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震災と鉄道<原武史>

■震災と鉄道<原武史>朝日新書 20111024

 「鉄道とは公共空間である」と考える筆者は、金もうけ主義がはびこる独占企業JR東日本を具体的事例をあげて批判する。史上最悪の原発事故を起こした東京電力とJRの体質がきわめて似ていることがわかる。
 震災の日、東京メトロや都営地下鉄、京王、西武……は当日に復旧し終夜運転をした。JRや東武、京成、京急などは翌朝以降にずれこみ、なかでもJR東日本は駅のシャッターを閉め、駅構内から多くの乗客を寒空の下に締め出した。
 関東大震災でも、翌日には北本線は東京まで動いた。東京大空襲でも、その日のうちに東京-有楽町が復旧した。広島電鉄は、原爆投下から3日後に一部を復旧させた。
 そうやって比べると、明治以来、駅や鉄道がいかに重要な公共的空間・公共財の役割を果たしてきたか、民営化による金もうけ主義でいかに大事なものを失ったかが見えてくる。
 それは震災の現場にも現れた
 三陸鉄道は震災5日後には、一部を復旧させ、3月16日から31日まで運賃を無料にした。そのころJR東日本はグリーン車に流れ込んできた乗客からグリーン料理金をとっていた。またJR東日本は、「沿岸の町がどういう形で復興していくのかを見ながらになる」と言い、いつどこを復旧させるかという計画を示さず、復旧しない原因を国や地元自治体、住民の合意ができないことに押しつけるかのような態度をとる。
 同様の体質は、新幹線に典型的に現れる。東北新幹線は、被災地への救援物資を運ぶことはできないのに大型連休に合わせて復旧を優先した。
 そもそも新幹線という存在じたい生活から乖離している。今回の震災でも、「ミニ新幹線」によって標準軌となることで在来線が何カ所も分断され、奥羽本線を通して貨物列車を走らせることができなかった。
 また新幹線は、県庁所在地から東京へは便利にするが、並行在来線の廃止や3セク化、特急廃止などによって県内移動はむしろ不便になる。とくに民営化後は在来線を手放して3セクにする動きが増えた。北海道は30年間に1500キロを超える線が廃止され、代替バスすら走っていない区間も出ている。暴力的な「集中と選択」が進んだ。
 エキナカやホテル経営、レンタカー事業などのサイドビジネスによって老舗の弁当屋や駅前商店街が打撃を受ける。大量生産でローコストのロングシートの車両を、首都圏でも青森でも走らせる……。
 これでもかこれでもか、とJR東日本の金もうけ体質をあらわにする一方で、鉄道のあるべき姿も提示する。
 東北地方は、鉄道に対する思い入れがかなり強い地域で、三陸鉄道は国鉄末期に建設された盛線や宮古線、久慈線といった盲腸線をつなげて縦断路線を完成させた。秋田内陸縦貫鉄道(鷹巣-角館)も、3セクになってから、国鉄時代の阿仁合線と角館線をつなげた。阿武隈急行(福島-槻木)も、国鉄時代の盲腸線の丸森線を福島まで延伸させた。東北地方は1981年に比べて在来線の営業キロが増えているという。富山のLRTやJR肥薩線の観光列車の取り組みにも希望を見る。高千穂線は08年に廃線となったが、「高千穂あまてらす鉄道」が一部区間だけでも復旧しようと努力しているという。
 筆者は、欧州でサロンやコーヒーハウスが「市民的公共性」を確立させるのに果たしたのと同様の役割を、日本では駅と列車が果たしたと位置づける。鉄道は、学校や軍隊と異なり、老若男女だれもが利用できるほとんど唯一のメディアだったからだ。
 対面式の座席では、夏なら男性はステテコとシャツ1枚になり、くつろいだ空間で本音をぶつけあった。電車特急こだまや新幹線で前を向く座席配置になってしまう。多田道太郎は電車特急について「特急の乗客はどうして気軽なおしゃべりをしないのだろう。これはかねての疑問である……ローカル線だとずっと開放的だ。見知らぬ百姓、商人といった人と、何時間かお喋りする」と書いた。見知らぬ人が打ち解け合う場だったのだ。とても大事な空間を現代の私たちが失ったことに気づかされる。
 「もしJR東日本の不通区間が復旧せず、自家用車がなければ被災地に住めなくなってしまうような事態に至った場合、それはジャットのいう個人主義を行き渡らせることにつながる。単に駅や車両や線路がなくなるというだけではない。公共空間そのものが破壊される」と書く。
 ローカル線を失った地域コミュニティはどう変容しているか、個人主義が蔓延しているのか、それとも何らかのオルタナティブが育っているのか、調べてみたいと思った。

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▽20 震災 東京メトロは午後8時台から運転を順次再開し終夜運転、都営地下鉄も、京王、西武、小田急、東急、相鉄も……。一方、JRや東武、京成、京急などは翌朝以降に。なかでもJR東日本は「乗客の安全を確認できないから、列車の運行を止めざるをえない」と当日の運転再開を断念し、駅のシャッターを閉め、駅構内から多くの乗客を締め出した。
▽22 関東大震災 翌日には、牧野伸顕が日光から、日光線、東北本線を経由して列車で帰京。震災わずか2カ月弱で首都圏のほぼすべての鉄道が復旧。
 3月10日の東京大空襲でも、その日のうちに東京-有楽町が復旧……4月13日の空襲の翌日も「町には一面に轟々と音を立てて火炎が空高く噴き上げているのに、電車がホームに入りひっそりと発車して」。少なくともJR東日本より戦前までの鉄道省や運輸通信省のほうが、非常時に際してできるだけ早く列車や電車の運転を再開しようとした形跡が認められる。
▽24 JRは駅以外に行き場のない乗客多数を深夜の寒空の下に締めだし、かえって混乱を拡大させた。……明治以来、駅がいかに重要な公共的空間としての役割を果たしてきたか。
▽35 今回の節電で、「鉄道の電化の是非」の問題が浮き上がる
▽43 東北本線は、黒磯までは直流、その先は交流。だから、黒磯を越えて走る普通電車は1本もない。電化が便利とは一概に言えない。電化よりディーゼルカーの性能をよくしたほうが、所要時間を短縮できる可能性も。電化より複線化のほうがよい例……
▽48 三陸鉄道は震災5日後には、久慈-陸中野田間を復旧させた。広島原爆投下から3日後に己斐-西天満町を復旧させた広島電鉄。……三陸鉄道の望月社長の行動は、戦時下の空襲の際に小林一三がとった行動にも似ている。沿線の被害状況を視察し……三陸鉄道は、3月16日から31日まで運賃を無料にしている。関東大震災の際の鉄道省と同じ措置をとった。グリーン車に流れ込んできた乗客からグリーン料理金をとったJR東日本の態度とは対照的。
▽59 JR東日本は、復旧に対する公的支援を要望する一方で、「これから沿岸の町がどういう形で復興していくのかを見ながらになる」という姿勢を示している。……復旧しない原因を国や地元自治体や地元住民の合意ができないことに押しつけ……たとえ応急的でも、元のルートで早期に復旧させることを原則とするべき。
▽66 三陸鉄道は、震災直後から社長が前面に出て、「自社の路線をなんとしても復旧させる」という強い姿勢を見せた。JRは、一部不通区間について、肝心の「いつ、どこを復旧させるか」という点すら曖昧なまま。
▽69 JR東日本は、エキナカやホテル経営、レンタカー事業などサイドビジネスに熱心。
▽84 岩泉線 代替の国道が狭いため存続していたが、2010年7月の台風で土砂崩れによる脱線事故をおこして以来、今も全線運休のまま。復旧のめどはたっていない。
▽89 東北新幹線は、在来線とは違って、被災地への救援物資を運ぶことはできない。その復旧を優先させたのは、大型連休に合わせて復旧を急いだのは明らかです。反面、在来線では、バスと競争しても勝てないとなるとあっさり引き下がる。この点はJR九州とは対照的。……
▽99 東北、とくに三陸は、鉄道に対する思い入れがかなり強い地域。国鉄末期に建設された盛線や宮古線、久慈線といった盲腸線を何とかいかそうと動き、廃止対象路線に指定されても、3セクをたちあげて、1984年に三陸を縦断する路線を完成させた。
▽101 JR東日本は、大量生産でローコストの車両を導入しようとして、首都圏でも青森でも同じようなロングシートの車両を走らせた。……大館駅では、ロングシートの電車が増えてから、名物駅弁の鶏めしの売り上げたが落ちたそうです。
▽103 ミニ新幹線 国際標準軌とすることで、在来線が何カ所も分断され、奥羽本線を通して貨物列車を走らせることができなくなった。
▽116 山形新幹線の山形以遠は各駅停車、新幹線開通以前より停車駅が増え、山形新庄間は52分から43分になっただけ。同じ県内なのに、米沢や山形から酒田や鶴岡へ移動するときは、新庄で乗り換えなくてはならなくなった。県庁所在地から東京へは便利になったが、県内移動は二の次とされた。東京への一極集中が加速した。
▽117 盛岡以北の在来線は3セクに。運賃は大幅値上げ。三沢や野辺地や浅虫温泉は特急が走らなくなり不便に。
 長野新幹線によって小諸が衰退。佐久平が栄えた。「並行在来線」となった横川-軽井沢間は廃止。
▽122 明治時代、鉄道が敷設されなかったことで、城下町だった岩槻はすたれた。ただ「鉄道忌避伝説」の多くは、史料的には確認できていない。しかし中山道の宿場町だった大宮は鉄道誘致に熱心だった。
▽123 特急ならではの停車駅の少なさを確保しつつ、なるべく均等にどの都市も特急がとまるようなダイヤをくんでいた。
 国鉄時代、東海道新幹線や東北新幹線開業後もしばらくは、在来線に多くの特急や急行などを走らせていた。民営化後、「フル企画」が開業すると、在来線そのものをあっさり手放して3セクにしてしまうケースが増えた。暴力的な「集中と選択」
▽127 東京へ直行しない九州新幹線。明治以来の東京中心の鉄道網を切り崩す可能性?
▽134 富山港線を3セクがひきつぎ、LRTを導入。富山地方鉄道も路面電車を延伸して環状線をつくった。
 九州のJR肥薩線 人吉-吉松間に観光列車。「いさぶろう」「しんぺい」
▽141 秋田内陸縦貫鉄道(鷹巣-角館)も、3セクになってから、国鉄時代の阿仁合線と角館線をつなげた。阿武隈急行(福島-槻木)も、国鉄時代の盲腸線の丸森線を福島まで延伸させた。
 北海道は、美幸線、白糠線、羽幌線……30年間に1500キロを超える線が廃止されてすかすかに。白糠線や美幸線の区間では、代替バスすら走っていない。……
 九州の高千穂線は、高森線とつながるはずだったが、05年の台風で被害を受け、08年に廃線となったまま。「高千穂あまてらす鉄道」が一部区間だけでも復旧しようと奮闘している。〓
 そんななか東北は、1981年に比べて在来線の営業キロが増えている。
▽159 リニアは新幹線の3倍の電力が必要。
▽160 二俣線は1940年、東海道のバイパスとして建設された。
▽163 東海道本線は、3つの会社に分断された。国鉄時代は、東京発浜松行きや静岡行きなどの普通電車が頻繁に運転されたが、今では大半が、熱海行きや小田原行きとなった。
▽168 JR東海は、寝台特急に非協力的な態度を示す一方、東海道新幹線のブランド化を進めている。利益重視。機能性重視。
▽172 「エキュート」などのエキナカビジネス。東京、品川、大宮駅など。大宮駅では、東口の商店街は打撃を受けて青息吐息。品川駅では、常磐軒という弁当屋がしめだされた。JR立川駅でも、老舗の中村亭の駅弁はなくなった。八王子駅の玉川亭も撤退。釜飯が有名だった大月駅の桂川館も土日を除いて撤退。
▽178 中国の高速鉄道事故 「日本の新幹線ではありえない」というが、福知山線の脱線事故だって「あり得ない」ことだった。新幹線の存在を特権化することで、在来線の大事故を度外視する結果をもたらしている気がする。
▽194 本居宣長 革命が起こらないことを日本人のすぐれた「国民性」に求めた。宣長の世界観は、水戸学者にも受け継がれ……。宣長が国学を大成させ、国学から復古神道が派生し、水戸学が国体論を打ち立てることで、明治維新への思想的な道が開けた。維新後は近代化のための装置が多数導入され、日清戦争に勝利をおさめると、アジア唯一の「文明国」をもって任じるyふおうになった。この頃になると日本人の意識は完全に中国蔑視に傾いていった。
▽198 原発もリニアも、底流にあるのはナショナリズムであることに注意を払わなければならない。
▽202 欧州の教会や広場に相当するのが駅であり、サロンやコーヒーハウスに相当するのが車内ということになる。ハーバーマスは、サロンやコーヒーハウスが「市民的公共性」を確立させるのに大きな役割を果たしたと述べているが、日本でそれを確立させたのは、鉄道だともいえる。
 学校や軍隊と同様、鉄道も「文明開化」「富国強兵」の産物だったが、決定的なちがいは、鉄道は、老若男女だれもが利用できるほとんど唯一のメディアだったこと。「駅は公共の時間空間をつくりだし、市民の教育する学校だった」(成沢光)
▽205 啄木は故郷のなまりを聞くために上野駅に通った。鉄道が「車中読書」という新たな読書文化を創出したと、メディア史学者の永嶺重敏が指摘〓。
 対面式の座席では、目を合わせて会話せざるを得ない。戦時体制でさえも、過激な会話を交わしていた。
▽211 戦前の日本に滞在したイギリス人女性「必要が生じると、特に女性は愛想よく話しかけてきます。……」
▽215 いったん列車に乗ってしまうと、底は大きな一つの家のようなもの。夏なら男性はすててこ枚、シャツ1枚になる。くつろいだ空間があったから車内で本音をぶつけあうことができた。
 ところが電車特急こだま、新幹線は、前を向く座席配置に。多田道太郎は電車特急について「特急の乗客はどうして気軽なおしゃべりをしないのだろう。これはかねての疑問である」と違和感を表明。「ローカル線だとずっと開放的だ。見知らぬ百姓、商人といった人と、何時間かお喋りする」(それだけおしうゃべりがあたりまえだった)……多田は、電車特急と団地の同時代性に気づいていた。
 分割民営化されると、ボックス型の普通列車が走っていた東海道や東北本線のほか、一部のローカル線でも、ロングシートの車両が次々と投入されるようになる。
▽223 フランスとイタリアは、鉄道を社会的供給物として対処してきた。……鉄道の駅と、駅に付随するさまざまな施設とは、どんなにちっぽけな地域社会にとっても、希望の共有としての社会というものの存在のきざしであり、そのしるしでもあるのです。(〓輪島の変化は)
 もしJR東日本の不通区間が復旧せず、自家用車がなければ被災地に住めなくなってしまうような事態に至った場合、それはジャットのいう「個人主義を行き渡らせることにつながる。単に駅や車両や線路がなくなるというだけではない。公共空間そのものが破壊される。(〓輪島は?)

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