感性の土台のうえに「現場」に身を置く大切さを筆者は強調する。「心の成長や考える力をつけるには孤独な時間がとても大事なのに、今の(IT)社会はそのゆとりを持たせようとしない」と危惧する。人は孤独な時こそ、悩んだり寂寥感にとらわれたりして、それらを乗り越えるために懸命に考えるからだ。
その通りだと思う。小6ぐらいのとき、団地のベランダでトルストイの「復活」を読みながらむなしさと孤独を感じたこと。台風の後、荒川の河川敷にできた広大な湖が波たつ風景を眺めつづけたこと。団地の植え込みで団子虫をいじって寂しさをまぎらした幼稚園の記憶。……不思議と覚えているのだ。何らかの意味があるからこそ記憶が鮮明なのだろう。
核家族化で、人知を超えたものを畏れる心とか、仏壇に線香をあげて先祖を大事にするといった生活習慣が伝承されなくなったことも感性の劣化を招いているという。
農薬会社と妥協せずに「沈黙の春」を書いたレイチェル・カーソンも、水俣病の原因はメチル水銀と発表してチッソから猛烈な攻撃を受けた熊本大研究班も、勇をふるって決断する際には感性が大事な役割を果たした。逆に、企業の論理に巻き込まれてしまうと、感性は鈍磨し、ロボットのようになってしまう。いや、貧しい感性しかない人は企業のロボットになりがちなのだ。
取材には「現場・現物・現人」が原則だが、現場で現物を観察しても、そこから何かを読み取るには「見る眼」が問われる。だから大人こそ絵本を座右において読み親しむといったことを心がけるべきだという。

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▽24 看護学生のエッセーの細やかな描写 常に相手である患者の心の動きや生活像や環境をしっかりと視野に入れている。患者に寄り添い、何とか患者の心の一端でも支えることはできないかと謙虚な気持ちで向き合っている。(稲葉先生のやり方 書かせること)
▽41 孤独から生まれる「考える力」 一人きりで小川でドジョウをとったり・・・屋根に登って景色を眺めたりしてすごした。少年少女読み物を読みふけった。

(団地のベランダでトルストイの復活を読む。台風の後の荒川の河川敷。広大な池になっている。強風で水面が波だち。荒涼とした風景に心がふるえる。板橋の団地の植え込みで団子虫をいじりつづける)
人は孤独な時こそ、悩んだり苦しんだり寂寥感にとらわれたりして、それらを乗り越えるために懸命に考える。人は孤独にならなければ、真剣に「考える」という経験をしないで過ごしてしまう。
(大人になっても同じでは。病院の一室で限りなく想像力の翼を広げる〓)
▽45 NHKの、サン・テグジュペリの生涯を妻コンスエロにあてた愛と葛藤の手紙でたどりなおしたドキュメンタリー。
写真家の星野道夫氏の足跡を現地で取材したドキュメンタリー。共通項は「孤独」。
・・・子供が心の成長や考える力をつけるには、孤独な時間がとても大事なのに、今の社会はそのゆとりを持たせようとしない。
(〓「暗くならないで」一人暮らしの孤独感。ゴキブリが列をなす部屋で言葉がでなくなるような恐怖)
▽53 2007年正月の毎日新聞「ネット君臨」 IT革命のなかで歌わなければいけないのは「孤独の時間はどこへ行った」という歌ではないか。
▽62 親子3代が同居していれば、大事な生活習慣や心の持ち方が伝承された。しかし核家族になって、家族文化が中途半端な形でしか受け継がれなくなる。人知を超えた大いなるものを畏れる心とか、仏壇に線香をあげて先祖を大事にするとか・・・・・ということが途絶する断層が生じた。
▽69 「沈黙の春」への農薬会社の反論とレイチェルの反駁。メチル水銀に水俣病の原因を絞り込んだ熊本大研究班の告発とこれを否定するチッソ側との論争とうり二つ。洋の東西を問わず、公害や事故の真実を追及しよとする者は、たとえ科学的にただしくても、どのような妨害にあうか・・・(勇気の必要性と難しさ)
人生の方向さえ決める心の大事な要素は、感性。
▽74 人生の残り時間が短くなったとき、生涯の思い出を誰かに語って聞いてもらったり、1冊の本にまとめたりすると、自分の人生はいったい何だったのだとか、何のために生きてきたのか、といった空しい思いや苦悩や不安が払拭され、「いろいろ大変なことがあったけれど、これが私の人生だったのだ」と、生きてきたことへの納得感や死を受容する穏やかな心をもてるようになる例が少なくない。
▽96 美術館で子供に作品を模写させるフランス。フランスの子はこのようにして絵を学ぶのか。
▽103 ドイツによるゲルニカ空襲(1937)、日本軍による重慶爆撃(1938)が無差別都市爆撃のはじまり。だが、意図的に住民の殺戮と都市壊滅をねらう爆撃を実施したのは、英国のよるドイツの都市に対する空襲からだ。やがて日本本土空襲にも導入される。
▽109 合併とともに小中学校の統廃合が加速。それが中山間地域の崩壊をさらに加速させる。
明治大正のころ、貧しい財政にもかかわらず全国津津うらうらに小学校や分校をもうけたのに・・・
▽112 熊大の徳野貞雄教授「志の共同体をどうつくるか」
こういう種類の記事を、全国の紙面から集めて、全国の自治体やむらおこしの活動家に配信する「故郷再生情報センター」のような組織があると役立つだろう。各地の地方紙が連携してこの種の情報を交換したり、週1回ぐらいの割合で「希望新聞」と名づけた特集ページを組んだりすれば・・・と提案している。〓〓
▽114 水俣病 40世帯の「頭石」集落。「村丸ごと生活博物館」。野菜を庭先や畑で
つくっているのは、何の変哲もないが、説明を聞くと、栽培している野菜は年間80種類にもなる。ヨモギやドクダミをはじめ、薬草は200種。
「地元学」 水俣病患者の杉本栄子さん。「いじめる人様を変えることができないなら、自分が変わるしかない」と思うようになり、ついには「自分は病気になったからこそいじめる側に立たされなかった。今があるのはそのおかげだ」とまで思うようになる。その言葉に吉本哲郎さんは揺さぶられた。行政のやれることに限界があるなら、地域が自ら変わろうとしなければだめだ。そう考えて、まず自分たちの足下から見直すという「地元学」の端緒がつかめた。「ないもの探し」ではなく「あるもの探し」。廃墟に等しい過疎地が、日本人の心の故郷として再生する「革命思想」かもしれない。
▽137 会社のために、とがんばるなかで、いつの間にか人格まで変わって、データの改竄やねつ造などは朝飯前という顔つきになっていく。
東京電力が1977から2002年に、国の検査のうちのべ199回にわたって改竄した虚偽データを報告して検査をパスしていた。
美浜原発の配管破裂事故は、情報の「水平展開」の典型的な失敗例。他社の同型発電器で、配管の磨耗と腐食がすすみ危険であることがわかっていたにもかかわらず、その情報の「水平展開」に取り組んでいなかった。

▽143 「星の王子さま」をよめ。
▽150 アメリカの事故調査は、特定の個人の処罰を目的としない。様々な要因と構造的な問題を洗い出して再発防止の対策をたてるのが究極の目的。
日本では、日航ジャンボ機事故でも、県警が縄を張り、航空事故調査委員会の委員や調査官さえ、はじめのうち現場での残骸調査をすることができなかった。警察は、残骸は証拠物件だから、東京に搬送することは認められないという方針を頑として変えなかった。
▽153 美浜原発事故。何度も問題点が指摘されていたのに・・・問題箇所が28年間も未点検だと気づいたのに、定検が2週間後に迫っていたから緊急対応をしなかった。そして検査まであと5日という日に破裂。「組織事故」の典型。しかし責任は、末端で判断したり作業したりしている人物ばかりに帰せられた。
(組織事故、という視点が薄れ、とかげのしっぽきりで終わってしまう〓再発防止のために必要な諸要因の構造的解明は二の次にされ、操作や作業を誤った現場の人間が処分されるだけで終わってしまう

▽160 日航機ニアミス事故。事故をぎりぎりで回避したパイロットを業務上過失到傷にとう。
▽165 産婦人科の医療ミス。・・・隠岐の島の隠岐病院 06年まで産婦人科医1人いたが・・・
▽180 鶴見和子さんが10年以上もつづけてきた訪問リハビリを、病院側から「小泉政策による措置です」と言われて打ち切られて以後急速に体調を悪くし、そこにがんが重なって死を早めた実状を多田氏は取り上げた。
▽183 アメリカでは医療事故に警察がしゃしゃりでることはない。捜査より調査を優先する。
▽189 エストニアに対する2007年のロシアのサイバーテロ。3週間つづく。
▽212
▽238 河合隼雄に「内観」を受けようか迷って相談。「内観を受けることが、息子さんにとって意味があるかどうかは、私にはわかりません。問題は、柳田さんが崖っぷちに立たされて、もうこの先はない、というぎりぎりの切羽詰まった心境になって、その中で結果のことなど考えずに、全身を投げ出すくらいの覚悟で内観を受けるなら、意味が出てくるかもしれません」
▽242 「100点以外はダメ」なときがある。……仕事に疲れ果てて家にもどると、子どもが窃盗したのが露見したという。こんなときが「100点以外の答はダメ」というときである。模範解答はない。しかし、自分には100点満点が要求されている。これいかない、という自覚があるかないかで結果は大いに違ってくる。自分のもっているだけのものを、全力をあげてぶっつけてみるのだ。そこにはじめて本当の対話が生まれる。
▽261 52歳での内観。私は、母と小学生の自分が裁ち板に向かって紙袋づくりの手内職をしている情景をあたかも色あせた記録映画を見るように天井から見つめている。すると、母の気持ちが透けて見えてくる……
▽265 「全身を投げ出すくらいの覚悟で」という一言がなかったら、内観研修を受けにでかけたとしても、内観をどこか第三者的に評価するような眼で見ながら研修の1週間を過ごし、何も起こらないで終わってしまっただろう。(〓師弟関係、客観的では自分の枠をこえられない)
▽271 「物語る」苦しみのどん底にあっても、子どものころの思い出など生きて来た全体を物語として眺めてみると、この苦しみもきっと何かを気づかせるための人生の出来事、物語の一つの章なのだと思えば、何とか次の明るい章を待って生きられる−−という捉えかたが「物語る」という営みになる。
……「物語る」というのは、これから先の人生を新しく始まる物語としてその粗筋を考え、その「物語を生きる」あるいはその物語を「生きながらつくっていく」という考え方で自分の人生を拓いていく。そこまで辿り着けたらすばらしいというのが、河合先生のカウンセリングの到達点になるのだ。
(過去と未来の間に自分を位置づける。それは「今」を相対的に際だたせること。物語る〓)
▽278 「現場・現物・現人」が大事だが、現場に立って現物を観察しても、そこから何を読み取るかとなると、観察者の「見る眼」が問われる。見る眼を豊かにするには、鋭敏な感覚・感性をもつことが大切だ。感性が豊かでなければ、生き方を変えるような「気づき」は生じない。
▽283 「現場・現物・現人」にできるだけ接するように努めるとか、大人こそ絵本を座右において読み親しむといったことを心がけると、涸れた感性が甦ってくるに違いない。(感性の大切さ〓〓)

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