■私のマルクス<佐藤優>文春文庫 20111108
大宮に住んで暴走族予備軍とつきあい、浦和高校では文芸部と応援団に入り、東欧を旅行し、社青同に入ってマルクスを読んでいた。
東京では学生運動は終わっていたが、京都、とくに同志社は新左翼系が根強く残っていた。学生運動の支柱となり、ドイツやチェコの神学の文献を読みあさり、マルクス主義も学び、読書会を組織し……。修士論文を書き上げて京都を離れたのが85年。ちょうど私と入れ替わりだ。キエフや出町柳のミンミンといった知っている店もつぎつぎに登場する……なのに知的レベルと環境の違いはおそろしく大きい。何より思想が行動によって血肉化しているすごみに圧倒される。
「同志社大神学部の、でたらめ放題の自由の雰囲気のなかで、われわれはその後の人生で遭遇するようなことはほとんど経験したわけです。その後はすべて反復なんです」。それほどの経験を学生時代にしたことがうらやましい。ぼくもかなりでたらめな学生時代を送ったが、とても足元に及ばない。
彼が身をもって体験したマルクスや神学の話は抜群におもしろい。
キリスト教とマルクス主義は、どちらも終末論があり、教会=党が正しさを担保している点が似ているという。イエスキリストが人間を救う終末の日に備えるのがキリスト教徒の仕事とされ、イエスが一時的に去った現状では「教会以外に救いはない」とされる。終末の日を「階級支配が廃絶される日」、革命=救済、共産党=教会とすれば論理構造はそっくりだ。ソ連の権力構造と教会の権力構造の類似性を指摘した林達夫を彷彿させる。
マルクス主義の「疎外論」の課題は、人間が人間によってつくられたもの(貨幣など)によって支配されている状況を打破することだ。ユダヤ・キリスト教が神以外のもの(偶像)を拝むことを禁じていることにその源流があるようだ。
ロシア革命の源泉には、マルクス主義だけでなく、「ロシアには全人類を救済する特別の使命がある」とするロシア正教のメシア(救世主)思想、ドストエフスキーらの宗教思想・保守思想があるという指摘もおもしろい。
ユダヤ人の行動原理の説明も説得力がある。
ホロコーストなどの悲惨な体験を通して、誰のことも信じられないという猜疑心と、生き残るためにはユダヤ人国家が絶対に必要だという強烈な愛国心をもつようになった。「神を信じられないイスラエル人は無神論なんかもっと信じることはできないね。何も信じることができなくても、イスラエル国家もユダヤ民族も生き残らなくてはならない……この世界の終わりの日が来るまで生き残る努力を続ける。生き残ることが苦しくても生き残らなくてはならない」というイスラエル人の言葉は、「生きる」苦しさを正面からとらえようとする佐藤氏自身の言葉であるように思える。
社会主義後のチェコ人は、共産主義も神も、自分自身も信じることができないシニカルな人々になる……という指摘は、現代の日本人の精神状況と同じだ。そんな状況のなかで人間性を回復するための鍵を、佐藤氏はフロマートカの思想に求める。
フロマートカは、アメリカとカナダで反ナチス闘争に取り組んだが、「バルコニーの上」から歴史を見ていたと反省し、地上で同胞と運命を共にするためソ連に支配される祖国に帰国し、プラハの春の「人間の顔をした社会主義」に影響を及ぼした実践的宗教家だ。
「キリスト教が本当にやるべきことをやっていたら、マルクス主義は生まれなかったんじゃないか。現在のキリスト教には、この自己批判的な姿勢が欠けている」との立場に立つ。だからキリスト教徒は、この世において社会建設に参与し、他者に対して開かれた関係を構築しなければならないと考える。
さらに、超越性に対する意識なしには人間は存在することができないのだから、「人間とは何か」というテーマでキリスト教徒とマルクス主義者の対話が可能になると考えた。社会的公正と超越性を意識することによる倫理観の両立と言えばよいだろうか。
「超越性」は、その人の立場によって、神とも他者とも祖霊とも大地とも歴史的必然とも呼ばれる。それらを軽視すると刹那的な生き方しかできなくなる。超越性を盲信し依存するのではなく、その存在を意識することがいかに大切か、刹那的な快楽追求で生活基盤を破壊しつつある今の日本の世相を見ているとわかる。
またチェコの神学者は、人間も教会も神学も、完成することのない旅を続け、旅の終わりは、ある日突然圧倒的な力によってやってくると考える。それが終末であり、終末は完成と目的でもあるとする。そう考えるからこそ、「今」を真剣に生きることができる。行間から、筆者の行動力の源泉が垣間見える。(ユダヤ人の「生き残る」思想と響き合うものがある。)
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▽16 情報収集のプロにはアルコールに溺れる人が多い。友人を作っても、あくまでも情報入手、工作のためであり、状況によっては友人を危機に陥れるという精神的緊張に耐えられず、酒に走る。……2つのルール 自宅で酒を飲まない、自宅に仕事を一切持ち帰られない。どんなに仕事が忙しくても、毎日2時間は、神学書、哲学書、歴史書を読む。〓
▽20 イスラムの人間観に原罪がない。ユダヤ・キリスト教徒と決定的に異なる……ユダヤ教徒からすると、イエスが登場した2000年前が世界史の最も悲惨な地点だったっとはどうしても思えない。あれよりも悲惨なことは、その後もあったと思う。……イスラエルには現実に存在する共産主義については幻滅したが、社会主義的信念をもった人が多かった。モラルとして富を公平配分するべきという考えはいまもユダヤ人の間で強い。……他人に同情されながら絶滅するよりは全世界を敵に回してでも生き残ることを選んだ。誰のことも信じられないという強烈な猜疑心と、われわれが生き残るためにはユダヤ人国家が絶対に必要だという強烈な愛国心をもつようになった。……ユダヤ人とイスラエル国家が、この世界の終わりの日が来るまで生き残る努力を続ける。生き残ることが苦しくても生き残らなくてはならない。(イスラエル人)
▽27 イスラエル人の思考が、マルクスにひじょうに似ている。
▽29 ユートピア思想、千年王国思想のどちらでマルクスを読みとくか。唯物史観の公式どおりの見方をするなら前者。宇野経済学原理論のように、資本主義がシステムとして自立していて、恐慌を反復しながらあたかも未来永劫つづくという構成をとるならば、外部性を措定しなければシステムの転換ができなくなる。そうなると革命は千年王国の形で到来することになる。宇野経済学の裏には神がいる。
▽31
▽34 講座派(共産党)より労農派にひきつけられた。
▽38 知識を徹底的に詰め込むと、ある段階から知識じたいが動きだし、自分の頭で考え始めるようになることを学習塾で体得。
▽53 ワルシャワ、プラハ、ブダペシュトなどの70年代半ばの生活水準は、とくに食に関しては西ヨーロッパより高かったようだ。共産党や国営企業幹部は実によく働くが、一般労働者の実質労働時間は3、4時間。週末は郊外の畑付き別荘ですごす。夏の休暇は2カ月。……イデオロギーに関心をもたず、日常生活の「小さな物語」を中心に生きてゆく安定した社会にみえた。
▽59 ハンガリー ソ連の公式路線に逆らわないが、いつでも国民が肉のいっぱい入ったグラーシュを食べ、日常生活面での豊かさを保証するのがカーダール第一書記の方針だった。
▽84 確立した自我をもち、手紙にも自分の意見をきちんと書く、同年代の高校生がいる社会主義国に対する関心をますます深めた。いまになって考えると、社会主義の特徴ではなく、将来の知識人予備軍であるヨーロッパの高校生の標準的感覚なのだが。
▽88 ソ連軍によるハンガリー民衆に対する弾圧をサルトルが厳しく弾劾しているのに対し、日本共産党はソ連軍の介入を是認し……
▽97 浦高の堀江先生…… 野球部員が民青のキャップで……社青同には労農派マルクス主義特有の組織規律を嫌ういいかげんさがあった。
▽102 宇野 社会科学としての経済学はインテリになる科学的方法。小説は心情を通してインテリにするもの。自分はいまこういう所にいるんだということを知ること(マッピング)それがインテリになるということだというわけです。経済学はわれわれの社会的位置を、小説は自分の心理的な状態を明らかにしてくれるのでは……小説によって人間の条件がわかる
▽104 アメリカのプロテスタント神学者ラインホルド・ニーバー 米国や西欧などの民主主義陣営「光の子」はあまりにひよわで力の行使を恐れ、ナチズムの席巻を許した。真の民主主義は、状況によっては躊躇せずに力を行使し、「闇の子」を封じ込めるべきだとする。ニーバーは原罪、新保守主義者(ネオコン)に高く評価され、対国際テロリズムのイデオロギーの基礎として用いられている。
▽112 ヘルメットをかぶった学生と機動隊が対峙する。驚きの光景。(ヘルメット学生が右翼の街宣車を追い払う風景、すごいなあと思った)
▽114 プライドこそが人の目を曇らせ、情勢分析の判断を誤る原因になる
▽117 「無神論を勉強したいなどと突っかかってくるタイプは必ずクリスチャンになるんだよ」
▽119 堀江先生「ほんとうに好きなことをやっていて、食べていくことができない人は、私が知る限り、一人もいません。ただし、中途半端に好きなことでは食べていくことができません」
▽131 マルクス主義のなかに世俗化された終末論が組み込まれている バルトにおいて天にいた神を、モルトマンは未来にもっていっています
▽134 20世紀のキリスト教神学は、前半は、弁証法神学(危機神学)でプロテスタント神学の影響が強かった。20世紀後半は、カトリック神学の影響が強くなる。これは第2バチカン公会議(1962〜65)の衝撃によるもの。カトリックとプロテスタント、東方正教、マルクス主義者との対話路線を推進。
▽141 終末の日にイエスキリストがやってきて人間を救いだす。この終末の日に備えて準備するのがキリスト教徒の仕事。……イエスが一時的に去った現状においては、使途たちの集団、つまり教会によって、救済の教理は担保されている。「教会以外に救いはない」ということになる。
終わりの日を「階級支配が廃絶される日」とし、その担保がマルクスによって基本的に明らかになったという構成をとるならば……マルクスが発見した革命(救済)の家でオロギー(教理)は、共産党という名の「教会」が保持していることになる。……救済がすでに担保されているという論理構成は類比的だ。
▽145 イスラエル人の世俗的世界観
▽149 「神を信じられないイスラエル人は無神論なんかもっと信じることはできないね。何も信じることができなくても、イスラエル国家もユダヤ民族も生き残らなくてはならないんだ」
▽162 プロテスタントの3つのグループ。福音派(東京神学大)、社会派(日本基督教団の執行部、同志社や関学神学部の教授陣)、問題提起派。
▽164 聖書のような古典テキストは、いかようにも解釈できる。イエスを革命家にすることも、保守政治家と解釈することも、それほど難しい作業ではない。古事記や日本書紀なども同様。
▽174 民青みたく「便所にトイレットペーパーをつけろ」という類の要求実現路線ではなく、神学部生にもっと自治会を密着させなければ
▽190 資本主義体制の崩壊や社会主義革命の必然性などのイデオロギー的夾雑物を除去し、労働力商品化を軸としてまず資本主義の内在的論理をつかむという宇野弘蔵の方法にひかれた。「経済原論」
▽193 人間が人間によってつくられたものによって支配されている状況を打破するのが疎外論の課題だ。ユダヤ・キリスト教の戒律でもっとも重要なのは、神以外のもの(偶像)を神として拝まないことだ。……「商品経済の物神崇拝的性格は、貨幣において具体的にあらわれる」……貨幣を偏愛することは、偶像崇拝にとらわれることで、キリスト教徒としてあってはならない態度なのである。この倫理が私たちの魂をとらえた。(疎外論と偶像崇拝〓)
▽199 韓国の人権状況
▽202 アザーワールドは、神学部自治会が自然消滅してしまう2005年まで放置されていた。「神学には秩序が壊れている部分が絶対に必要なんです。既成の秩序に収まらない場所と、そういう場所で思索する人たちが必要なんです」。神学部の教授たちは、あえて通常の規格には収まらない学生たちの活動場所を保全していた。(アジール〓)
▽206 無神論を学ぼうとしたが
▽208 「ヘーゲルには気をつけなさい。弁証法を精神の運動だけに限定して適用しているうちは大きな問題はないのですが、これを社会に適用すると大きな悲劇を生み出します」 ソ連や東欧だけでなく、日本の軍国主義も。田邊元「悠久の大義に殉ずるならば、個々人の生命は永遠に生きることになる」と説いた。みごとな弁証法。「カントの純粋理性批判をきちんと読んだ後にヘーゲルと取り組むことを勧めます」
▽220 当事者たちにとっては深刻だが、第三者には何が真実の争点なのか、まったく理解できないような諍いが、学生運動の世界では繰り返されている。官僚の世界の派閥抗争もこれと同じような構造をしている。
▽224 疎外論。「本来性の回復」の本来性なるものが、そもそも過去の現実ではなくして、自己の表象する理想状態を「過去」に振り込んだものにすぎない。「本来性」と称されるものは、自分の考える理想状態の別名以上のものではなく……(廣松渉)
だとしたら、本来的なるもの、を持ち込むのが人間主義で疎外論の限界であるというならば、われわれはまったく何もない更地の上で思想を組み立てていくことになる……
▽231 ロシア革命には2つの源泉があると、マホベッツは理解している。ひとつはマルクス主義、もうひとつはロシア正教に見られるメシア(救世主)思想。ロシアには全人類を救済する特別の使命があるという考え方で、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」にこのメシア思想が典型的に現れている。
▽234 「現実に存在する社会主義においてはほんとうの意味での宗教批判がなされていない。だから、レーニン、スターリンの個人崇拝や共産党に宗教的に帰依するという現象が起きるんだ。ロシア共産主義は宗教現象だよ」「社会主義後のチェコ人は、共産主義も神も、そして自分自身も信じることができない、とてもシニカルな人々になると思うけどね」(日本人の今では〓)「どうやって人間性を回復していくかについて、もう一度、マサリクやフロマートカに立ち返って考え直す必要がある」(日本の場合は民俗的な何か?土的なもの?)
▽243 相手と本気でつきあう気持ちになったときに、ロシア人は、ウオトカやコニャックなどの強い酒を戸棚から取り出し、コップに注いで一気に飲み干す。1人で1本くらいウオトカを飲む。飲む前と飲んだ後で、話の内容が変化するような相手なのかどうか、アルコールの力を借りてチェックするのだ。
▽250 ロシアの共産主義は、ロシア正教会の修道院でときどき現れる極端に禁欲的で、世直しを望む、一種の終末思想とのからみでとらえたほうがよいと、ベルジャーエフは言う。
▽256 エゴイズムと革命 ドストエフスキー
▽280 なぜマルクスの「資本論」に内在的論理が崩れてしまう部分がでるのか。それはマルクスが社会主義者で、革命を起こしたいというよ欲望を持っていたから。……マルクス経済学が論証するのは、資本主義の矛盾による社会主義革命の必然性ではなく、恐慌の必然性である。……労働力商品化により生産過程をつかんだことでシステムとして自立し、恐慌を繰り返すことで、あたかも永遠に続くようになるのだ。これが科学としての経済学であると宇野は考える。
資本主義の内在的論理をつかむことと、社会主義を志向することの間には飛躍がある。飛躍はイデオロギーにおいてしかなされないと宇野は考えたのだろう。
▽289 けんかのしかた
▽301 佐藤のカリスマ性
▽312 フロマートカは、ゲシュタポの追跡から逃れ、アメリカとカナダで反ナチス闘争に取り組んだが、客観的に言えば「逃げた」のであり「バルコニーの上」から歴史を見ていた……(ソ連圏に属することになった)今度は、バルコニーの上からではなく、地上で、同胞と運命を共にしたかったから……帰国。
▽315 フロマートカの論点。キリスト教が支配者のイデオロギーと見なされたため、マルクス主義は無神論を世界観の中に組み入れた。しかしこの与件はキリスト教が社会的弱者の側に立つという転換を遂げることによってなくなる。神学的に求められるのは、マルクス主義者に対する批判よりも、社会的弱者を救済する事業に関するキリスト教徒の不作為に対して自己批判することだ。
超越性に対する意識をもたなくては人間は存在することができない。人間存在に対する本質的な洞察をする場合、「人間とは何か」というテーマでキリスト教徒とマルクス主義者の対話が可能になる。そこからマルクス主義者も超越性を認めることになるだろう。
無神論、世俗化は、西側でも生じている。現実に対するキリスト教徒の怠惰が、人々のキリスト教離れを引き起こしている。キリスト教徒は、教会に逃げ込むのではなく、この世において、社会建設に参与し、他者に対して開かれた関係を構築することだ。
▽316 ドストエフスキーをロシア革命の預言者と、メレジェコフスキーは呼んだ。……歴史の弁証法は複雑であり「進歩的」とか「反動的」とかいったつまらなうレッテルで理解することはできない……ロシア革命は、革命思想の系譜だけでなく、ドストエフスキーらの宗教思想・保守思想の延長線上にもあるのだ。
▽318 ヒトラーが最も尊敬したドイツ人はルターだった。フロマートカは、ルターがもっていた極端な主観主義にヒトラーとつながる回路があると考える。「神の王国」「この世の王国」をわけ、結果として、この世の王国の支配を無条件に認め、信仰は心の中の問題としていくというルター派神学の根底を脱構築することを考える。
▽322 チェコの神学者は「旅人の共同体」という概念を尊重する。人間も教会も神学も、完成することのない旅をこの世で続けていく。旅の終わりは、ある日、突然やってくる。それは人間の努力によってやってくるのではない。彼岸からの圧倒的な力によってやってくる。それが終末だ。終末は、終わりであるとともに、完成と目的でもあるのだ。
▽328 中核とのやりとり
▽331 田辺移転を巡って、団交を要求し、教員の部屋を封鎖し、徹底抗戦する自治会。戦略眼と力と。
▽341 「ミッションスクールは、アメリカの宣教団(ミッション)がキリスト教をつかって日本を植民地化するために作った大学だ。同志社はミッションから銭はもらったが、言うなりにはならなかった。新島襄は右翼だ。その伝統を僕たち神学生も引き継いでいる」
▽345 神学部自治会と話し合った神学部教授が、学生運動の拠点となる、学生自治会や社会科学系サークルの活動基盤を整えるように他の学部の教授たちに働きかけた。田辺の学生関連施設は、当初案より充実することになり、学生運動の拠点となっている自主管理についても大学は手をつけないことにした。
▽356 「人間が想像する神は、キリスト教でいう神ではありません。しかし、それを超えた力というか、超越性というか、そういう神はいるんです。僕やあなたが信じる信じないにかかわらず、そういう神はいるんです」(〓想像すらも及ばない存在)
▽361 浦和高校や霞が関によく見られる「平均的エリート」と、キリスト教の世界にあるものは真逆。今の日本の閉塞状況は「平均的エリート」のエキスみたいな人が総理大臣をやっているからだと私は考える。
同志社大神学部には自由主義神学の伝統がある。何をやってもかまわないという、でたらめ放題の自由。その自由の雰囲気のなかで、われわれはその後の人生で遭遇するようなことはほとんど経験したわけです。その後はすべて反復なんです。(とまで言える経験〓)
▽370 フロマートカは、スターリン的な体制に対して抵抗する。反体制地下運動を組織するのではなく、人間の対話の力を信じ、体制側と反体制側の双方に影響を与えていくという手法です。「キリスト教が本当にやるべきことをやっていたら、マルクス主義は生まれなかったんじゃないか。現在のキリスト教には、この自己批判的な姿勢が欠けている」というのがフロマートカの立ち位置。……キリスト教徒は、無神論的ヒューマニストと最後まで共に歩むべきだ、というのがフロマートカの姿勢。それが、チェコのマルクス主義哲学者に影響を与えて「人間の顔をした社会主義」を作ろうという運動になってくる。そこで「プラハの春」が起きる。
▽382 浦和高校出身の官僚や新聞記者とあちこちで会いましたが、私は素っ気ない態度をとりました。同志社の神学部には愛着があるのですが、浦和高校の場合、あまり親しみを覚えない。
▽390 「汝の敵を愛せよ」というのは、敵を愛するというぐらいの感覚でいないと、判断を間違えるということです。
▽403 村木事件 厚労省が組織をあげて検察の捜査妨害をした。国民の代表である国会議員が弱くなってきたから、権力の実体が凝縮している霞が関村での内ゲバが始まってるということ。国家機構の中枢を担う官僚が弱まっている。日本人の集合的無意識として、官僚のこのままだったらまずいという認識に気づいているから、政権交代があった。政治が民意を吸収しないと極端な変化が起きます。可能性としてあるのは、右翼による「世直し」です。このとき鍵を握るのが武器をもつ自衛隊になります。
▽409 あとがき)「とにかく生き残る。ユダヤ人とイスラエル国家が。この世界の終わりの日が来るまで生き残る努力を続けることだ。生き残ることが苦しくても生き残らなくてはならない。それが神の意思だからだ。また、それが人類救済の根拠になる」 死を恐れ、生き続ける。苦しくても生き残り、最後まで戦い続ける。これが、佐藤氏の魂の中で燃え続ける「言霊(ロゴス)」なのである。
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